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羊の飼い方

羊の飼い方は簡単だ。

私たちの住む世界は、まるで答えも希望もない世界かのように錯覚させられている。

そして、ストレス社会から人々を解放する新たな世界(新時代)が、彼らによってバリエーション豊かに用意されている。

メタバース(超宇宙、完全なる言論思想統制)、資本主義(国際金融資本への階層型宗教)、自給自足コミュニティ(物質主義)、五次元地球(スピリチュアル、高次元詐欺)への移行、挙げ始めればキリがないが、これらに真の解決などないどころか、これらはすべて同じ ' 源 " から発信されたプロパガンダである。

彼らは長い歴史において神話を用いて人々を自分達の思い通りに支配して来たが、彼らは問題を作り出して偽解決策に人々を飛び付かせる天才だ。

問題という悪魔をつくり、解決策という救世主(神)を作り出すのだ。

例えば疫病、病気、精神疾患、家庭環境破壊、戦争、経済破壊、気候変動、食糧危機、エネルギー問題、霊的渇望などを意図的に作り出し、それを解決するための方法をばら撒いて人々を依存させるのである。(偶像礼拝)

これらの解決策は客観的事実である必要がなく、嘘でじゅうぶんである。

たとえ仮説であっても神話をつくって世界的に宣伝すれば、それがあたかも事実かのように大衆を錯覚させることができるからである。

多くの人々は「イメージ」で動いているのだ。

世界を支配するためには、その計画遂行にとって都合が悪い客観的事実を隠蔽または上書きし、数々の神話を作り出して偽解決策(偽メシア)を世界中にばら撒けばよい。

そうすれば大衆は何が本当のことなのかわからなくなり、偽解決策を信じ込んだ者達同士で争い、勝手に分断して自滅(弱体化)してくれるのだ。

仕掛け手はそれを眺め笑いながら、本当に身体に良いものを食べ、水面下で計画を進めていけばよい。

予め用意しておいた、無数の選択肢(偽解決策)を大衆が信じて行動してくれれば、当人は自分の意志で選んだと思いながら、結果的には彼らの計画遂行を推進してくれる駒となる。(捨て駒)

大衆はあからさまに強制しても反発してくるので、自発的に選ばせることで計画を遂行してもらえば良いのだ。人間の自由意志を根絶出来ないがゆえの妥協的戦略である。

まれに少数派だが幸運なことに隠蔽した真実に辿り着く者が出てくる。

もしもその人が勇気を持って立ち上がったならば、それらは「◯◯反対論者」「陰謀論」としてレッテルを貼って世界に宣伝すればよい。そうすればその小さな声は世の中から影響力が抹消される。

万が一影響力を持ち始め、計画遂行に支障が出るようになれば、世論の印象操作と水面下での物理的脅しと攻撃によってその存在を抹消する。そしてそれを隠蔽または正当化して歴史の闇に葬り去ればよい。

今日私達は、これほどまでに狂った世の中に存在している。

なぜこんな世界なのだと悲観しても、現実は一向に変わることがない。

多くの人は何かがおかしいと思いながらも、その違和感をごまかしながら生きている。

ネットで調べても、勇気を出して誰かに聞いてみても、高額セミナーに参加しても、世界を旅しても、誰も知らないし教えてくれることもない。

暗黒の牢獄の中で彷徨い、結局自分は何のために生まれたのだろう、この違和感はなんだったのだろうと、答えを見出せないまま一生を終える。

いくら稼ごうが、有名になろうが、友達がたくさん出来ようが、それらはすべて地上においていかなければならない。

そんなことを考えると頭が変になりそうで、なるべく考えないようにしている。急いでスケジュール帳の空白を埋める。

人は孤独を感じ、本当の理解者を求め、心が通じ合い信頼できる仲間を求めている。

しかしそこには数々の偽解決策という罠が張り巡らされ、嘘と知ったかぶりばかりの書籍が書店に並んでいる。ネットも情報が多いだけで求めていたものはいつまでも無いし、主張が強いばかりで本当は何も面白くない。

新しいことを知ると、その瞬間は満たされたように感じるが、根本的な何かが決して変わることはない。

しばらく続けていると、それはまた色褪せていく。

それを繰り返すうちに、この世界はそのようなものなのかもしれないと、一種の悟りのような心境になり、もはや何かに挑戦したり、真理を求めるという意欲そのものが消滅していく。つまりあきらめていく。

これが執着を手放すなどと言って良しとされる思想で、これさえも彼らによって世界中に宣伝されたものなのだ。具体的に言えば、神への祈りは瞑想に変えられたのである。

人々は次第に「守り」に入るようになり、自分や自分のお気に入りの人のことばかりを考えるようになる。自分の信じているものや意見に確信が持てず、何かを強く主張することも出来なくなる。ただ根拠のない違和感だけが残る。

檻に入れられた野生のライオンは、しばらくの間は抵抗を続けるが、それが長引けば次第に大人しくなってその眼光は消え失せていく。彼らはこれをよく熟知している。

私達の生きているこの世界は、すでに巨大な檻のようなもので、その中に答えなどない。

しかし人々は今でも答えを探している。
この終わりの時代は特にそれが極まった。

答えとは何なのか。

隠された真理とは何なのか。

それは本当は一つしかない。

大切なことは被造物の中に
その答えを求めないことだ。

量子力学や物理学が進んでも
その法則をつくった存在については
人間はいつまでも無知のままである。

被造物の向こう側にある
原初の存在を知り受け入れたものは

この世界の牢獄からの真の解放と
探し続けてきた平安が心の最深部に訪れる。

この存在を神(創造主)という。

私達はこのことを伝えるために生かされている。

これ以上に価値のあるものが何かあるのだろうか。

少なくとも私はこれでじゅうぶんだ。

もう迷うことのない永遠の平安が
求める人すべてに与えられますように。

"もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。"
エレミヤ書 29章13節

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