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TBSのモニタリングという番組をご存知ですか?

まあ、『ドッキリ』を仕掛けて、その様子を観察するという、昔からあるタイプの番組とも言えます。

この番組に

この変装ばれる?バレない?

というコーナがあります。
これは、プロの歌手が、何者かに変装して歌い、周囲の群衆やターゲットの芸人をモニタリングするという企画です。

この企画の中で、最初は『半笑い』していたターゲットである観客や芸人たちが、仕掛け人である歌手の圧倒的な歌声にフリーズし、魅了されていく様を見るのが、たまらなく好きです。



そして、不覚にも、毎回涙してしまいます。

特に、スキマスイッチの回では、もう号泣。

歌って、どうしてこんなにも魂を揺さぶるのでしょうか。

プロの歌唱力ってすごいですね。


しかし、プロに限らず、歌声は魂を揺さぶります。

私は、合唱曲『群青』を聞くたびに涙しています。

https://youtu.be/fZPTSS9eStw?si=SMTVjSW9b_PIJ1QD

『群青』は東日本大震災で離れ離れになった生徒達を思って、音楽の先生が作った歌だとか。

「群青」の誕生まで

南相馬市立小高(おだか)中学校は、福島県浜通り南相馬市南部の小高区に位置した。東日本大震災では、津波により街が甚大な被害を受け、生徒から死亡者が出た。
この曲を作った、平成24年度卒業生は震災当時、中学1年生をもうじき修了する頃であった。この頃の1年生は106名在学していた。

2011年3月11日は、3年生の卒業式が行われ、午前中で学校は放課となった。その数時間後の14時46分、東日本大震災が発生、津波によって小高の街は甚大な被害を受け、後に小高中の生徒が4人死亡した。死亡者のうち2人は1年生であった。
また、福島第一原発事故によって、小高区が半径20km圏内の警戒区域に指定されたことから、小高中学校も小高区外に避難することとなった。その際、津波で犠牲となった2人を除く104人の1年生もそのほとんど、97人が小高中学校を離れ、北は北海道、南は長崎県まで、全国に散り散りとなった。

4月22日に新学期を迎え、南相馬市北部の鹿島区にある南相馬市立鹿島中学校を間借り(およそ半年後、同じく鹿島区にある南相馬市立鹿島小学校に仮設校舎が完成し移転)して再開した小高中学校も、2年生に進級した生徒はわずか6・7人にとどまった。

友だちが全国に散り散りとなり、原発事故で小高に戻れないことなど、様々な不安が生徒たちにのしかかり、わずか6・7人の2年生も心を痛め、音楽の授業では歌が歌えなくなっていた[1]。音楽の授業を受け持っていた音楽教諭の小田美樹も歌うことができなかった。皆が歌うことの難しさを感じていた。

ある日、歌が歌えなくなった生徒たちの授業を受け持っていた小田が、小高中を離れた生徒がどこにいるのか把握するため、大きな日本地図に生徒の顔写真を貼り付けていると、生徒たちが口々に「遠いね」「どうやったら行けるの」「○○さんはどうしているだろう」「○○市はどんなところなんだろう」「でも、この地図の上の空はつながってるね」など、気持ちを露わにした。そこから、歌うことができなくなった2年生の生徒たちと小田による詩づくりが始まった。そして、2年生の生徒たちが3年生に進級する。

小高中学校では毎年、卒業式の時に卒業生が希望や未来を語った歌を合唱することが、毎年の慣例となっている。

津波で2人の同級生を亡くしたり、遠い疎開先から今もなお戻ってこない同級生などを思ったりする3年生が、思いを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、3年生の思いを地道に小田は書き留めていき、それをつなぎあわせて、「群青」の大筋の歌詞が出来上がった。

この詩に小田が作曲して、平成24年度卒業生のための卒業式の歌「群青―平成24年度 小高中学校卒業生に捧ぐ」が完成した。2013年2月のことであった。「群青」という題名は、小高中学校の校歌に「群青」という言葉があることのほか、小高中の野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の文化祭の「群青祭」といった、小高中を象徴する言葉であることから名づけられた[2]
生徒たち自ら作詞したこの曲を練習するにつれて、長い間歌が歌えなくなっていた3年生の生徒たちも、徐々に歌声を取り戻し、卒業式ではできるかどうか危惧されていた学年合唱で、「群青」を合唱することに成功した。

それ以降、この曲は小高中学校の在校生たちに代々受け継がれている。

ウィキペディアより


私が勤める中学校の卒業式でも、4年前より、この曲を歌ってきました。

2019年3月。
コロナ禍の混乱の中で行われた最初の卒業式。

高校入試後は、感染症対策で生徒達は自宅待機。
もちろん卒業式の練習はなし。

しかも、卒業式に保護者の参列もなしという異例の失業式。

当たり前の日常が突如して当たり前でなくなったことを身をもって知ることになりました。

そんな中、当時担任をしていた生徒達に伝えたのが、

この『群青』誕生の話だったのです。

「君たちは、新型コロナウィルスという未知のウィルスによって、当たり前の日常生活ができないという非常事態にいます。
実は、2011年の3月11日の東日本大震災があった時、私は当時3年生を担任していて、翌日の卒業式の準備をしていた時に、いまだかつて経験したことのない、長い揺れを感じ、『これはただごとではない!』と驚いたことを記憶しています。当たり前のように、明日を迎える保障がないことをみなさんは、今身をもって経験しているわけです。

 みなさんが歌う合唱曲『群青』は東日本大震災で卒業式をできずに、離れ離れになった仲間を思って作られた曲なんです。

 こんな非常事態であっても、こうしてみんなが無事に集まれること自体が尊い奇跡であること。
その意味を感じ取って、歌ってほしい」

 こんな話をした記憶があります。

 
このあと、思い切り歌を歌うことも、人前で大きな声で笑い合うことも憚られる世の中になったことは記憶に新しいはずです。

そんな抑圧された思いもあるせいなのか、余計に歌が心に染みるのかもしれません。

そういえば、昨日行われた職場の忘年会。

この忘年会自体も、実に四年ぶり。

その二次会はカラオケで、思いっきり熱唱したのも、そのせいなのかもしれません。

歌は心。

歌っている時で、魂が震えているのでしょうね。

だから、すっきりとするのかもしれません。

歌って、素晴らしいですね。

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