君とあの夏に見た風景

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 春田が上海に発って数ヶ月が過ぎようとしていた。

 深夜ともなればさすがに昼間のような暑さは影を潜め、風に乗って秋がそこまで来ていた。

 「じゃあ、おやすみなさい」

 牧はわんだほうを後にするとひとり歩き始めた。寂しくなると時々、わんだほうに飲みに来ていた。ちずと鉄平と他愛ない話をして、春田に会いたい気持ちを 酒で紛らすためだ。ふいにスマホの着信音が鳴り、誰からか着信があった。 画面を見ると『春田 創一』とある。

 「もしもし、春田さん?」

 いつものおやすみコール。愛おしい声。風に乗ってどこからか香る金木犀の匂いが、遠い記憶を呼び覚ます。それはかつて別れを告げた恋人の面影。いつか春田ともそんな別れが来るのではないかと、離れていると膨らんで来る不安に押しつぶされ、いつになく感傷的になった。会話が途切れたことを不審に思ったのか、春田の心配そうな声が聞こえる。

 『牧?どうした?』
 「いえ、なんでもありません」

 牧は涙声になるのを必死に堪えた。

 「ちょっと風邪を引いたみたいです」
 『…牧は嘘を吐くのが下手だな』

 信号待ちの交差点。うつむいて信号が変わるのを待つ。

 『牧、ちょっと顔を上げてみ?』
 「え?」
 一体なんのことかと顔をあげると、目線の先には春田が立っていた。

 「嘘…」
 『ホント』
 「夢…?」
 『帰って来た』
 「どうして?」
 『そんなの、牧に会いたいからに決まってるだろ』

 牧の大きな瞳から涙が溢れ出す。視界がぼやけ、煌めくネオンの洪水の中、 春田がゆっくりと歩き出す。

 「点滅するネオンがまるで、打ち上げ花火みたいです」
 「今年は行けなかったけど、来年は一緒に行こうな」

 横断歩道を渡り切った春田は牧のすぐ近くにいて、彼の手を引くとそのまま強く抱きしめた。腕の中で小さく震える背中が誰よりも愛おしかった。


 ◇ ◇ ◇



 深夜とはいえネオンが煌めく交差点の前で男同士が抱き合い、しかもひとりは泣いている光景にいったい何事かと、怪訝そうな表情を浮かべながら通行 人が遠巻きに過ぎてゆく。

 「春田さん、すみません。もう落ち着いたんで」

 そう言うと牧は春田の胸板を押して離れようとする。二人きりの時は終始強気の彼だが、いったん世間の目に晒されると途端に弱気になる。春田にはない、 臆病で繊細な部分があった。

 「え?俺はずっとこうしてたい」
 「いや、そういうわけにもいかないでしょ?どんな羞恥プレイですか」

 恥かしさに顔が紅潮していたが、髪の影に隠れ春田からは見えなかった。

 「なあ、もうひとりで泣くなよ?」
 「もう、泣いてなんかいません」

 小さな意地を張る年下の恋人が堪らなく可愛い。

 「牧、かわいい」

 もう何度か言われた“かわいい”という言葉。どっちがだよ、と牧は心の中で小さく毒付く。

 「さ、帰りましょ。少し持ちますよ」

 牧はするりと春田の腕から抜け出すと、彼の荷物を受け取ろうと手を伸ばした。

 「じゃあさ、手ぇ繋いで帰ろう?」

 悪びれた様子もなくあっけらかんと春田が言う。

 「だから!そういうの誰かに見られてなんとも思わないんですか?」
 「思わない」

 牧は反射的に聞いた自分がバカだと思ったが、予想以上にストレートな答えが返って来て面食った。

 「だって牧と一緒に居る時間が少ないし、ずっと話してたいし、いっぱい好きだなぁって思うし…」
 「あー!わかりました!何ですかそれ。バカじゃないですか」
 「牧ぃー」
 「あははは」

 自然と笑顔になる。春田のそんな何気ないやさしさにいつも救われる。この人はいつもこんなにもたくさんの愛をくれる。自分が何度も何度も不安や寂しさに押し潰されそうになっても、そのたびにそれ以上の愛で包んでくれる。

 春田が差し出した手を取ると、長く外気に触れていたのか、一瞬ひやりと冷たく感じたが、すぐに温かくなった。人肌の温もりはダイレクトに心にも伝わる。もう誰かに見られても構わない。この手を絶対に離さない。牧はそう心に決めていた。


 ◇ ◇ ◇



 牧がシンガポールに発って数ヶ月が過ぎようとしていた。

 鉄平から新メニューの試食をして欲しいと頼まれ、春田はわんだほうへ向かっていた。せっかくの休日の呼び出しに嬉しさ半分、面倒臭さ半分といったところだ。どこからか風に乗って香る金木犀の匂いが、そう遠くない記憶を呼び覚ます。

 カラフルな水ヨーヨー、賑やかな祭り囃子の音、夜空を彩る打ち上げ花火。君とあの夏に見た風景。

 春田はスマホを取り出すと『牧 凌太』と表示されている画面を慣れた手つきで タップした。ほどなくして愛しい人の声が聴こえて来る。いつもの他愛ない会話。電話越しの声は明るく、忙しいけれど充実した毎日を送っていると笑った。

 「なぁ凌太、もうひとりで泣くなよ?」
 『え?なんですか、いきなり』
 「ん…?もうすっかり秋だなぁーと思って」
 『…ふは…なんですか、それ』

 遠くから聴こえる声が、かすかに微笑んでいるのがわかる。心の奥底に沈めた 傷みがときどき揺れて、寂しさを引き寄せる。

 「…会いたいな」
 『……俺もです…』
 「…今度、日本に帰って来る時、蜜柑ゼリー買っとくわ」
 『ふふ…ありがとうございます。でも一口ちょうだいってのはナシですからね』
 「お前、ホント、そういうとこだぞ」
 『あーはいはい』

 見上げた秋の空はどこまでも澄み渡り、あの日の青い空へと繋がっていた。 寂しさを隠した笑い声が届くようにと、秋の風へと乗せた。


 遠く離れた君の街まで。



 🔹 君とあの夏に見た風景 説明書

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 君とあの夏に見た風景は、のちに作る追憶の箱庭から派生した、円盤発売記念です。SSとあせてひとつの作品です。

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 …のちの『追憶の箱庭』へと時空を繋ぐもの です。桜は春田と牧のイメージでもあります。

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 カラフルなビーズ…劇中のワンカット、カラフルな風ぐるまや水ヨーヨーの象徴です。自分が大好きなシーンです。

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 リンゴ飴とわたあめ…大切な夏祭りシーンには欠かせないですよね。

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 うちわ…夜空を彩る花火をあしらいました。春田と牧があの夏に見た風景です。

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  裏面はラストシーンの空です。全ての時空は繋がっているという解釈で、画像は公式から興した牧の背中あたりの空です。

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 ガラスドーム…みかんゼリーです。下から見ると良く分かるのですが、中には小さなみかんを5個仕込んであります。一時、みかん職人になりました笑。これはむしろ気泡がある方が美味しそうなゼリーになります。牧が帰国したら二人で仲良く食べられるよう、スプーンも二本つけました。

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 スワロフスキークリスタルの青いハート…澄み渡る天空の青と二人の愛の象徴です。

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 SS…2018年の秋に感傷的なものを書きたくて、Revivalの歌詞を織り混ぜながら生まれたものです。対になる形で武川さんバージョンもあります。その後、感傷的な夏祭りの光景が観られるとは思っていなかったので非常に驚きました。炎の告白の次に大好きなシーンです。

 劇場版の公開後、牧がシンガポールへと発ったあとのSSを書き加えました。それを今回加筆修正し、レジンとあわせたひとつの作品としました。澄み渡る空が印刷された便箋にプリントアウトしてお届けしました。 


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