呼吸の瞑想(4): 快と不快
おはようございます。前回は「感受」についてお話ししました。私たちはいつも感覚とともにそれに付随する快や不快を感じているということでした。
さて、前回は呼吸に対する喜びや安らぎを感じる訓練をしましたが、実は呼吸以外にも、私たちが普段の生活で受け取る様々な出来事には感受のプロセスが関わっています。たとえば冬の寒い北風に吹かれたときに、寒くて嫌だなと思うかもしれません。これは北風に不快さを感じているわけですね。あるいは暖かいシチューの匂いに心がほっとするかもしれません。これはシチューの匂いに快を感じているのです。このように私たちは常に、外界からの刺激に対して何かを感じ取り、それに対して快や不快を感じています。
第二の四考察(感受に関する考察)
5. 「悦びを感じながら息を吸おう。悦びを感じながら息を吐こう」と訓練しなさい。
6. 「安らぎを感じながら息を吸おう。安らぎを感じながら息を吐こう」と訓練しなさい。
7. 「心のプロセスを感じながら息を吸おう。心のプロセスを感じながら息を吐こう」と訓練しなさい。
8. 「心のプロセスを静めながら息を吸おう。心のプロセスを静めながら息を吐こう」と訓練しなさい。
7番目と8番目の考察は、私たちの普段の生活にある感受に気づきましょう、というものです。「心のプロセス」というのはここでは「感受」のことです。実は、この7番目から瞑想の第2段階とでもいうべきステップに上がります。6番目までは瞑想の対象が呼吸そのものだったのに対し、7番目からは呼吸を足がかりにして、自分自身の内面に入っていくようになります。止の瞑想から観の瞑想へ移行する段階です(前回を参照)。
では少しやってみましょう。まず呼吸の瞑想から始めましょう。今日は少し長目にやりましょう。目を軽く閉じて、呼吸に意識を向けてください。鼻から入ってくる空気を感じてください。口から出ていく空気を感じて下さい。。。しばらく続けてください。。。さて、では呼吸に意識を向けたまま、自分がいまどんな感受をしているか、気づきを得るにしましょう。いま心地よいですか?それとも少し不快な感じがしますか?それはなぜですか?部屋が寒いからですか?椅子が堅いからですか?ちょっと窮屈ですか?自分の感受に気づきを向けながら、呼吸に集中してください。
感じたのが快か不快かはどちらでも構いません。無理に快を感じようとする必要はありません。むしろそんなことをすると逆に心身がおかしくなるかもしれませんから、しないでください。大切なことは、自分が快を感じているのか、それとも不快を感じているのかに正直に気づくことです。
ここで知っておくべきことは、私たちは快を好み、不快を嫌うということです。当たり前のように聞こえますが、これを自覚しておくことは大切です。私たちは快を与えるものを好みます。たとえば美味しい食事や楽しいゲーム、好きな人と一緒にいるのは楽しいですね。スポーツが好きという人もいるでしょうし、一人でゆっくり本を読むのが好きという人もいるでしょう。私たちはそれらのことができるのであれば、したいと思いますね。逆に不快を与えるものからは遠ざかりたいと思います。やりたくない仕事や嫌いな人、あるいは好きではない食べ物とか嫌なにおいのするもの、こういったものからは私たちは遠ざかります。
快を与えるものに近づき、不快を与えるものから遠ざかる、というのは私たちだけではなく、生き物すべてそうです。なぜなら生き物は自分が生きていくのに必要なモノに快を感じ、逆に自分の生命を脅かすようなものに対して不快を感じるようにできているからです。そうでなければ、その生き物は今までの地球の歴史のどこかで絶滅してしまっているはずです。人間も当然、同じです。ですから、物事に対して快や不快を感受することはいけないことではなく、自然なことです。私たちはそうやって自分の行動を決めているのです。
ところが、問題なのは、私たちはいつでも自分の感じている快や不快に気づいているわけではないと言うことです。むしろ、多くの場合は無意識に快や不快を感じています。その結果、やってはいけないことをしてしまったり、やらなければいけないことをやらなかったりということが起こります。たとえば宿題をしなければいけないのについゲームをやってしまった、というのはそういうことですね。宿題は自分にとって不快であり(としておきましょう)、ゲームは自分にとって快なわけです。だからゲームに近づいていって、宿題からは遠ざかってしまうわけです。
別にゲームをやってはいけないとか、あるいはもっと広く、快から遠ざからなくてはいけないとか、そういうことを言っているわけではありません。美味しい食事は快だから、食事をしてはいけないとか言っていたら死んでしまいますね。快は人間が生きていくのに必要なことですから、快そのものを遠ざける必要はありません。ただ、自分がいま快に近づいていっているのだということを自覚することは大切です。それが正しいことであれば、そのまま快を感受すればよいわけですし、適切でなければ自分の行動を変えなければいけません。ああ、楽しいけど、そろそろゲームをやめないといけないな、ということに気づけるわけです。
仏教の修行では、ストイックにいろいろな楽しいことを我慢しなければいけないと考えている方がいるかもしれませんが、そんなことありません。自分が快に感じることは感受して良いのです。ただしそのことを自覚していることが大切です。人間ですから、不快なことにも近づかなければいけないこともあるでしょう。宿題もやらないといけないわけです。自分の快と不快にきちんと気づいていれば、自分の行動を正しくコントロールできます。
呼吸の瞑想になれてくると、普段の生活の中でも呼吸に意識をむけることによって、自分の「感受」に向き合うことができるようになります。たとえば普段の生活で、楽しいことがあったとき、悲しいことがあったとき、強い怒りを感じたとき、苦しいと感じたとき、すっと呼吸に注意を向けて下さい。そして、自分にいまどんな感受が起こっているのかを見つめて下さい。私たちがいかに快を求め、不快から遠ざかろうとしているか、それに気づけるようになれば一段、瞑想の段階を上がることができたことになります。
本日は最後までお聞きくださり、ありがとうございました。
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