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ゲイと家族 第4回|晩秋の木造校舎で|戸川悟

1975年のこと、小学3年生だった私は、父親の転勤で首都圏郊外の新興住宅街から、北陸の主要都市に転居した。それから高校卒業まで、学童期と思春期をそこで過ごした。
今でこそゲイを自認する私であるが、小学校5年生から同級生の女子、酒井さん(仮名)を好きになった。酒井さんとは偶然、中学、高校とほぼ通しでクラスも同じであったのだが、私の彼女への淡い恋心は高校2年まで続いたのだ。

医師の娘で、昔からの趣と風格ある家に住まう酒井さんだったが、その住まいを見るだけで彼女がどこか別格の存在に感じたものだ。大企業とはいえ会社員に過ぎない父を持ち、狭い社宅に住む自分とは違うと感じさせられたのだ。

実際、彼女に漂う可愛かわいらしい気品に私はあこがれをずっと感じていた。今は男らしさを感じる男性しか恋愛の対象にならないことを考えると、自分でも不思議な気さえする。
だた、一人の女子を小学5年から高校2年まで一図に好いて憧れていたのも、歴然としたまぎれもない自分なのだ。

あれは中学3年の時。関西修学旅行からの帰りの貸し切り列車内で、トイレのドアを開けた際、たまたま同級生の女子がカギをかけ忘れたまま用を足していて、きれいなお尻の線が目の前に現れ、大きく戸惑ったことがあった。
その出来事の噂はまたたく間にクラス中を駆け巡り、「見てしまった」ことを純粋に悩む時期が続いたが、酒井さんは私の気持をし量って、「悩んどるげんね~」と、優しく声をかけてくれ、それがすごくうれしかったことを今も忘れずに覚えている。

私が進学した中学には、戦前からの木造校舎がまだ残っており、新築の鉄筋校舎に移る過渡期にある時代だったが、1年次は味わいある木造校舎で過ごした。その木造校舎での中学時代、思春期に突入した私の同性愛的な体験が開花したのだった。
不思議なことに、それは酒井さんのような女子へのほのかな恋愛感情と同時並行なまま、ある意味大胆な同性の友だちとの性交渉が始まった時期でもあった。まるで、憧れや恋愛は女子、性行動は男子が対象と役割が分かれていたかのようだ。

まずは中学1年次の夏休みのこと。地元の旅行社が主催する一泊のキャンプに参加した際、男らしいわんぱくさと聡明そうめいさを兼ね備えた他校のある男子参加者と同じテントで過ごすことになった。
同性愛者としての性の目覚め期にあったと思われる私は、いつのまにか彼の性器に手を出し、彼もそれをこばまなかった。キャンプの空いた時間を狙って互いに遊び半分に楽しんでいた記憶が残る。

ただ、決定的な目覚めと言えるのは、同じ中学1年次の秋、同級生の野中君(仮名)という男子との出会いだろう。彼との関係を通し、実験的ともいえる同性との性的行動を体験することになったのだ。
私の成長過程は晩熟型で、身長もクラス男子の一番低い方、周りからは小学生に見られがちだったが、対照的に野中君は第二次性徴の過程も、性的な行動も普通の男子よりはるかに早熟だった。

奇妙に波長が合い、ある程度仲が良くなっていた我々だったが、秋の日の放課後、野中君にいわゆる「連れション」に誘われ、トイレの個室に連れ込まれたのだ。
野中君は日頃から木材と彫刻刀で、男性器の精巧な梁型はりがたを作って同級生にセンセーションを巻き起こすような変わったところがある子で、私も彼に何かを感じていたのだと思う。

季節は晩秋で、木造校舎のトイレは寒々しかった。「大丈夫なん?」と一応ちゅうちょを示す私に、彼は「悪いことって思わんでいいし~」と悪びれず、私に自慰行為の肩代わりをするよう、いわゆる「手コキ」を求めてきたのだ。
私の方も、さほど抵抗なくしたがった事を覚えている。せき裸々ららな話、彼のペニスは大人のそれに匹敵する変化をげていた。

大人のペニスが目の前に鎮座する状況に、私は恥ずかしながら圧倒されて、あらがう事もできず、野中君は上手に私を導き、私の手の中で射精したのだった。
それまで、男性の体や性器に遠くから憧れていただけだった私が、野中君の強引ともいえる導きにより、大人の体に初めて直接触れて革命を経験したのだと言える。

その後も野中君と私の「密会」は続いた。友だち仲間のクリスマス会を持った時に、彼と私は一緒に当時大流行だった、お笑い芸人ドリフターズの「ひげダンス」をろうすることになり、彼の三階建ての家で幾度か練習を行った。
週末、階下に彼の父親がいて、私は「けっこう怖いんやけど」と訴えたが、「お父さん来んし、大丈夫やから」と野中君は自信ありげで、性的な交渉は毎回持たれた。実際に彼の父親が何かを詮索せんさくするように上がって来たときは冷や冷やしたものだ。

あえて暴露するが、我々の行為はエスカレートし、野中君に導かれるままに、口で刺激し合うことも普通になっていた。
学校帰り、暗くなったアパートの陰でそうした行為をしていたことも記憶に残る。人が近くを通ると野中君はわざとらしく「髭ダンスの練習大変やぞいや~」などと声にだして普通の会話をよそおうのだった。

「髭ダンス」を披露したクリスマス会の終了後、彼と2人だけで会場に残ったのだが、それが最後の「密会」の機会になった。
あまりにその一連の経験が強烈だったせいか、何かにブレーキをかけられたかのように、クリスマス会の出し物の「達成」と共に、野中君との関係は急にえんになっていった。

一方で、自分には親友と呼べる友だちが、それぞれの学年でできて、中学、高校時代の交友関係は豊かだったと言えるが、野中君に導かれて起きたような性交渉は、他の友だちとは持つ機会はなかった。
ただ、その親友のいずれに対しても、どこかで同性愛的なしょうけいの念をもってつきあっていたのは確かだ。事実、彼らに共通しているのは、話題や趣味が合うだけではなく、背が高くて体格がしっかりしていて、一緒にいて幸せを感じられたことだ。
(つづく)

著者プロフィール
戸川悟(とがわ・さとる)
1967年生まれ。ゲイ男性。東京の大学を卒業するも就職して不適応を起こす恐怖感からアメリカ中西部の田舎町にわたり、小さなカレッジで日本語講師を2年間務める。その際、社会学修士号を地元の州立大学で取得。帰国後27歳で、外務省傘下の国際協力機関に就職したが短期で退職。その後、HIV感染者やエイズ罹患者を支援するボランティア活動を経て、精神障碍者の支援を行う福祉相談員として26年間勤務している。
これまで2人の男性と長年の相方となったが、現在は独り身。生涯の伴侶となるような新たな関係を追い求めている、還暦に手が届きそうなおじさん。