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また来る春に

またひとつ、歳をとった。

私が生まれ育った地方では、桜が咲くのはGW近くで、もちろん卒業式にも入学式にも全然間に合わなかったから、“桜が咲いたら〜“という言葉にも、桜色に染まる街にもピンと来ていなかった。

けれど都内に住み始めて、例年自分の誕生日付近で満開になる桜を見るようになると、それはそれで何となく嬉しい。
誰に祝われている訳でもないけれど、桜の樹を見上げてどことなく優しい顔をした人たちを見るだけで、こちらも気持ちが円くなったような気がする。

この一年で随分と世界は様変わりしたけれど、時間は淀みなく流れたし、季節もきちんと巡って、いつものように桜が咲いた。
目先の事に捉われて、悩んだり焦ったり、苛立ったり争ったりしていたのは人間だけで、地球の大きな営みと時間の流れの中では、些細な、そしてほんの一瞬の出来事なのだと改めて思う。


先日、ある人に“コンステレーション(Constellation)“という考え方を教えて貰った。

「今起きている事象や状況の一つ一つが、それだけでは何の関係も意味も成していないようであっても、あるとき、それらが一つのまとまりとして全体的な意味を示してくる、それに気づくことが出来るようになる」

思い通りにいかないからこそ、自分が全く予測できなかったり新しい世界を見ることが出来る。
受け止め方、受け入れ方で自由に解釈出来るということ。

しなやかに、柔軟に。
新しい一年は、もっと自由に楽しく生きようと思う。

世の中を思へばなべて散る花の
わが身をさてもいづちかもせむ
                                   ー西行ー

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