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適応障害に至るまで3🪴

さて、遂に身体に不調のサインが出るようになって意を決して精神科に通うことにしました。

R4.8月末のことでした。

week 1
まずは問診。
入室して5分、色んな負の感情が湧き上がってしまい先生の前で号泣。
(ゔッッみたいな嗚咽混じりの号泣です)

ひとまずどうして会社に行きたくないのか、今湧き上がっている負の感情はどこから来ているのかなどを質問もありつつ、親にも友達にも話せなかったような自分の情けない部分を先生にぶち撒けました。

大体30分くらいでしょうか。
子供に戻ったように声を出して号泣しました。
この時なんだかちょっとだけスッキリした気分だったことを今でも覚えています。
次回予約と、発達の検査は出来るがひとまず今の状況が改善されないと無理ということで次週予約。

week 2
この時はまだ休みを取らずに普通に働いていたので「上司に環境改善して貰えるように進言できましたか?」「同僚で話を聞いてくれる方はいましたか?」みたいな状況確認と、「今の状況としては適応障害ではないかと考えられます。」と。
正直なところ、発達グレーの疑いで精神科に行った私は想像もしていなかった言葉に頭の中が真っ白になりました。そして、適応障害の場合は

①仕事をしばらくお休みすれば回復する場合
②完全に職場と関係性を断ち切る(私の場合は原因となったAさんから離れる)と回復する場合

の2つの選択肢がある事を知ります。

①の場合は休職という選択肢です。
勿論考えました。しかし、休んだところで回復して復帰したら再びAさんと業務を進めることは明らかでした。業務時間外でのLINEや1対1の話し合いをしたところで、この時の私にとってAさんは恐怖の対象でしかなかったので向いていないことは明白でした。

②の場合。
恐らく精神科に行く事を決めた時点で、薄々自分の中ではこうなるだろうと思っていました。
こうしなければずっとこのまま良い状態と悪い状態を行き来することが分かっていたからです。

week 3
2週間ほど開けて9月下旬、その頃の私は残りの有休も使って仕事を休みました。
会社にも退職の意思があることを伝えて、休み以外は全て在宅に変更していただき、仕事の引き継ぎもしていました。
その間も相変わらずAさんや業務の事を考えると冷や汗や動悸、吐き気が治らず、この頃の体重は大体6キロ落ちました。

→160センチ後半の身長で40キロ台でした。流石に目で見ても痩せたと分かるくらい不健康。

食欲もなく、1日1食あるかないかでした。
(持病の薬が朝と夜あるので1食分をその2回に分けて食べたり)

仕事を休んでいるだけでは心が休まることはなく、今こうしている間も私の仕事を誰かがこなしてくれているんだろうな..とかやっぱり戻らないと迷惑だ...などと反芻思考状態。

この時点で精神科より正式に適応障害の診断を貰うことになりました。

但し、私の場合睡眠障害などは特になかったので薬の処方は希望しませんでした。

今思うと、家族でも友達でもない誰かに話したかったんだと思います。そして客観的にどういう状態なのか、これが普通なのか異常なのか知りたかった。

・・・

大変長くなりました。

お付き合い頂きありがとうございます。

適応障害と診断されるまでには人それぞれ段階や手順が違うかもしれません。あくまでも私の場合です。

精神科ってなんとなく敷居が高くて、身体にサインが出たり周りから言われないと中々行きにくい場所ではありませんか?私はそうでした。

でも実際のところはそんなことありません。
一度行ってみて「なんか違うかも?」と思ったらそれきりでやめてしまうでも良い。

ギリギリまで自分を追い詰めてしまう前に、第三者からのフラットな目線で自分を見てもらいましょう。

私は先日精神科に行って、「渡豪して新しい価値観や視点に気付いて凄く楽になりました。(またお世話にならないことを祈って)次の予約はせずに本日で一区切りとさせてください🌱」と言ってきました。

年末に渡豪の後押しをしてくれたこともあって、先生も凄く喜んでくれました。

お世話になりました..!!

ここまで読んでくださってありがとうございました( ¨̮ )

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