だって今日死ぬかもしれないし。〜ワニの漫画、101日目からの私の物語〜
「だって今日死ぬかもしれないし」
何かをする、しないを決めるときの私の常套句。
他の記事でも書いてますが、私は死を恐れてないし、同時に「今日の死」もあり得ることを念頭に置いて、生きています。
今日死ぬと分かったら、この選択は後悔しないか?リスクを避けすぎていないか?あるいは避けられるリスクを取りすぎてないか?...等々考えます。
...別に何かキッカケがあったわけじゃないんですけど。
(こういう話をするとよく『闇深そう(笑)』『メンヘラ(笑)』と揶揄されるので ...)
・どうせいつかは連載打ち切り
もちろん今日明日で死ぬと分かったらやり切れないし、来週楽しみだったこともなくなっちゃうのかぁ、と悲しくなります。
でもそれは人間に寿命がある以上、いつでも起こり得ることなのです。
それが今日の不慮の事故かもしれないし、80年後の老衰かもしれないし。
漫画の連載が終わるようにスッキリとは終われないのが人の一生です。
どんなに幸せな物語でも、打ち切りでしか終われないのが、生物の『最終回』なのです。
・ファンでいてくれた人とのフラグ回収
今日打ち切りになったとしたら、読者へのフラグは回収できたか?というのを私は時々考えます。
『読者』つまり遺された人たちに、私は『フラグ』つまりモヤモヤやわだかまりを遺したくないのです。
伝えたかったのにまだ伝えてないことや、すれ違いを遺していないか?
約束は守ろうとしたか?
相手や世間に合わせて自分の気持ちに嘘をついたりしなかったか?
私の物語の主人公であり作者の私は、責任を持って出来る限りフラグを回収していたいのです。
夢や目標だってそう。
「海賊王になりたいなぁ〜」
と本気で思いつつ
「でもとりあえず資金とか人脈だよなぁ」
とフリーターに甘んじてる人が主人公の物語が、
『彼の冒険は続く ...!』
という打ち切りエンド迎えたら...
めちゃくちゃ航海、いや後悔しますよね...。
いつかは連載打ち切りになるんだから、とりあえず淡路島くらいまで行っといた方がまだ後悔しないと思います。
・ワニくんの『打ち切り』
こんな考えで生きている私なので、『100日後に死ぬワニ』が
「あと5日残ってましたが、ワニは今日死にました。生きとし生けるものはいつ死ぬか分かりません。」
というエンドでもいいと思ってました。(こんなに話題になってしまったからには無理でしょうけどね ...。)
花見を楽しみにしていたワニくんの人生が『打ち切り』になったわけですが、ワニくんの人生はどうだったでしょう。
読者(周囲の人)(もちろんリアル読者もですが)へのフラグ回収を見てみましょう。
好きな子にはきちんと連絡先を聞き、デートもし、お付き合いに至りました。もし付き合えてない時点で亡くなっていても、きちんと距離を詰めていた行動していた点で、後悔は少ないと思います。
彼の友人らも、元気がないときに慰め合ったり、急な呼び出しにノったりノらなかったり、いじったりいじられたり。
いい感じの距離感の友達と本音で話したりしている様子が伺えます。
「もっとこうしていれば ...」という後悔はあるかもしれませんが、取り返しのつかないような後悔はないだろうと思います。
連載の途中でほんのり見つけたゲーマーの夢も、友人と挑戦してましたね。叶わずとも、挑戦したことはいい経験だったと思います。
...フラグという言い方をしましたが、ワニくんの物語は一話一話に大きな意味や暗喩があるわけでないと私は考えています。
(交通事故を意識させるネタはいくつかありましたがね...ひよこ助けたり、轢かれそうになって『死ねや』と呟く人を見かけたり...)
死など意識せず、日常を生きるワニ。
そのワニが死ぬ日を、知っている私たち。
私たちはワニが死ぬ日を知っているからこそ、(もっと有意義に...!)(早く告白して!)
という応援をしていました。
その感情を自分に向けられたら、もっと後悔なく生きられるかもしれない。
では、どうしたら、いつ死ぬか分からない自分にそんな感情を向けられるか。
...と考えると、やっぱり私は「今日死ぬかもしれない」で今日の予定や行動を決めていきたいなぁと思うのです。
「『人生一度きり!」 』はちょっと重荷だわ...そんな大成できませんわ」
という私でも、
「今日死ぬかもしれないし」
という考え方でならちょっとでも後悔を避けられるし、ちょっとずつ進歩して行けてる気がします。
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