【連載】すべてのひとに庭がひつよう 第3回|うつわのような庭|石躍凌摩
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第3回|うつわのような庭
「庭があって、そこに森があるんです」
「森、ですか」
「そう、来たらわかると思います。そろそろ手を入れないといけないかな、とちょうど思っていたので、アトリエに来られることがあれば、それも見てほしいんです」
陶藝家・金澤尚宜と、その妻さちによるユニット「あよお」(*1)の、かれらが独立してからは初となる個展が月白(*2)であって、うつわを見ながらそれらひとつひとつの奥にある話を聴いているうちに、かれらが窯を据える天草に行ってみたくなった。そこには住居とアトリエと、そうして庭には森があるということだった。
天草まで来たのは、これがはじめてのことだった。私ははじめての土地に来ると、まずはその周囲にある植物を仔細に見るように身体ができている。知らない土地であっても、そこに知っている植物がひとつでもあれば、そこから自分はその土地に馴染んでいけるのだと、いつの日か覚えたのだ。このときもまた、再会の挨拶もそこそこに、玄関をくぐるより前に、私は森の方へと吸い寄せられていった。道に面した入り口から、それはすぐにわかった。だが外から見た印象は、森というよりも藪に近かった。それにつづく生垣も、よく見るような単一種が見やすい形に手入れされたものではなく、ひと目では何と何がそこにあって、それらがどのように絡みあっていまこの壁をなしているのか判然としない。全体、つくろうと思ってつくれるものではなく、なるようにしてなったような庭だった。
森には入口と出口らしい穴が開いていて、中へ這入ると、外からの印象とはまた違って、からだの包み込まれる具合がたしかに森のように感じられた。ギンモクセイ、モッコク、ネズミモチ、ツツジが骨格をなしている空間の中を、一本の道がゆるやかに蛇行して、その中頃にはベンチが設置され、座面にはうつわが置いてある。森の中でうつわを眺められるようにというしつらえであるそうだ。
当初は、このギンモクセイを剪定する手筈で伺ったのだが、それは切らなくてもいいように思われた。そもそも木は、切らずに済むならそれがなによりである。田舎道を車で走らせるとそれはすぐにわかる。街ではおよそ見ることのできない雄大でうつくしい木々はどれもみな、風雨のなせる手をのぞいては、一度も手がかけられていないのだ。だから私もそれにならって、枝々が枯れてもなお立っているのを、風雨がそうするように手折ってそのまま土にかぶせたり、ここから生えたのではさすがに将来苦しいだろうという木を根元から間引いたり、あちこちから生えている竹笹を取り除くと、もうそれだけで、森に風が通るのを感じる。昼飯の合図で外に出てみれば、さっきまで藪のようだった森は、光と風に向こうが透けて見えそうな、見ているだけで清しい空間となっていた。
数年前にかれらがここに越してきたときの、家の決め手となったらしい縁側の、ちょうど目の前に森はある。そこに腰掛けて、森を見るというよりは、その存在を常に肌で感じながら、昼食をとり、おやつどきにはお茶をして、夜にはお酒を酌み交わした。暗くなるにつれてさらに巨きく見えるようだった森から、映写機のような声音で秋虫が鳴くのを聴きながら、森にさえぎられてなお広い星空を眺めた。一日の終わりに蚊帳を張った床の中で、家の内と外とをやわらかく繋ぐ縁側の、すぐそばには森という異界があることを、日々呼吸するようにしてかれらの仕事と生活があるのだ、という感慨があった。
翌朝、外は雨だった。硝子戸をあけると、縁側にはどことなく、雨宿りの気分が立ち込める。雨もいいでしょう、と声がして、雨の日は雨を愉しむということが、彼女のいつもの倣いなのだと腑に落ちる。と、森の裾野に置かれた平たいうつわに、雨水がたたえてある。きのうも見たはずのそれは、雨を享けていよいよ庭と馴染んでいくようだった。ここが陶藝家の庭であるからということを越えて、庭にうつわが据えられている景色はとても自然だった。
ちょうどこれと似たような庭を、私は月白で見たことがある。店先に、植木鉢が二つあって、どちらも草木が生い茂っている。訊くとそれらは、引越しにあたって置き場をなくしたから引き取ってくれないか、とある方から頼まれてやってきたのだという。もともと何が植わっていたのか、いまではとうてい見分けがつかないほどに鉢は鬱蒼としていた。店主曰く、毎日水をやっているだけでそうなったらしい。そうして此間、ツルニチニチソウが生えてきたのにはさすがに驚いて、それがとても嬉しかったのだという。この話を聴いた同じ日に、私はある本の一節に遭遇して、そこからあらためてこの月白の鉢に、あたらしい庭のきざしを見ることになったのだが、いま読み返してみれば、それはあよおの庭とも繋がってくるように思う。
私はあよおの二人が、どのようにしてこの庭をつくったのか、というよりも、どのように庭とつきあえば、庭がときに森にもなるのかということを考えていた。この一文に照らしてみれば、それは自然と一緒に生きるということを、かれらが実践しているからではないだろうか。曰く「ここでは、他に見あたらない草は残すようにしているんです、ここでいろんな生きものが生きられるのが本当に嬉しい」と。つまりあれこれ手をかけることをせず、庭のことは庭が自り然るにまかせて、かれらはただうつわのように、それらがそこに在ることを享けて悦んでいる。そうしたうつわのようなかれらのありようが、ここでは生きものがより生きられるという、うつわのような庭をあらしめている。そうしてそれが、どのようなかたちになっていくのかは、誰にもわからない。
ここには、誰もがそう思いなしているような庭の庭たる由縁の、大胆な書き変えがある。つまり美しさであれ、可愛さであれ、珍妙さであれ、それぞれの趣味趣向にしたがって庭を見ることを重視する観賞主義から、庭に息づく存在そのものを享けて、それらと共に在ることの悦びへの転回である。そうした感性が、結果的に庭をかたちづくることもあるのだと、あよおの庭や、月白の庭に、私は目を開かれる思いだった。
ところで、かれらが森と呼んでいたものは、あるいは杜であったかと思いあたったのは、天草から帰ってしばらく後に観た映画『杜人』(*5)で、環境再生医の矢野智徳によって語られた、次のような杜の語源による。
「木偏に土と書く『杜』の字は、この場所を、傷めず、穢さず、大事に使わせてくださいと、人が森の神に誓って、紐を張った場のこと」
森というには、やはり小さいかもしれない一帯を、それでもかれらは森/杜と呼ぶことで、あたかもそこに紐を張るように、傷めず、穢さず、大事に育もうという意識を張り巡らせているのかもしれない。森であろうと、杜であろうと、とにかくかれらとしての呼び名があるということは、呼ぶものと、呼ばれるものとの間に、独自の関係を築かせる。そこにはまず親しみがあり、ただ森というからはその奥に、畏れもふくむ。
こうした関係をこそ、私は庭と呼びたいのだが、森がある庭──森の中に庭があるのではなくて──というものが、果たして他にあるだろうかと考えてみれば、めったに無いだろうし、私はここより他に知らない。ただ、惜しいと感じる庭は、度々ある。空き地が、たとえばそうなのだ。ひとの手が行き届かないばかりに、他の場所では大手を振って生きられない植物たちが鬱蒼と爛漫と咲き乱れる空き地。そうして、生命の多様性が危機に瀕しているこの時代において、こうした空き地こそが多様性の受け皿となっていることを分析したジル・クレマンは、空き地にかぎらず、人間に放置されたままの土地をすべてひっくるめて「第三風景」(*6)と呼ぶ。
空き地が、空き地のままにそこに存在することは、田舎においては耕作放棄地の問題として嘆かれて久しいが、他方で、都市においては貴重なのだ。不意にあらわれては瞬く間に失われていく空き地に、つど一喜一憂するような私にとって、あよおの庭は目ざましく映る。なぜなら第三風景には庭師の姿が見えないのに、あよおの庭のけしきには、うつわのような庭師がいるから。そうして、まさにこうしたありようこそが、来るべき庭師の実相なのではないだろうか。
あよおの庭はおそらく、かれらの前にここに住んでいたひとがあるとき木を植えたことにはじまって、かれらが越してきてからはつかずはなれず目をかけながらも、なるべく手はかけないことによって、その極相である森にまで至ったのだろう。そこで私たちの分かち合うものが、酸素だけに留まらないことは言うまでもない。またすべての土地が森になったらいいというわけでもないが、なおすべてのひとにそうした森──多様性を享けるうつわが、ひつようなのではないか。生物多様性の危機が、すなわち人類の危機であることは、私たちがいま考えている以上に、きっとそうに違いない。だとすれば、ひとはもっとかれらのように、庭に空き地をつくってもいいのではないか。たとえば庭の一画にうつわを描くようにして、なるべくそこではなにもしないで、傷めず、穢さず、結果を求めず、そこに息づくものたちと、共に生きるという意識を張り巡らせるこころみに、森と名づけて。
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