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遠距離恋愛 【手紙】

拝啓 ○○様

春と嘯く仮初の陽気すら雪に掻き消されていた2月末の○○県。
風邪はひいていないでしょうか。
私は恙無く過ごしております。
まだ私の温もりは残っているでしょうか。
貴方の今に巻き込まれたこの一週間はとても幸せなものでした。

本当は机の上に置いておくはずだったこの手紙。
「そういうところも好きだ。」とあなたは笑うのでしょう。

○○年○月、お別れを乗せた電車は新しい出会いを運んだ。
都会を急ぐ空蝉に馴染めずにいた私にとって貴方との邂逅はまさに僥倖であった。
自分のことをこんなにも好きでいてくれる人がいるなんて幸せ過ぎて死ぬのではないか?と何回も思った。
今の幸せに気づくことなど、夢の中だと分かるようなものだ。
たとえ気付くことが出来たとしてもそれは夢、いつか目覚めなければいけない。
そして目覚めたときに、どれだけ噛み締めていたとしてもやはり私はしっかりと後悔するんだと思う。
それが当たり前にならないように、それに慢心しないように気を付けたい。

いつか貴方は「なぜ私の傍に居てくれるのかわからない。」と言った。
あれからどれだけ頭で言葉を重ねてもやはりどうしても陳腐なものになってしまう。
たった2文字で十分じゃないかという回答は不本意でしょうか。

出会いから今まで貴方と私を繋ぐものは声であった。
貴方の目覚まし時計の不規則な音の配列が断続的に私の睡眠に食い込む。
私のよりも少し早いそれを眠たそうに貴方は止めた。
「おはよう。」
夢うつつ、○○km先で軽やかに支度を始める音。
まだ重い瞼を貴方の声がこじ開ける。
「ほら早く準備しなよ。」
私の目覚まし時計も早く止めなくちゃいけないのに優しい声についまだ甘えていたくなる。
カーテンを開ける音と同時に「眩しい。」と貴方は顔を顰めた。
私の部屋に声よりも光は届かない。
「いい天気だよ。」と告げる貴方。
大粒の雨粒が窓ガラスを叩く音が一気に鼓膜を震わせたような気がして私の眠気は消失した。
空は厚い積乱雲に覆われ、太陽の代わりに稲妻が轟音を大地に響かせながら闇を照らしていた。
まるで宇宙から世界の写真を撮られているようだ。
ここ2、3日の宿雨に鬱然としている私の茫漠とした不安や焦燥感はさらに急き立てられた。
赤石山脈を隔てて横たわる距離はこんなにもどうしようもなく二人の時間を追い越していく。
よしんばどれほど強い風であってもころころした貴方の声を運ぶ電波だけは飛ばされない事がせめてもの救いであった。

○○年○月、貴方の誕生日に少し遅れて初めて異なる2つの空模様を繋ぎとめた。
家で熟考した計画も、貴方を前にした途端に全てがどうでもよくなった。
がらんとしたワンルームに佇む貴方は写真のようであった。
何百分の一の世界の違和感をまるで感じさせない凛とした表情はどこか寂しげで、でもとても強くて、そして何よりガラスのように透き通っていた。
世界と意識を繋いでいるはずの身体からは少しの持続も感じ取れない。
まるで貴方自身が時であるかのように。
自分の人生の傍観者であった私、佯狂で自己保身を貫いていた私、轗軻不遇に苛まれ嘆き恨んでいた私に、色を忘れるほどに目をつぶっていた私に、例えば目が見えなくなってすら鮮やかな景色が思い出せるほどの世界の色を貴方は教えてくれた。
私にとって貴方はもはやただの"恋人"から切り離された徴表となっていた。もしも私に山の緑よりも深い言葉が、海の波よりも高い経験があったならなんと声をかけただろうか。
だけれども貴方は、街灯の消えた貴方の街のとても綺麗な星や月までもを僕の視界から奪い去ってしまう。
貴方は微笑んでいた。哀しみと希望に満ちた強い眼光。そして何よりそれはいつもしっかりと未来を見据えている。
貴方はこれまでどんな時間を送ってきたのだろうか。

美しい花を咲かせる太い根を人は知らない。高くそびえる山の海の底を人は知らない。太い河の小さな水源を人は知らない。
いつか笑顔に溶かした本当の貴方も見てみたい。
ここで会うための時間だったならどれほど良かっただろうとふと過ったが、どんな時間の流れより、きっと今出会うことが何よりも大切だったんだとそう思えた。
貴方の過去の時間に私が置き去りにされないように。
いつか私と貴方とだけの時間を進められるように。
いつか私と貴方の目覚まし時計が1つで良くなるように。

この一週間に限らず、あなたという存在は私にとっての忘れじの記憶となった。
記憶は時に残酷な贈り物である。
それでも寂しさを教えてくれた残酷な貴方は代わりに私に新品の時間をくれた。
貴方との八重の遠もなるべく時間に解決はしてもらいたくない。
後顧の憂いの無いように私もしっかりと貴方との未来を見据えていきたい。

○○駅で暇乞いを済ませて自宅に近づくにつれてまるで動脈のように分岐する首都高、そこを赤血球のように流れる車の列。
町の血管に血液が通いだす。
無数の街灯が地上の星空を作り出す。
何もない田舎だと貴方は笑ったが、私にはこの街の方がよほど空虚に思えた。
貴方がいない自分の部屋も、より一層広く感じた。
私はまた100円のおにぎりとパンを買う日常に戻りました。
貴方も貴方の日常が始まるのでしょう。
一度貴方の真似をして作ってみた料理。同じ作り方だったはずなのに、貴方が作ってくれたのよりもおいしくなかった。

枯れていた表情に水を注いでくれた貴方へ。。
生きててよかったと思わせてくれた貴方へ。
いつも訥々と語る私に、夜の沈黙はあれほど饒舌なものであったことを教えてくれた貴方へ。
自分のなかに「誰か」を作るのが怖かった私に、世界からどう見えるかではなくて、世界がどう見えるかが大切であることを教えてくれた貴方へ。
放置してあるトランクケースにまだ匂いを閉じ込めておきたい。
耳にこびり付いたギターの音でも、テレビをつけてみるでもどうしても沈黙がうるさい。
月曜日の後には土曜日が来てほしい。
貴方の家でセーブして、いつだってそこからロードしたい。
貴方の時間を奪う煙草はシャボン玉に変えてしまおう。
歌を歌うように優しい言葉で包みたい。
でも見つめるのは照れくさいから、貴方の本になりたい。
あの頃の私に、笑った方が楽しかったよと言ってあげたい。
これからもどうでもいいことで笑い合いたい。
限りある命だから、なるべく貴方と笑っていたい。
いつか貴方と同じ日常を歩いてみたい。
鮮やかな不協和音を響かせながら。

入梅の砌、貴方の訪問を心から楽しみにしています。
どうか体にお気をつけてお過ごしください。

敬具 

○○より

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