0802_愛を生み出す場所
朝、いつも通りに起きて、でも冷蔵庫にもうキレートレモンがなくって。あぁ、買いに行かなくちゃな、と思う私で今日の一日が始まる。
今日の空も広くて、大きくて、眩しかった。
仕事を終え、今日は歯医者に行く日。
待合で待っていると、治療を終えた小さな男の子に、その子のお母さんであろう人がこんなことを言って慰めていた。
「あれは水鉄砲なんだよ、お姉さんも言ってたじゃん。だから何にも痛くないんだよ。大丈夫だよ。」
話の前後を聞いている感じだと、歯を削っている時にかけられている"水"のことを言っていたみたいで。
それを"水鉄砲"と表現できる歯科助手さん、先生たちが素敵だな。その表現って愛だな。
ついつい、話をこっそりと盗み聞きしてしまった。
なんだか私たちの日常には、"誰か"が"誰か"に向ける優しさと愛情で溢れているな、と思う。
どうして人ってこんなにも優しくて、愛情深い生き物なのだろう。どこでそれを学び、身に付けたのだろう。
その愛はどこから生まれるのだろう。
もちろん、私が知らないだけで他の生物たちもそうなのかもしれないね。
本当に、たった数時間外を歩いているだけでも、ふとした時に出る人々の言動が、"誰か"を想う気持ちからきているもので、でもきっとその多くは狙っているわけではなくて、無意識なもののはず、という場面をいくつも見ることができる。
それでもその優しさや愛情を、純粋な気持ちで相手に渡すのではなく、他の目的のために利用する人、騙すことに使う人。搾取する側の人もいて。
だから時に人を狂わせ、憎しみに変えてしまうことがあるのだと思う。
でもそれって、ものすごく悲しい。
純粋に受け止めたり、無条件に信じられるものであるべきなのにな。
私も、私のためを想い、渡してくれていたであろう優しさや愛情に「恩を感じろ」と言われた出来事をいくつも経験してきたから、正直素直に受け取るのは苦手だ。
優しくされることも、愛情をもらうことも、怖いものだと感じる。
相手の期待通りの私にならないといけなくて、「あの時◯◯してやっただろ」と言われる度に、頼んでいない優しさと愛情を、勝手に私に押し付けてきたのは誰なんだろうと思ってしまう。
私は頼んでいないのに、と思ってしまう。
見返りを求められるのではないかと、気持ちを受け取る度に身構えてしまう。
誰かに想われることは幸せなことのはずなのに、そういった擦り込みが価値観を変えてしまう。
憎しみなんて、すぐそこにあるように感じる。
歯医者さんで出会った親子はその後、
「◯◯くん、もう靴履いてね。お家に帰るよ。」とお母さんが声を掛け、お母さんと受付のお姉さんに見守られて、男の子は元気よくバタバタと靴音を鳴らしてクリニックを出て行った。
人から貰う気持ちを疑うことなく素直に受け止められるような心は、やっぱり純粋で、綺麗で、眩しいな。
その心が一番大切なのかな、生きていく上で。
貰った愛情を受けて自分を大切にして、その愛情を次は誰かに渡すことができて。
そう連鎖していくことで、人は愛を学び、生み出すことができるのだろう。
私も人に優しく、愛情を渡すことのできる私でいたい。
私の中にある憎しみは、誰にも渡すことがないようにしたい。
だけど憎しみを知っているからこそ、人をより大切にできる部分が少なくともあるのだろう。
何も思うことなく自分から出た一つの言葉や行動が時に誰かを深く傷付け、その後の人生までも変えてしまうことがあることを、人一倍理解しているつもりだ。
私は誰も傷付けたくない、憎しみの連鎖は何も生まない。
街中に溢れる"愛"を見つけ続けられるところは、すこしだけ自分の好きなところ、と言ってもいいかな。
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