見出し画像

世の中で「事になっている」ことの多さにたいそう疲弊し、絶望した話【日記】

皆さん、映画ってお好きですか?

では、tiktokは?YouTubeは?人生はいかがでしょうか。

長らくnoteを更新していなかったのは多忙であることと共に、世の中で起こるエンターテイメントな事象がすべて腹立たしく、それと同時に疲弊していたためです。 
いつも以上にSNSの反応が遅れていたのは、完全に心を持っていかれていたからです。

かくいう私も、過去のnoteに自分語りを複数本書いていますが、その最後は大体今は幸せだった「事になっています」。

tiktokも映画もYouTubeも、そこで展開される全てのことはカメラ内だけに収まってプロによって綺麗に編集されたフィクションです。

カップルが寝起きに撮影している風の動画も、ドッキリも、戦国時代にタイムスリップするやつも、ホラーなやつも、全て誰かの思惑や創作によって成り立ったエンターテイメントであることは当然皆さんも理解していることでしょう。
(ごくまれに、地でエンターテイメントをやってしまう迷惑なアルバイターもいますが。)

例は如実に分かりやすいですが、何もそれは映像作品だけではなく、日常生活でも同じです。


とても素敵な異性に片思いしている「事になっている」、
シゴトに必死に打ち込んだ「事になっている」、
世界一不幸で誰にも愛されていない「事になっている」。

エンターテイメントと一緒で、人間は明確な作為と主張を持って自分をどう見せるかをコントロールする事ができます。

人間ですしそれが当たり前です。
むしろこの行為は、自己プロデュースとかいう自分磨きの常套手段です。

あぁこの人って、今こういう風に自分を見せたいんだなぁーと透けてくる度に、人間のプライドの器を垣間見るようでした。そうやって達観した気になっている自分のことも気持ち悪くなりました。

「この人の中ではそういう事になってるんだから、まあいいや」

傷つきたくないので、全ての事象や人に対してそう思うことにした瞬間、急に人生すべてバカバカしくてどうでも良くなりました。

これまでは水槽に泳ぐ金魚ばちを観察しているような視点で人と関わっていたのです。
嘘も本音も含めて、人間が生き物としての明確な信念を持って動き、生きていると信じて疑っていなかったのです。そうする事で、希望を持ったまま生きていたかったのです。  


世の中は私が思っているよりもどこもかしこもエンターテイメントでした。


頼むから、もう「事にしている」を察させないでくれ。

別に六畳一間に住んでることは恥ずかしくないし、必ず恋が始まるほどクラブは不埒じゃないし、不倫はシンデレラストーリーじゃないし風俗嬢は世界一の不幸ではないし、愛は平等じゃないしLINEは友情の生命線じゃないし、お前の一番好きなのはあたしじゃないし、別に誰かの一番でいたくはないし、お前は別にどうしようもなくカスではないだろ。

頑張ったも好きも心配もしんどいも幸せも不幸せも聞き飽きたし、そういうのじゃなくてもっと、お前とどうしようもない願いとか祈りとか絶望とかの話をしたいんだよ、私は。

もちろん、そうではない、毎日が命がけで信念ある人がこれを読んでくださっていることも知っています。

そういう、魂レベルで本音で向き合える人だけに、今は会いたいなと思っています。


やっと気持ちの整理がついたので、書き記しておきます。

またひとつ、自分の世界に色が足された、という事にしておきます。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?