大人の入り口

40代のプラトニックラブ。
コピーにちょっと興味をそそられて、しかも美しい50代代表みたいな石田ゆり子が出ていると訊いて、暫くぶりにレイトショーに行ってみることにした。
『マチネの終わりに』。

子供が生まれる前は、よくレイトショーに行った。
夫が一緒なら帰りに1杯、その間に映画の感想を話したり、一人の時はゆるやかな坂道をひとりで歩いて帰ったり。
でも恋愛映画は観なかったな…最後に観たのはまだ20代だったのでは?というくらい記憶にない。

土曜の夜9時過ぎ、40代の恋愛映画。
観客は私と同年代の女性たちか、少し歳の行ったカップル、まぁ予想通り。
こんな時間に独りで来ているのに、甘ったるい香水をたっぷり付けている女性がいて、幸い席が遠かったから助かったけれど、あの状態で2時間はキツかったと思う。

結論から言うと、映画は私には、とってもイマイチだった。

2時間に色々詰め込み過ぎて、主人公たちのバックグラウンドも人間性も、主題である部分のなぜ二人が惹かれあい、お互いを唯一無二の存在だと認識したのか、というところも全然描かれていないため、どちらにも感情移入できなかった。
若い女性の稚拙な画策によって誤解が生じ、二人が別れた後、洋子(石田ゆり子)が元婚約者と結婚したのはまぁ分からなくもなかったけれど、嫉妬による横槍で二人が別れる原因を作った若い早苗と、程なく蒔野(福山雅治)が結婚して子供まで作っていたのは、疑問しか残らなかった。

早苗のしたことを二人が知らなかったとはいえ、最初から会話も噛み合わない、思考も理解し合えていない(という描写のある)女性と何がどうしたら結婚出来るのか?
蒔野の気持ちの変化や、経緯が全く描かれずいきなり数年後に話が飛んだりするものだから、すっかり置いてきぼりにされた感じでどうにも消化不良だった。

そもそも、洋子と蒔野がお互いに惹かれるきっかけも何だったのかも分からないし、たった3回しか会わなかった二人の間での、メールやSkypeでの沢山のやり取りも端折られて、深い愛情がどこで芽生えるのか?と。
取り敢えず『50代同士のキスシーンでもこんなに綺麗に撮れるのね』と比較的長いキスシーンを客観的に眺め(!)、しかもそれさえ二人の関係性が弱いものだから、何のエロティシズムもセクシュアリズムも感じないという…あれで感動出来るひとがいたら、話を聞いてみたい。

周りの女性たちは、どう思いながら観ていたのだろう?
良い余韻が残る映画だったら、また昔のようにゆるやかな坂道をゆっくり歩きながら帰っても良かったのだけれど、気分ではなかったので大人しく山手線で帰った。


翌日、どうにも気になったので、積読本から原作を引っ張り出して(少し前に買って、500p近くあったので読まずに放置していた)、ベランダの椅子で読んでみることにした。
天気は次第に曇り空になり、ストールとブランケットを引っ張り出すほどの寒空の下、濃いアールグレイも淹れて、お昼前から夕方までで7割ほど読み進んだ。
昔はもっと速読出来たけれど、言葉をより深く理解してから進むようになった今は当時の半分位のスピードだから、これが限界。

当たり前だけれど、映画と行間の濃度の違いに圧倒された。
蒔野が2度目に会った時、性急に想いを伝えたわけでもなく、それまでにメールやSkypeで数多のやり取りがあったことも、婚約者がいて一線を引いていた洋子の気持ちが蒔野へ揺れ動いた瞬間も、全て納得がいくだけの描写があった。
相変わらず原作でも早苗の行動には納得がいかなかったし、あれほど洋子を必要としていた蒔野なら独身を通していたほうが心情としては理解出来たとは思うけれど、とにかく映画より遥かに重厚なストーリーで、気になる言葉も沢山あった。

40代前半というのは、“大人の入り口"でこの先どう生きるか真剣に考え始める、ひどく不安定な数年だということらしい。
その年齢に差し掛かった二人が、価値観や思考が恐らくこれまでの、そしてこれからの人生でも、これほど共感・共鳴するひとは出てこないだろうとお互いに認識したことで、惹かれあってやまないというのも良く理解出来た。

残りのページは、子供たちが寝静まった夜更けに読み切った。中途半端な読み方はしたくなかったので、コーヒーだけ淹れて。
読了して、恋愛小説だったのかしらこれは?と思った。

一息ついてワイン(最近はピノノワールばかり飲んでいる)を飲みながら思考する。
いくつか気になったセンテンスを反芻してみる。
二人の恋愛は軸ではあったけれど、むしろ40代からの生き方全般について、考えさせられる本だった。

恋愛小説としての感想を敢えて書くのなら。
洋子の考え方は私自身に割と近く、彼女の言葉も行動も、なぜ蒔野の言葉に心を動かされたのかも、手に取るように理解出来た。
あんな風に自分の想いを一瞬にして理解して代弁されたら、それはもう間違いなく惹かれる。
そこまでいかなくとも、どんな人なのだろうと興味を持つには十分値する。
そんなひとには、もうこの先出逢えないかもしれないと考えたら、切ない。
何か(彼女の場合は婚約者との安定した関係)を捨ててでも、手に入れたいと願う気持ちも、別れたあとの行動も、痛いほど分かる。

読了してから映画、という順番だったら、映画は本のイメージ補完として(あくまで補完としてだけれども)もう少し好感が持てたかもしれないし、同じくらいの年齢に差し掛かった者として、心の揺れ具合も理解出来たかもしれない。


余談だけれど、謳い文句に『プラトニック』とあったのに、「Kissしちゃったらプラトニックは成立しないのでは?」と思って調べてみたら、何と"体を重ねなければプラトニックと言える"※のだそう。
※40代の慎みを持って、直接的表現は避けてみた(笑)。
Platonic Loveについてはまだ自分の中でしっくりきていないので、また改めて考察してみたい。


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