【シリーズ「あいだで考える」】戸谷洋志『SNSの哲学――リアルとオンラインのあいだ』の「はじめに」を公開します
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はじめに
いきなりですが質問です。あなたはふだん、電車のなかで何をして時間をつぶしますか。
窓からの景色を眺めている、という人もいるかもしれませんし、車内の広告を見回してトレンドをチェックする、という人もいるかもしれません。もしかしたら、今まさに電車のなかにいて、この本を読んでくれているという人もいるかもしれません。
しかし、きっと多くの人は、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を利用しているのではないでしょうか。たとえば、Instagram、Twitter、LINE、YouTube、Tik Tok といったものです。スマホの画面にはSNSのアイコンがたくさん並んでいて、無意識のうちにそれをタップし、気がつくとそこに流れるテキストや写真や動画を眺めている──そうした人がほとんどではないかと思います。かくいう私もそのひとりです。
SNSは私たちの日常のなかに「あたりまえ」のものとして浸透しています。少し大きな言葉を使うなら、SNSは私たちがそのなかに住む「世界」になっているのです。
そうであるとしたら、この世界──つまり、SNSによって成り立っている日常は、私たちの人生にとってどのような意味を持っているのでしょうか。そして、その世界で生きている私たちのひとりひとりは、いったいどのような存在なのでしょうか。
こうした問いを、「リアルとオンラインのあいだ」を行き来しながら考察することが、この本のテーマです。
さて、そんなことを言われたあなたは、もしかしたらこの本がSNSの使い方に関するお説教を垂れるものだと勘ちがいされたかもしれません。「SNSで知らない人と気軽につながってはいけない」とか「SNSでいじめをしてはいけない」とか、そういったことです。そしてそんなことは、もう耳にタコができるほど大人たちから聞かされてきたよ! と言いたい人もいるかもしれません。
私も大人のひとりとして、そうしたお説教に意味がないとは思いません。しかし、少なくともこの本で私が書きたいと思っているのは、そうしたことではありません。あなたに考えてほしいのは、「SNSをどう使うべきか」といったマニュアル的なことではありません。そうではなく、SNSを使っているあなた自身が何者なのかという問いなのです。
SNSが私たちの住む「世界」であるのなら、「SNSについて考える」ということは、「私たちが住む世界について考える」ということです。そして、世界について考えるということは、そこで生きている自分自身について考えること、自分自身を問い直すことを意味します。
たとえば、もしかしたら、あなたはSNSを使うことに息苦しさを感じているかもしれません。そのとき、「だったらSNSなんか使うのはやめなさい!」というのがお説教だとしたら、この本が進めていく哲学的な思考は、「なぜあなたはSNSに息苦しさを感じるのか?」ということを考えていきます。そしてそれは、「SNSに息苦しさを感じるあなたは、いったい何者なのか?」という問いでもあるのです。
もちろん、あなたはそんなことをいちいち考えなくたって、SNSを使いこなすことができているかもしれません。しかし、「考えなくても使いこなせる」ということは、「それを理解している」ということを意味するわけではありません。SNSが私たちにとって日常的なものであるからこそ、かえって、私たちはSNSを、そしてそれを使いこなしている自分自身のことを、よく理解できていないのかもしれないのです。
この本はSNSについて哲学的に考えます。しかし、その本当の狙いは、私たち自身が何者であるかを考えることです。この本を通じて思考を深めていったとき、あなたは、自分自身ともっと親しくなれることでしょう。
最後に、一つ、お願いしたいことがあります。それは、この本に書かれていることを、ただ知識として吸収するだけではなく、「うーん」と頭をひねり、自分なりにあれこれ考えてみてほしいのです。「本当にそうかなあ」「自分の場合はどうかなあ」と、あれこれ思いながら読んでほしいのです。なぜなら哲学にとって大切なことは、偉い人が何を言ったのかということではなくて、自分自身の力で、考えを深めていくことだからです。
私はこの本に書くことを、「考えなければならない」重苦しいものとして、あなたに提示したくはありません。むしろそれが、あなたのなかに眠る「考えたい」という好奇心を呼び起こすものであってほしいと願っています。楽しむ気持ちを忘れないで、生き生きとした探究心を携えて、どうぞ最後までおつきあいください。
前置きが長くなってしまったようです。しびれを切らしているあなたの顔が目に浮かびます。そろそろ本題に移ろうではありませんか。
「SNSの哲学」へ、ようこそ!
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