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カムパネルラ、僕はでくのぼう、として生きるよ

天の川が見たいのよ・・・

パートに出ている宿泊施設の、フロントカウンターにいる私の前に現れたのは、何処にでもいそうな中年女性の二人連れだった。

以前にもここでの投稿で書いたが、八ヶ岳周辺の宿泊施設には、美しい星空を楽しみに来る人も多い。

それにしても、わざわざフロントまで来て、私に向かってそんな事を言う人は珍しかった。

北斗七星は見えたの、でも、私少し視力が弱いから、4番目の星が見えなかった。でも、この人はとても眼がいいから、どうしても一緒に天の川が見たいのよ・・・

そう言って傍らの相方を指差す。

夜も更け始めて、ラウンジではバータイムもはじまっていて、二人の女性も酔っているのかも知れないと初めはそう思った。

そんな私の疑念を打ち消すかのように二人は今度は私の前に星座盤まで持ち出して、真剣な顔をしてもう一度言うのだった。

だから・・・天の川が見たいの・・・そのためにここに来たんだから・・・

絡まれて困惑している私を見て、隣にいた女性スタッフが半分面白がって、お客様、〇〇はうちでも一番星に詳しいスタッフですよ。どうぞ、何でもお訊ききください、なんて言うものだから、二人は今度は身を乗り出して、私の名札を覗きんだ。

いいわねぇ〇〇さん、じゃあお仕事の手が空いたら、私たちのお相手もお願いね
と、ホストの指名ばりに言い添えられてしまった。

何をお願いされたのか曖昧なままに、私は知らぬ間に、
お客様、単に天の川と言いましても、さすがに当地のようなところでも、もう少し辺りが暗くならないと見えません。見たいならせめて夜明け前のほうが最適かと・・・ご存知かと思いますが、天の川は遠く離れた無数の星などの集まりでして、そうそう、それが銀河となって地球や月や火星や、つまり、太陽系の周りを大きく囲んでいるような広大なものなので、単に天の川を見ると言いましても、私たちは内側からその天の川銀河の一部を見ているのに過ぎないでありまして・・・
などと説明をしている。

ふと我にかえり、無気になって知ったかぶりをしているのが急に恥ずかしくなると、背後の事務所の電話がなったのをしおにフロントを離れた。

〇〇さん、ようくみてよ、こちらの方角・・・

星座盤を取り出して二人の女性は私を促す。

施設のテラスには星空を見るためのスペースが確保されていて、仕事の手もまだ空いていないのだが、私はやっぱりふたりに引っ張り出されたのだった。

冬の空気の透明な時期とは違い、春先から初夏にかけては、夜空もうっすら霞んでいる。
それでも、目がしだいに慣れてくると、八ヶ岳高原の夜空には都会では見られない満天の星が現れた。

ふたりの女性客に急かされながら、星空を見上げているうちに、私は不思議な感覚になっていた。

やむにやまれぬ感情に突き動かされながら、駆け出していた。
黒い丘に上り、天の川の見える頂きにやってくると、天気輪の柱の下で、とかどかする体を、つめたい草に投げ出した。

そこから汽車の音が聞こえてきた。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、その中にはたくさんの旅人が、林檎を剝いたり、わらったり、いろいろな風にしていると考えると、もう何とも言えず悲しくなって、また目をそらに挙げた。

そらには青い琴の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら輝き、脚が何べんも出たり入ったりして、とうとう茸のように長く伸びた。

天気輪の柱が輝く三角標になると、何処からか、「銀河ステーション、銀河ステーション」という声が聞こえてきた・・・




世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない

それは宮沢賢治の言葉であり、一貫した信条だった。

私はいつまでももどかしいほどに宮沢賢治の描く世界を理解できなかった。
賢治ほど国民に愛された作家はいないだろう。
また多くの研究者たちが今もなお飽きずたゆまず彼の世界を評価し続けその成果も発表されている。
私は研究者でもなく、単に熱心な読者に過ぎないのだから、読み方はどうでもいい筈だ。
だがいつまでも賢治独特の難解な表現に私は翻弄された。

敬愛する詩人、谷川雁が、後年、子どもの教育として、宮沢賢治の作品群をとりあげていたことも相まって、私は賢治に拘った。

谷川雁は言う・・・

賢治童話にはさまざまの謎がオリエンテーリングの指示書のように、さりげなく秘められている。これを探し出しながら、謎を解きつつ読み進むのが、賢治を読む楽しみの一つである。
宮沢賢治の作品を読むにあたって、その香気を全身に浴びながら、<傑作を深く読む>経験をしてもらいたいと希望する、と。

だが、そう言われれば言われるほど、私は袋小路に入った。
その文体に謎が多すぎるのである・・・

宮沢賢治が博識だったことは有名である。
天文学、物理学、地質学・・・どれも学者顔負けの知識だったという。
賢治自身も科学者に憧れてもいたらしい。
私自身もそうした分野をかじってみて、ようやく少しは賢治が分かってきた気もする。

それにしても・・・理解には程遠い中で、私は谷川雁とは少し違う結論に達した。

賢治の有名なある言葉が閃いた。

私の書くものは詩ではない、私の心象スケッチである・・・

彼を認めた草野心平にそう言った。

宮沢賢治は人並み外れた感性の持ち主である。
その彼が自然に真正面に向かい合い、全身で受け止めた心象を博識なこころが言葉にして表現したものを、常人である私が理解できる筈はもともとないのである。

私はただ賢治の作品を前にして、谷川雁が言うように謎を解き明かすのではなく、そこに迷い込んだ日常では味合えない感覚を楽しめばいい・・・。
半ばあきらめの結論は、私をずいぶん楽にした。

「銀河鉄道の夜」は未完成のまま終わった作品である。
改稿を重ね、完成することなく、第四次稿で終わっている。
だが、この作品が彼の集大成であるのは間違いないのだろう。
人生が必ず未完成に終わる宿命を持っているように、この作品も象徴的である。

「銀河鉄道の夜」は、ジョパンニという少年がカンパネルラという親友と共に、天の川に沿って、時空を超えて、列車で北十字から南十字まで旅する壮大かつ、ダイナミックな話である。

有名過ぎる作品だから、ここで私がそのストーリーを紹介する必要もないが、その中に、賢治は他の作品以上に謎や伏線を散りばめて、その途中には、現実社会で彼に大きな影響を与えた、親友や妹や先生らしき人物をモデルにして、配役している。

さらには、この作品は他の作品以上に意図的でメッセージ性を帯びている。

賢治はこの作品を通して、何を表現したかったのだろう。そして、何を希求していたのだろう。

やはり、ほんとうのさいわい、か?

宮沢賢治は一生を通じて、祈りのひとであり、願いの人であった。
それらを宗教にも求め、父の影響下またはその反発から仏教に、また、親友である保阪嘉内、早逝した妹、トシの影響を受けて、キリスト教にも心酔していて、その影響は「銀河鉄道の夜」にもあらわれている。

だかそれもこれも、結局は真摯にほんとうのさいわいを、追い求めるためにあるものなのだ。

私たちにとって、ほんとうのさいわい、とは?

賢治の孤独は常人の私には量りかねる。
だが、その一部なら「銀河鉄道の夜」という珠玉の作品を通して、十分伝わってくるのだ。

時空を超えて天上にまで生きることの意味を求め、現実社会では満たされないかもしれない願いを、真の幸福を、託した賢治の思いはこの上なく切ない。
その思いは鬱々と星空を見上げる時、私のうちにも痛いほど伝わってくるのだ。


「銀河鉄道の夜」のエピローグは賢治の人生を象徴するように印象深い。

天の川を銀河鉄道で共に回った筈のカムパネルラは、現実社会に戻ると同級生を助けようとして、川でおぼれて死んでしまっていたのだ。

世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。

一心にその事を信じ続けた賢治・・・。

結論として、幸福を切に希求する心と、誰かの犠牲の上に成り立つ幸福との狭間のなかで、我々はどう生きるのか・・・疑問を投げかけたまま、「銀河鉄道の夜」は未完に終わり、賢治も37歳の若さで星となった。

私は、宙ぶらりんな読後感のまま、考えるのだ・・・

深遠な宇宙の神秘の中で、賢治の星は、今、何億光年も離れた場所から、世界全体はおろか、真の個人の幸福さえも見失いがちな、混乱する現代社会をどんな思いで見ているのだろうか?

あくる朝、短い仮眠から醒めて、早朝の作業をしていると、私は再び、ふたりの女性客と会ったのである。

ねえ、〇〇さん、聞いてよ
ふたりはにこやかだ。
天の川が見れたのよ
えっ・・・?
あなたが言ってくれたように、明け方前に外に出てみたの。そしたら念願の天の川が・・・ありがとう、本当に・・・

ふたりの笑顔を見ているうちに、私はまた、おかしな錯覚を感じてしまったのだ。

ひょっとして、昨夜、私は眼前のふたりと銀河鉄道で天上を旅したのではなかったか?

そのへんがどうしても思い出せない。
起き抜けの寝ぼけた頭でまた考える。

それとも、私がジョバンニでカンパネルラは・・・いや、ふたりのどちらかがジョバンニで、カンパネルラで、それもどちらでもいい・・・いやいや、星を見ているうちに、そんな会話をしたのかも・・・

私の困惑をよそに、相変わらずふたりの女性客はジョバンニとカンパネルラのような無邪気さでいつまでも微笑んでいた。

後日、この顛末を宮沢賢治に精通している友人に話してみた。
と、友人は笑いを押し殺したような顔をして、こう言うのだった。

それは、おまえさんが、でくのぼうだからだよ・・・
でくのぼう?
そうだよ、そのふたりの客はでくのぼうを見抜いたんだ
それって皮肉?
いやいや、そうは言っても、でくのぼうになるのは、なかなか難しいもんだよ だからそのでくのぼうを磨けばいいんだよ

禅問答で煙に巻かれたような友人の言葉だが、その時は妙に納得してしまった。

後年、宮沢賢治はあの有名な一文を残した。

雨ニモマケズ風ニモマケズ、から始まるその一文は、死後、賢治の手帳から見つかったものだ。

実はこの一文が、「銀河鉄道の夜」と等しく、宮沢賢治の人生への想いを一番表しているのではないかと、私は内心思っている。

文の後半、賢治はこう綴るのだ。

ミンナニ
デクノボー ト ヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハ ナリタイ


でくのぼうと言えば、どちらかといえば、否定的なイメージがあるが、敢えてそう有りたい、と何故賢治が願ったのか、ずっと疑問だった。

でも今ならわかる。

賢治は本当にそうありたかったに違いない。

カムパネルラ、僕はでくのぼう、として生きるよ

そう呟いてみる。

それはジョバンニの言葉であり、賢治自身の声でもあり、無論、私のものでも、あるのかもしれない・・・。




















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