“自立“と“大人“は同義?

10年ほど前に購入したトレンチコート、久し振りに着てみたら似合うようになっていた。
ベーシックな形のそれは、30代前半の私にはどうにも似合わない気がして、クローゼットで眠っていたのだ。
中身が漸く追い付いたのかな、と思う。

“大人“の定義は色々あれど、私の中では"自立"と対で考えるべきもの、とここ最近思っていた。
つい先日、大学時代の友人と会ったところ、地方で女性が生きて行くのに、「自立」とは程遠い現実がある事を聞かされ愕然とした。
「地方では簡単に離婚や再婚を、身近な狭いコミュニティ内で繰り返す。
その独特の環境の複雑さから、子供たちは精神的に不安定になり、いじめや学級崩壊も多く、更に女性同士のコミュニティ内での陰湿さは熾烈だ。」
私も耳に挟んだことはあるけれど、こんなに酷いのかと薄ら寒い思いだった。

彼女はそこから抜け出したいと言う。
けれども、自立していないから抜け出せないと。

果たして本当にそうなのだろうか?

抜け出せないと思っている(思い込んでいる)のは自分だけで、一歩踏み出せば案外それは難しくないのではないか?

そう思って、例えば使えそうな資格はないのかとか、20代の頃に身に付けたスキルを一緒に棚卸ししてみたら、沢山リストアップできた(そもそも彼女は優秀な人で、資格マニアでもある)。
今なら、これとこれを使えばサラリーマンの平均年収くらいは得られるし、首都圏は厳しいけれど大学のあった都市ならば充分生活出来る、と言ったら『そんなリアルに考えたことなかった』と。

そんな風に思考停止するほど、狭いコミュニティでの集団心理と同調圧力は凄まじいものらしい。
根が生真面目な彼女だからこそ、逆に今の環境の中で何とかしなければと思い込んでしまったところもあるけれど。

「自立」にも意味合いが沢山あるし、その一点だけで「自立」とは言えないのだけれど、とにかく現状から抜け出したいなら『経済的自立』が成り立つことが先決、と話をした。

『自分の足で立って歩く』

大人なら当たり前のように思えるけれど、大人だから、経済的に自立しているから、といってひとりの人間として自立しているとは限らない。
経済的に自立しているからといって「大人」だとも言い切れない。

大学を卒業して大手企業に就職し、楽しく生活していた彼女が、高校の同級生と結婚して実家の近くへ戻り専業主婦となって、10数年。
いま狭い世界の中で苦しんでいるのは、とても悲しい。
女性の社会進出や地位向上は、まだまだ大都市に限られた話で、地方に住む女性たちの大多数は、そんなの別世界の話、自分は関係ないと考えている。

『キャリアの話?人生の目的?なにそれ?』

私は運良くいまここにいるけれど、もしかして地元で早いうちに結婚していたら、彼女と同じだったのかもしれない。
一生「自立」や「大人になること」の意味も考えず、ただ毎日を生きる"だけ"で。

『あなたの居る場所なんて、遠すぎてTVドラマの世界みたいよ』と言っていた彼女が、自分の足でしっかり歩き始めるために、少しは背中を押してあげられたのなら良いな。
私も迷って悩んでばかりだけれど、少なくともTry & Errorがある人生の方が楽しいと思う。
気になった些細なものを拾ってみたら、それが思いがけず先の未来を彩ることだってある。

『私の大切な旧友が、彩りある人生を歩む一歩を踏み出せますように』

満月に願いをかけて。

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