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【J-POP解体 その2】シティポップ/ネオトーキョーの美学

前回、はっぴいえんど、吉田拓郎、シュガー・ベイブを取り上げ、邦楽の土壌が豊かになっていく様子を書きました。
具体的には、邦楽に、ロック、フォークなど洋楽の音楽性が混じり、それらが当時ニューミュージックと呼ばれるようになりました。
そして、それらを都会的なブランディングで上書きしものが「シティポップ」というジャンルです。
【J-POP解体 その1】では、J-POPの起源を意識し、時系列を追い、紹介的な書き方をしましたが、【その2】ではジャンル分析的な書き方をしようと思います。

今回は、そんなシティポップに迫っていきます。

都会の音楽って?

シティポップは都会的なブランディングと書きましたが、
よくよく考えてみると、意味わかんないですよね。
まあ、ブランディングなので、聞き手にイメージを想起させることが重要なわけで
すが、
それにしても、都会と音楽をどう結びつけるのか、
では、そのジャンル性について見てみましょう。

まず、ニューミュージックもシティポップもJ-POPも明確な区別や独立した音楽性があるわけではありません。
強いて言うなら、J-POPという大きな括りの中に現れた新興勢力をニューミュージック(新しい音楽)と呼び、
それを
「ニューミュージックだとそのまますぎるから、別の名前をつけて差別化しよう!」
というものがシティポップです。

ウィキペディア様から引用します。

そのシュガー・ベイブのアルバムを起点とし、その後に活躍した大瀧詠一、山下達郎、吉田美奈子、荒井由実、竹内まりや、大貫妙子、南佳孝などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる。〜
主要アーティストはほとんどが東京出身者もしくは東京を拠点に活動した者たちだった。従ってシティ・ポップで歌われる「シティ」とは高度経済成長を経た「現代の東京」であり、それもリアリズムから一歩引いた、広告都市的な消費の街というフィクション性を多分に含んでいた。そうした「シティ」における、お洒落なライフスタイルや都会の風景、時には都市生活者ならではの孤独感や哀愁を、良いメロディと洒落たコードに乗せて歌い上げたのがシティ・ポップだった。

wikipedia

要は、敗戦から潤った日本、そしてその都市である東京、そのブランディングを強調しつつ、その実体よりもユートピア的な理想像を切り抜き、寄せ集めた。
といった感じでしょうか。

Apple Musicのシティポップ

上に書いた通り、シティポップは明確なジャンル性があるわけではないため
「これがシティポップで、これは違う。」
といったはっきりした線引きは難しいと思います。
そのため、Apple Musicの「シティポップ ベスト」というプレイリストがあったのでまずはそれを見てみましょう。


大瀧詠一、大貫妙子など前回取り上げたアーティストから、近頃話題のアーティストまで様々ですが、
ここでA型で几帳面な私が困ることは、

「シティポップのような音楽性、東京的であれば、最近の曲でもシティポップと捉えていいのか。」
「それとも、高度経済成長の中、生きてきた当時のアーティストが作ったもの、いわば時代性を重視したものが真のシティポップであるのか。」
ということ。

前者は、実体を尊重したジャンル意識。
後者は、属性を尊重したジャンル意識。

どちらで捉えるかによってシティポップ、またそれに限らずジャンル全般への解像度が変わっていきます。
と言っても、何回も書いている通りシティポップというジャンルが曖昧なものであるため、真実があるわけでもなく双方の解釈ができると思います。

とりあえず、私がシティポップとされているものを聞いて、受け取った抽象的なイメージとして、

海/車/街/キザな恋心

イメージとしてはこんな感じですかね。
それではシティポップの音楽性をみていきます。

オムニバスアルバム 『PACIFIC』

1978年にリリースされたオムニバスアルバム『PACIFIC』。


1978年から1983年の間に、CBSソニーのプロデューサー(当時)橋本伸一によって企画された、細野晴臣鈴木茂山下達郎をはじめとする日本のトップサウンドクリエイターによる作品、パフォーマンスを収録した企画アルバムの第1弾である。

wikipedia

前回、取り上げたはっぴいえんどのメンバーであった細田晴臣と鈴木茂、
シュガー・ベイブのメンバーであった山下達郎。

高度経済成長を経た東京、その当時のトップサウンドクリエイターが作ったのならシティポップ間違いなし!
Pacificは日本語で「太平洋」、アルバムジャケットも海だし。
ということでこのアルバムを紹介します。

正直、私はこれを聞いた時、
「えっ、ポップですか?これ。」
と思いました。

特に1曲目、細田晴臣の最後の楽園はイントロが若干不気味に感じます。
コーラスも楽器と人の声の中間といった感じで、ホラー度が高いです。(私はそれが好きですが。)
そして、ほぼ全ての曲がインスト(楽器のみ)で構成された音楽のため好みが分かれると思います。

自分が聞いた感じ、
細田は電子音楽を積極的に取り入れ実験的
鈴木はメロディの上下やリズムの緩急がわかりやすくキャッチーで構成的
山下はジャズ的なリズムの中に、サイケデリック感があるぼやけた音を使っており、サウンド重視

先ほどの、実体と属性で考えると、
1978年、当時に作られたこのアルバムは、属性的なシティポップと認識できると思います。


ネオトーキョーと蘇りしシティポップ

まず、ネオトーキョーというのは
neo「新しい」tokyo「東京」
で「新しい東京」。
それは、1980年代からみた今の東京ということです。
世界観としては、『AKIRA』や『ブレードランナー』的なイメージですね。
超高層ビル、ネオンで光り輝く街々。。。

そんなトーキョーのイメージが海外の方にはウケるらしく、
1980年代あたりの邦楽をサンプリングし、
ハウス的なビートが強調されたものにリミックスしたものがフューチャーファンクとして人気を得ています。
(このジャンルの誕生にもいろいろと文脈がありますが、フューチャーファンクと検索すれば他人様の詳しく書かれた記事があるので、気になった方はそちらを参考に...)

しかし、音楽には著作権というものがあります。
基本的に、これらの多くは無断でサンプリングされているため法的にはアウトです。

ただ、テクノやハウスはそういった文化の上で成り立った音楽ジャンルであるため、暗黙の了解で許されるといった感じです。

下の引用は、テクノの誕生についてウィキペディアに書いてあるものです。

1980年初頭、アメリカのシカゴでは、その大半がゲイの黒人で占められるクラブにおいてDJによるダンスミュージックのさまざまな実験的DJプレイが試されていた(「ハウス・ミュージック」を参照)。〜音楽作成の素人であるDJや、作曲の知識がなく楽器の演奏もできないクラブ通いの少年たちがDIYでレコードを作り始めたのだった。それは当時DJプレイでも使われていたドラムマシンの単調な反復のビートの上に、彼らの好きなレコードからベースラインやメロディを持ってきて組み合わせるという非常に稚拙なつくりではあったが、シカゴのDJたちはこぞってそれらのレコードを採用した。こうしたいわゆる「シカゴ・ハウス」や、そのサブジャンルであり偶然に生まれた「アシッド・ハウス」によるムーブメントが当時の地元シカゴでは隆盛を極めていた。

wikipedia

ここである疑問が生まれます。
これらの音楽は、日本から見れば逆輸入的なカルチャーの一つとして捉えられるかと思うのですが、
これは、広い括りで見てJ-POPなのでしょうか?

J-POPを「日本の人気曲」と捉えると、
「海外の人が作ってるから違うでしょ。」
とみることが出来ますが、
そこに流れている言語はまさしく我々の日本語。
日本のアニメーション。

これも、先ほどの実体と属性のジャンル意識で考えると
海外の人が作ったものなので属性としては洋楽。

しかし、素材は邦楽のため実体としてはJ-POPと捉えることもできると思いま。。

ん?ポップ?
前回の記事で書きましたがPOPは大衆性や時代に合っている様を表しています。
これだけなら、人気、時代性(インターネット上でのカルチャー)という観点で、POP感はあるのですが、
ポップソングというのは広告や様々なメディアでの利用から社会性、商業性を帯びていると認識できます。
そのため、POPという言葉には汎用的なイメージが付帯しています。
それに比べると、フューチャーファンクの音楽性は、法的にアウトな観点からアンダーグラウンド的、また他国の曲をイジるという観点で実験的だと認識できます。

そう考えると、フューチャーファンクをJ-POPと捉える以前に、シティポップという範疇ですら怪しいとわかります。
もはや、これはシティポップや邦楽とは乖離したものではないか。

しかし、フューチャーファンクの人気により、シティポップが再注目されたのは事実であり、関連性がないとは言えません。
つまり、フュチャーファンクはシティポップではない!
というより
フューチャーファンクが
「何を〜」という目的を持った音楽性ではなく、
「どう〜」といった手段を尊重する音楽性のため、
音楽性が同じベクトルではないゆえに、
2つを組み合わせることが可能で、
その産物がフューチャーファンクであり、シティポップでもある。
ということだと思います。


ちなみに、竹内まりやの「プラスティック・ラブ」を
サンプリングした「PLASTIC LOVE」(現在は削除)は、YouTubeで2000万以上再生され、海外でシティポップが注目されるきっかけになった作品です。
その後、公式からも「Plastic Love」がアップされます。
ここで注目したいのは、公式も
「プラスティック・ラブ」→「Plastic Love」
という英語表記になっていることであり、
これは、ネットを通した海外の文化の許容とも取れます。

シティポップ/ネオトーキョーの美学

自分が生まれる前に流行った曲を聞く若者が捉えるシティポップと
80年代当時の人たちが聞いていたシティポップ、
現代の外国人がフューチャーファンクとして聞いているシティポップ。
このように、受け手側の異なる価値観の中にシティポップがトレンドとして
光を浴びている
ことを認識できます。

それは、それぞれの聴衆により、シティポップの捉え方が異なると解釈できるかもしれません。
しかし、どうやらそうでもないようです。
面白い記事があったので引用します。

On YouTube, where city pop flourishes, listeners dwell fondly on artificial memories of Japan: “I remember back in the day when I’d drive through the Tokyo streets at night with the window rolled down, neon lights on buildings, everyone having a good time, the ’80s were great,” wrote one commenter to the popular mix “warm nights in tokyo [ city pop/ シティポップ], before the illusion dissolves: “Wait a minute, I’m 18 and live in America.” Every city pop upload is filled with similar comments.

Pitchfork

アメリカの音楽メディアピッチフォークからの引用です。
そこの”The Endless Life Cycle of Japanese City Pop”
「日本のシティポップの終わらないサイクル」
というタイトルの記事。

ここに書いてあるのは、
”YouTube上のシティポップ音楽のコメント欄で
「窓を開け、夜の東京をドライブをしてた頃を思い出す。
ビルのネオン街、全てがよかった、80年代は最高だった。。。
待てよ、俺はアメリカに住んでいる18歳だ。」
のような想像上の80年代日本での暮らしを書いたコメントが多くある。”
といったもの。

つまり、現代の外国人もシティポップを聴いて、ある種のノスタルジアを感じていることがわかります。

Nostalgia, as the theorist and media artist Svetlana Boym once wrote, involves “a superimposition of two images—of home and abroad, of past and present, of dream and everyday life.” The emotional response to city pop centers on these twin imaginations: of Japan and the United States, the ’80s and now, the prior promises of capitalism and its current reality. Online, listeners dwell on artificial memories of boom-era Tokyo but also idyllic childhoods watching cartoons, reaffirming Boym’s claim that nostalgia “appears to be a longing for a place but is actually a yearning for a different time.” And while the internet rushes us through time, making one year feel like decades, it also offers us portals to divergent alleyways.

Pitchfork

翻訳

ノスタルジアとは、かつて理論家でありメディアアーティストであるスヴェトラーナ・ボイムが書いたように、「自国と海外、過去と現在、夢と日常という二つのイメージの重ね合わせ」である。シティポップへの感情的な反応は、日本とアメリカ、80年代と現在、資本主義の過去の約束と現在の現実という、この2つのイメージの上に成り立っているのだ。ネット上では、リスナーは好景気時代の東京の人工的な記憶と同時に、アニメを観ていたのどかな子供時代の記憶にも浸り、ノスタルジアとは「ある場所への憧れのようで、実は違う時間への憧れである」というBoymの主張を再確認しているのです。そして、インターネットは私たちの時間を駆け抜け、1年が何十年にも感じられるようにする一方で、異なる路地への入り口も提供している。

ピッチフォーク

要は、80年代のシティポップが歌う明るい未来、
ネオトーキョーの煌びやかなイメージ
それらは、現代から見れば果たされなかった過去の約束であり、
海外の人から見たら、
こういった日本の要素は、遠い文化として憧れの対象であり、
それを自身の日本のアニメに触れていた子供時代と結びつける。
それがノスタルジアを加速する、といった感じです。

そう考えると、
海/車/街/キザな恋心
という私がシティポップから受け取ったイメージは、
ポジティブなイメージの先に、バブル崩壊からの不景気という
日本の現状があり、その中で生まれ、生きているから感じたものだと思います。
具体的には、
当時の価値観で書かれたラブソングが
キザに強調されて見えることや、
最近の音楽で歌われる内的な心理描写のような歌詞とは異なる、
海や車などアクティブさをシティポップに捉えたことです。
そういった文脈の上に、シティポップが立っているとするなら
最初の方に書いた

「シティポップのような音楽性、東京的であれば、最近の曲でもシティポップと捉えていいのか。」
or
「それとも、高度経済成長の中、生きてきた当時のアーティストが作ったもの、いわば時代性を重視したものが真のシティポップであるのか。」

という問いは、
後者の属性を尊重したシティポップが価値のあるものに感じます。
(現在の不景気、どんよりとした空気感の中で、シティポップを真似、
無理に街や車などアクティブな歌詞を歌ったとこで、それが現実を写しているとは言い難く、一種のメディア的お遊び、オマージュにすぎない。)

その点、フューチャーファンクは、海外の視点を挟むことで、
遠い国の昔の音楽としたシティポップのノスタルジアを強調しつつも、新たな文化として開かれたものであると理解できます。

まとめ

今回は、前回の記事とは違う書き方をしましたが、J-POPという抽象的なジャンルの周りには海外の逆輸入的なグレーゾーンがあり、
これからの時代、SNSによるネットカルチャーが加速することを考えると、
そのグレーゾーンが占める割合はますます大きくなるように感じます。
それは、音楽だけではなく、アニメや漫画などの文化全般が対象であり、
それが文化の再加熱に繋がるか、希薄に繋がるか、はたまた両方か。
私としては、他の文化と混じって希薄になろうと、忘れられるよりはマシかなとか思うのですが、皆さんはどうでしょう。

【その3】は書きたくなったら書きます。
それでは。

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