001瑠璃光寺

山口探訪録 国宝「瑠璃光寺五重塔」

※本記事は全文無料で公開しています。記事を気に入られたら、ご支援いたげると幸いです。

かつて山口県、当時の周防国・長門国は大内家が治めていました。その25代当主・大内義弘を供養するために建立された国宝・五重塔。山口市街から少し外れた香山公園の中にそびえ、山口でも有数の観光スポットであるこの場所をご紹介していこうと思います。

2020/2/27 更新

YouTubeに紹介動画を投稿しました。

大内文化

まず、大内文化とはなんぞやという所を簡単にお話ししたいと思います。

発端は、24代大内家当主・大内大世(ひろよ)が上京した折に、京の文化に感銘を受けたことです。その後、地形が酷似していた山口に、京を模した街づくりを行ったといわれています。
また、大陸貿易や雪舟をはじめとした文化人の招へいを積極的に行い、「西の京」と呼ばれるほどのきらびやかな文化を山口の地に根付かせました。
これが大内文化です。

瑠璃光寺五重塔は大内文化の最高傑作ともされ、京都の醍醐寺・奈良の法隆寺の五重塔と並び、「日本三名塔」に数えられています。

五重塔

画像1

画像2

香山公園の主役、国宝・五重塔です。
離れたところでは美しい佇まいを誇り、近づくにつれその荘厳さに圧倒されます。見る場所によって姿が変わるので、お気に入りのスポットを見つけてみてはどうでしょう。

ちなみに春にはこのような姿に。

画像3

今年は無理そうですが、雪景色もいずれ収めたいですね。

瑠璃光寺境内

元々この場所には、大内義弘が建立した香積寺(こうしゃくじ)がありました。これを毛利輝元が萩に引寺し、その跡地に瑠璃光寺を移築しました。

画像4

境内には線香を立てる鼎(かなえ)があり、お香の香りが立ち込めます。私はこの香りが好きなのですが、皆様はいかがでしょうか。

他には、健康祈願を行う「水かけ地蔵」、八つ落とすことで煩悩を払うとされる「大念珠」、信仰の対象とされる「佛足石(ぶっそくせき)」がありました。

画像5

画像6

ヒシャクによって、祈願の意味も異なるようです。

画像7

数珠の落とし方には個人の性格がよく表れます。
一緒に訪れた代表は勢いよく落とし、私は一つずつ慎重に落としました。

画像8

佛足石にはお賽銭が置かれていました。恥ずかしながら私たちはこの意味を知らなかったため、こちらを健康祈願のものと勘違いしていました・・・。

休憩所

本堂手前には、休憩どころが設けられています。

画像9

画像10

冷やし甘酒はすっきりした甘さで、しょうがの風味が利いていました。

枕流亭

画像11

幕末の薩長同盟を経て、薩摩の西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通らと、長州の木戸孝允・品川弥次郎・伊藤博文らが密議をした場所と伝えられています。
二階から望む五重塔は、素晴らしいの一言でした。

香山墓地

画像12

香山墓地は、長州藩主・毛利家の墓所です。
「そうせい候」の名で知られる毛利敬親公がここに眠っています。

また、墓所の前には「うぐいす張りの石畳」と呼ばれる石畳があります。
ここは、看板のあたりで手を叩いたり強く足踏みをすることで、きれいな音が返ってくるとされています。

画像13

静寂さを感じる園内は、町の喧騒から離れて心を落ち着かせる場所としてうってつけです。四季折々の風景を楽しんだり、夜にはライトアップも行われていますので、ぜひ足を運んでみてください。

番外編 名物「そば寿司」

この名前から、皆さんはどんな料理を想像できますか。
私たちは、寿司の具としてそばを用いたものをイメージしていました。
その正体はこちらです。


画像14

米の代わりとして、そばを使った巻きずしでした。
想像できましたでしょうか。できた方は、想像力が豊かな方と思います。

こちらは近くの食事処で食べることができます。
米とは違った食感や、一味違った形でそばの風味を楽しめる一品となっています。
立ち寄られた際には、こちらもぜひご賞味ください。

ここから先は

0字

¥ 100

記事を読んでいただき、ありがとうございます。 読者の方がいることを、より発信の励みにしていきます。