どんなに新しいものも、 どんなに大事にしていたものも、 時が経てば少しずつ 形が変わったり、 色がくすんだりする。 それは哀しくあり、 それでいて愛しくあるものだと思う。 この街は、 そういうことも含めて素直だ。 それからもう少し歩いた先で 駅の上にまたがる橋を通った。 網の間から線路を覗いたら 沢山の石が敷かれていた。 地下に敷かれた石とは違う。 陽の光と、雨と雪とを浴び続けて 少しずつ形を変えてきた、 哀しくも愛しい、 ここに居る石たちだけの物語。 こ
色のない街にももうすぐ春が来る。 それとも、もう来てしまったのだろうか。 淡くて脆い桃色の花びらを、 わたしは、今年も、 見ることができるだろうか。 真っ赤な電車が、 色をちょっとだけ付けてくれて、 そうしてこの街は、 動いているような気がする。 「いい天気だね」 さっきまで眠りこんでいたあなたを 外に連れ出したのは、わたしだよ、 わたしにありがとう、でしょ。 「ほら、青い」 灰色で、冷たそうな柵や石壁を伝って、 あなたの目線の先を追ったら、 きちんと空だけは、青
先を行ってしまうあなたの 坂の下の方で不思議そうに私を見つめているその目が、 わたしの不安を吸い取っていく。 いつもは届かない背丈も 坂があなたを美しい上目づかいにさせるのだ。 だからこの街はずるい。 今日何だかぼーっとしてるけど、 どうしたの、変だよ、 あ、いつもか。 今日はじめてのあなたの笑顔。 前よりも、ずっと見る回数が少なくなったけれど、 やっぱり、その笑顔を見るために 私はこの街にくるのだと思ったら のんびりした気持ちになれた。 赤い電車
で、どこにいきたいの。 毛布の奥から、私に問いかける声がした。 (どこに行きたいわけではなくて、) (あなたと一緒に居たいだけ、) そうなのだ、 毛布にうずくまるあなたと、 うずくまっててもいいから、 ただ、きちんと会っていたい。 そう言いかけたけど きちんと会うって、? っていうあなたの 不思議そうな顔が思い浮かんだから 咄嗟に、公園にいきたい、 と返した。 ええ、さむいよ、というあなたを 布団から引っ張り出して、 今日は公園にいくことに、いま、決めた。
玄関は大抵の場合開いている。今日もゆっくりとドアノブを回すと、ゴーっと、換気扇が回る音が聞こえてきた。玄関からかすかに見えるベッドの膨らみが、 あなたが寝ている証拠だった。 洗濯かごには大量の洗濯物が入っていて、昨日食べた夜ご飯のおかずの上には綺麗にサランラップがかけてあって、食器は台所のシンクの中に置きっぱなしなままだった。 おはよう、おーい。 「あ、うーん、ぐぐ」 あなたはそう言って、寝ぐせの付いた髪の毛をかき上げて、大きくあくびをした。 「いまおきた」 知ってるよ。
小さなアパートに向かう。 坂を下って、それからまた坂を上って、 ぐにゃりとした先にちょこんと行儀よく立っている、綺麗というわけでもない、 色気のない建物の方へ。 慣れたものだ。5か月も同じ電車を乗り継ぎ、改札を抜け、同じ坂を下っているのだから。 全てが、付き合いたての頃と、何ら変わらなかった。 一個だけ変わったのは、一人で改札を抜けて、一人でアパートまでの坂を下って、家の玄関が開くのを待つようになったことだった。 あなたが迎えに来てくれなくなってから、 改札は、いつのまにか私
地下鉄のくせに日を浴びられるのはずるいと、思う。 なぜこの街で、 顔を出そうと思ったのだろうか。 丸の内線の赤は、私には、 眩しい。 だって、だって、この街は灰色の。 ぐにゃりとした灰色の線でできていて、 先が見えない、それは不安な色と形とで描かれているから、 私は時たまに、そんな線の上を歩いていることが不安でたまらなくなるのだ。 なんで不安になるの? 考えすぎだよ、いつも。 そう言って真っ直ぐに、この灰色の線を、 ただひたすらに走っていくあなたは、眩しい。 不安にさせて