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【日英】書くことに行き詰まった時に私がやっていたこと

久々の英語に関するnote。ただタイトルにも書いた通り、今回は英語だけでなく、日本語の長文(主にレポートや論文)を書く時にも当てはまるものです。書いてるときに行き詰まったり、なかなか書けないスランプになってしまった時に私がよくやっていた習慣をまとめてみました。
この習慣は大学時代のレポート、論文を執筆する中で私が身につけたものですが、社会人になった今でもこれらが役に立っていると思っています。

ちなみに、英文を書く時の単語や表現方法については下記noteで触れていますので、よろしければご覧ください。

行き詰まった時ほど紙とペン

私は学生時代、日英問わず作文やレポート、エッセイを書いてきました。書くことは好きだったのでそのことに拒否反応はなかったのですが、それでも筆が進まない、内容が思いつかない、うまく文章にできないということはよくありました。自分の得意不得意に関係なく「書けない、浮かばない…もうこのまま一生書けないのかしら」と行き詰まってしまうことはよくありました。
そんな時に私を助けてくれたのは紙とペンでした。

下書きを書く
書きたい気持ちに反してうまく文章にできない時、私はルーズリーフや手元にある紙にひたすら書きたいと思っている内容や、頭に浮かんでいる文章を書いていました。脈絡がなくても、英語の場合は文法がぐちゃぐちゃでも、とりあえず書きたい内容や文章をひたすら紙に書いていました。
すると手書きとはすごいもので、手を動かして書いてるとだんだんと頭がスッキリしてきて、あれほどパソコンの画面とにらめっこしていても出てこなかった文章やアイデア、自分が書きたいこと、どういう文章が適切か、どうやって前後を繋げればいいかがわかってきたりします。そして浮かんだいい文章や、まとめ方をルーズリーフに書いて下書きとし、その後その下書きの文章をパソコンで打ち直すという作業をやってました。
最初からキーボードでやればいいと思うかもしれませんが、私はなぜかこの作業はパソコン上ではうまくできないので、いつも手書きでした。文字を書くという行動がキーなのかもしれません。
レポート全ての文章を下書きするのではなく、あくまで行き詰まった時というのがポイントです。全て下書きするとかなりの労力と時間が必要になってしまいますからね。
ちなみにこの作業を行う頻度は、英文レポートのほうが多かったと思います。数枚のレポートのときも、卒業論文を書いていた時もよくやっていました。

自分で添削する
どうにもこうにも書けない時、新しく書くということを中断し、これまでに書いたある程度まとまった文章を印刷して自分で添削していました。これは日英どちらも、結構頻繁にやっていたことです。
添削のメリットは、自分で書いた文を客観的視線で読めるということです。執筆中には気づかなかった誤字脱字、スペリングの間違い、そして変な表現を見つけることができます。そのときは単に間違えた文章を原稿から完全にデリートするのではなく、手書きの二重線を引くことで、もともと書いていた文章も履歴として残していました。これは実際に新しい文章を書いても、時間が経って読み返すとやっぱり前の文章のほうがいいかもと、「消すことを取り消す」ということもよくあったからです。
さらに、添削することでもっと適切な表現などが浮かんでくることもありました。そういったときは代わりの文章を隅っこにアイデアとしてメモすることで、それが後々大きなお助けアイテムになってくれることもありました。
パソコンの画面上でもできることをなぜわざわざ印刷するのかというと、その方が間違いなどに気づきやすいと感じていたからです。そして、書き直したいところをマークしたり、添削文を入れるプラスアルファの作業は、手書きのほうが圧倒的に楽で自由度が効くと感じていました。

たまには紙とペンを取ろう

私が今回書いてきたことは何かの学術的根拠があるわけでもなく、あくまでも私の体験をもとにしたものなので、これが正しいというわけではありません。合う人合わない人、様々だと思います。
当時は私のPCスキルも弱かったですし(今もたいしてあるとは言えませんが)、スマホも世に出たばかりという状況だったので、今とはだいぶIT機器の普及度や洗練度も異なります。今は手書きができるタブレットもあるので、わざわざ紙とペンを用意する必要もないのかもしれませんね。
ただ、たまには気分転換の一種として紙とペンを取ってみるのもいかがでしょうか。目も疲れにくいのでおすすめです。

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