特攻文学としての《ゴジラ-1.0》|第6回|井上義和・坂元希美
(構成:坂元希美)
⑥焼け跡で出会った他人同士がコミュニティーをつくるには
★ネタバレ注意★
映画《ゴジラ-1.0》のネタバレが含まれていますので、知りたくないという方はこの先、ご遠慮ください。そして、ぜひ映画鑑賞後にまた読みにいらしてください。
子どもを守るためにコミュニティーをつくる他人たち
坂元 敷島にとって血の繋がっていない「未来」である明子とは、偶然に出会います。
典子が東京大空襲で死にゆく母親から託され、敷島は闇市で典子に無理やり押し付けられ、向かいに住む澄子は、嫌悪している敷島が連れ込んだ典子と一緒にいる赤ん坊のことが気になってしかたがない。
そうやって、明子を中心に小さなコミュニティーが生まれます。
井上 そうそう。明子がいなければ、バラバラな赤の他人同士のままでしたね。家族を戦争で失い傷ついた大人たちが自発的に手を差し出しあって、親と死に別れた赤ん坊を育てていこうとするわけです。
坂元 焼け野原になる前にはあったはずのご近所同士の互助関係が再構築されていく過程でもあり、人間の善なる部分を見せていますけれど、私はふと第99代内閣総理大臣に就任した菅義偉氏が政策理念として掲げた「自助・共助・公助」を思い出しました。なんとなく、菅氏はこのような形を念頭に置いていたのではないかなと。
井上 菅氏が生まれたのは「海神作戦後」の1948年ですが、《ALWAYS 三丁目の夕日》の時代に小学生ですから、ご近所の助け合いをリアルに経験している世代です。ただ、昔には戻れないわけで、そうした互助関係を可能にした現実的条件が何だったのかを見定めて、そこに具体的な手当てをするのが政治の役割だと思います。
コミュニティーの話に戻しますが、興味深いのは、手を差し出すには時間差があることです。まず、典子が「この子は私が守らなきゃ」と、一生懸命に世話をする。澄子も最初は「こんなのを連れ込んで」などと言っていますけれども、お米を持ってきて「これで重湯をつくって、その子に飲ませなさい」と育児のサポートをするようになります。ところが敷島だけが、このコミュニティーにあまり入っていけていません。
坂元 コミットしないのですよね。
コミュニティーへの参加にジェンダー差がある?
井上 コミットの仕方が違う、といった方がいいかな。
敷島は、現在の生活を維持するという点では、一生懸命やっている。にもかかわらず、「なぜ、自分は生きているのか」という過去のトラウマに由来する観念的なこだわりが邪魔して、未来の物語を共有するような関係を構築できないのですよ。
これは責任感とか義務感とは別の問題です。
坂元 戦場でトラウマを負った帰還兵たちの家庭での状況や振る舞いそのものでもありますね。これからアルコール依存症になったり、ワーカホリックになったりするなど、家庭を顧みない父になっていく結末もあり得ました。
井上 「自分はここにいてはいけないのではないか」と、居場所のなさのようなものを抱えながら、家族コミュニティーの中でも孤立していき、血の繋がったわが子であっても、うまく関係を結べなくなってしまうでしょう。
父親や夫としての責任感や義務感が強い人ほど、そうした状態に陥っている自分を責め、ますます苦しむことになる。敷島もそのタイプでしょう。もっといい加減な性格であれば、現実への適応もしやすかったかもしれません。
坂元 現代の家庭でも、そういう事情のおうちは少なくないような……。
井上 じつに示唆的だと思います。その点、典子には「母になる」ことに躊躇がない。
コミュニティーへのコミットのしかたには、ジェンダーによる差があるのかもしれないですね。助けが必要な子どもがいたら、手を差し伸べケアをしようとするのは女性が先とか。男性の場合、コミットするのは直接的なケアの関係性よりも、「ケアする」ための条件整備という間接的な関係性のほうになりますかね。
それは必ずしも固定的な性別役割分業である必要はないのですが。
坂元 そうなんですか……女性が子をケアするのをサポートする人には未来が見えていないのかな。敷島の仕事(掃海艇による機雷処理)はとても危険なものだし、海に出て何日も留守にするし、お金を稼いで家を建てたりすることが保護者としての役目だと思っているようですしね。
井上 いや、明子を必死にケアしているときの典子にも、未来は見えていなかったと思いますよ。だとすれば、目の前の子をケアし、現在の生活を維持するだけなら、やはり未来という言葉はいらないことになる。
そのうえで、未来のことを先に考え始めたのも、典子であることは間違いない。「母になる」はとっくに達成しているので、今度は、敷島と結婚して明子と三人で「家族になる」未来ですね。
そして、そこにこそ敷島との決定的なズレがある。ジェンダー差ではなくて、敷島個人の事情のせいですけど。
坂元 まぜっかえすようですけれど、未来が見える瞬間は人によって違うのだとすれば、いつ「父になる」のかわからないじゃないですか。ハッと未来が見えて、急に子育てに口出しをしたら「何なの、この夫」みたいになりそうですし。
井上 「父になる」のはいつか。未来という言葉を、自分の言葉として使えるようになったときでしょうか。敷島が「お前のお父ちゃんだ」と言えたのは、明子の未来を守るために命を使う覚悟ができたときでした。
命と引き換えに子の未来を託す「父になる」とは
井上 今の時代は確かに、「父になる」とか言って、急に子育てにうるさく口出ししてこられても、身勝手で鬱陶しいだけだ、と思われるかもしれませんね。
自分の命と引き換えに子の未来を託すことで「父になる」ということをなかなか体感できないという人には、特攻隊員の遺書、とくに家族に宛てた手紙を読むことをお勧めします。妻には「子を頼む」ですよ。「子育てに口出し」する内容があったとしても、命懸けで託されたら「何なの」という反応にはなりません。
我が子や弟妹に宛てた手紙を読めば「父になる」「兄になる」がどういうことかわかるでしょう。もしも敷島が明子に宛てて最後の手紙を書くとしたら、どんな文面になるか考えてみると、「父」の心情を理解しやすくなると思います。
坂元 あー、なるほど。「父になる」と言われると、どうしても身近な父親たちの顔を思い浮かべてしまいました。現実に存在した特攻隊員たちの遺書には、死を目前にして「未来という言葉を、自分の言葉として使えるように」なり、父や兄になった瞬間を言葉にして刻んでいるのですね。そういう観点から、もう一度読み直してみようと思います。
一方で「生き残ってしまった彼ら」は、戦後に生きているという現実とのギャップに苦しむことになるのかもしれません。日本公認心理師協会会長の信田さよ子氏は、長く家庭内暴力(DV)や虐待を受けた女性たちのカウンセリングを実施する中で、戦争の影響を感じ取ったと著書で述べています。
マイナスの更地から結ぶ人間関係と、築く「祖国」
坂元 海神作戦は1947年の設定ですから、もし敷島がこのプロジェクトを経ないで典子たちと家庭を築いてしまったら、2、3年後には自殺したり、飲酒して家族に暴力を向ける「危険な父」になっていたかもしれませんね。
そういえば、登場人物の中で、明らかに父だと言えるのは敷島だけじゃないですか。
井上 ほんとうだ! 今気づきました。新生丸の他のメンバー、野田、秋津、水島には家族がいるような描写はないですから。子どもも、明子だけですね。「父になる」というテーマは明子と向き合う敷島ひとりが体現している。
坂元 家族がいるかもしれないし、いないかもしれないし、失ったかもしれないし、元々いないかもしれない。わからないですね。澄子は空襲で夫や子どもを失ったと言っているのでわかりますが、もしかしたら全員が何もかも失ったり、持っていない「更地」の状態なのかもしれません。
井上 何もないゼロではなく、大事なものを失ったマイナスの更地ですね。そこから再出発したとき、それぞれが孤独に負い目を抱えていた彼らが仕事や近所を通じて信頼し合い、協力し合う関係を結んでいきます。
しかし、更地にしたらコミュニティーが自然発生するわけではない。未来や父という言葉が使えるようになるためのプロジェクトが必要だった。
坂元 家や土地だけでなく、人間関係も含めて過去と断ち切られた更地から、家族や共同体を再構築していくというプロジェクトですね。
山崎貴監督はコロナ禍で脚本を練り上げたと話しています。おそらくCOVID-19によって全世界的に、どこでも誰もが更地になりかねない状況が来ていたと考えれば、未来をつかむためのプロジェクトやチームの必要性を感じたのかも。
井上 焼け跡で出会った赤の他人たちが子どもを守るために家族をつくり、コミュニティーをつくる。戦争で傷ついた元軍人たちがゴジラと戦うために自発的にチームをつくる。いずれも、大きな喪失や負い目を、未来へのコミットに転化するプロジェクトです。
これって、建国神話みたいだと思いませんか。私はここに、祖国の想像力を見出したくなります。国家や政府とは違う意味での、祖国です。
坂元 「祖国」という新たなキーワードが出てきました!
次回は祖国とその誕生ストーリーについて考察する「⑦更地から立ち上がる建国神話 『祖国』が生まれるとき」をお送りします。
◎著者プロフィール
井上義和:1973年長野県松本市生まれ。帝京大学共通教育センター教授。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程退学。京都大学助手、関西国際大学を経て、現職。専門は教育社会学、歴史社会学。
坂元希美:1972年京都府京都市生まれ。甲南大学文学部英文科卒、関西大学社会学部社会学研究科修士課程修了、京都大学大学院教育学研究科中退。作家アシスタントや業界専門誌、紙を経て、現在はフリーのライターとしてウェブメディアを中心に活動中。がんサバイバー。