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40代から自分の可能性を広げる「リトリートプランナー」として-スキー&登山ガイド/リトリートプランナー みやの ゆきこさん-Interview "Spotlight"

今日はインタビュー記事を公開!!

ご紹介するのは、みやのゆきこさん。
40代から自分の可能性を広げる「リトリートプランナー」として活動されています。

元スキー選手でスキーや登山のガイド、ピラティスインストラクター、そして乳がんサバイバーのゆきこさん。

どんな人生を歩まれてきたのでしょうか?

-これまでの仕事


専門学校卒業後、旅行会社へ入社しました。その後、同業他社とフリーで契約し、主に海外スキーのコーディネイトを務める一方で、スキー選手として活動したりスキーメーカーの販促の仕事を担ったりしていました。
現在はスキーガイドスキー教師登山ガイドピラティスインストラクターの顔を持ちつつ、「リトリートプランナー」として活動を始めました。

-子ども時代……体が丈夫になるに連れて活発に


小さい頃は体が弱い方で、しょっちゅう病院のお世話になっていました。
その後は成長につれてどんどん活発になり、向こう見ずでなんでもやらないと気がすまない、かなりやんちゃな性格だったと思います。
またリーダー的な存在になることが多くて、小学校ではずっと学級委員をしていました。

頭を使うよりまず身体を使うのが大好きで、体育が一番の得意科目でしたね。

父はワンダーフォーゲル、母は山岳部と、ともに山登りが趣味でしたので、兄、姉とともに私もよく連れていかれていましたね。

群馬県水上には本当によく行きました。上州武尊山の麓に父が大学時代に所属していたワンダーフォーゲル部の山小屋があったので。
3才頃にはその山小屋前のスロープで、自分の足で登ってスキーで滑り降りるというのを自然とやっていました。

-ひょんなことから競技スキーの世界へ


その後もスキーはライフワークとして、しょっちゅう滑りに行っていて、仲間と遊びで草レースにも出場していました。

それをたまたま見たスキーメーカーから「選手、やってみないか」と声がかかり挑戦してみることに。
全日本スキー技術選手権大会国体に出場しました。

1分でも長く雪の上に立つことが選手として糧になるため、スキーを教える仕事も始め、最初は主に大学生に教えたりしてましたね。

その後、教える層を広げながら、全日本スキー連盟の女性ブロック技術員(全日本スキー連盟公認スキー指導員を指導する立場)としては初の役員にもなりました。

-スキーを教えていて感じていったもどかしさ


技術員としてスキーの指導員資格を取りたい人たちへ教えていて、だんだん違和感を覚えたんですよね。

資格を取るのは"手段"だったのに、いつの間にか"目的"に変わってしまい、合格した途端に燃え尽きてしまって、しばらくスキーを楽しめなくなるという人が続出したんです。

その人たちも当初は、「地域の子どもたちにスキーの楽しさを経験させてあげたい」と資格を目指したはず。
それなのに気がつくと、「資格を取ること」が目的になってしまう

「なんでこうなっちゃうんだろう?スキーって楽しいのにそれを伝えるために学び始めたはずなのに……」ともどかしい思いでした。

-あちこち不調を抱えた中で、ピラティスと出会う


30代後半になると、怪我や不調が絶えなくなっていましたが、病院では対処療法しかないという状態でした。
抜本的に体を変えたい、でもどうやったらいいんだろう」と悩んでいましたね。

友人から「ピラティスというボディメソッドがあるらしい、もしかしたら合うんじゃないか」と勧められ、探してみることに。

2003~4年頃は、まだピラティスが日本に入ってきたばかりで、受けられるところが国内に3ヵ所くらいしかない時期でした。

最初に受けたスタジオではピンとこなくて、思い切って福岡へ行きレッスンを受講しました。

目から鱗でしたね。
「こんなものあるんだ!」という嬉しい驚きと「これを勉強したい」という強い想いが湧いてきて、その後数ヶ月福岡で学び、インストラクター資格を取得しました。

資格取得後は、東京ですぐスタジオオープンして、レッスンを開講しました。

すごく楽しかったですし、スキー関係の人はもちろん、会社帰りの人の参加も増え、プライベートクラスも盛況。

そうして徐々に生徒さんも増えてきたので、他のインストラクター何人かにもクラスを担当してもらっていました。

スタジオの運営は経営面も含め日々細かな処理がたくさんありましたし、もちろんスキーも続けていたので、この時期はとにかく忙しかったですね。

-滑っている姿を撮ってもらうならここしかないと、ニセコへ


ピラティスのスタジオを始めてから本当に忙しかったのですが、ふと「自分が滑っているところを撮影しておきたい」と思ったんです。
それまでスキー用品の販促の仕事などで撮影に立ち会うことはあったけれど、自分を撮ってもらうことはほとんどなくて

ニセコは元々、兄がよく訪れていた場所で、私も何度か滑っていい場所だなと感じていたんですよね。
自分の滑りを撮影してもらうならニセコがいいと、地元のスキーカメラマンの元を訪れました。

ニセコのパウダーを滑りながら「これがスキーだよ!本当に楽しい!!」と感じて。

すごく充実した、特別な時間でした。

-乳がん発覚


そんな中、2007年6月に乳がんと判明しました。

7月に左胸を手術、その後リンパ節へ転移があったため抗がん剤投与のあと、11月に2度目の手術を受け、術後はホルモン治療を5年受けています。

ピラティスのスタジオは頼りになるインストラクターへ1年間お任せした後に閉めることにしました。
ただ、知り合いがその場所をそのまま買い取り再びスタジオとして運営を始めてくれたおかげで、インストラクターの1人として闘病しながらそこで働くことができました。

その後、5年の節目を迎え、ほっと一息ついたと思ったら、「遺伝性乳がん卵巣がん症候群」と診断されて。
母や祖母も女性特有のがんで亡くなっているため、悩みに悩んだ挙句、2014年に卵巣・卵管摘出手術も受けました。

卵巣・卵管摘出後ホルモンバランスの関係で骨密度が低下しやすく、また乳がんのほうも遺伝性だと半年おきに検査が必要なため、病院へは今も定期的に通っています。

-生きたい……生きてもう一度、ニセコで滑りたい


病気で、人生観から何から変わりました

変わったというより、それまで人生観なんてなかったというほうが近いですね。

若かったですし、身体が動くほうで、とにかくイケイケー!とスキーやピラティスにのめり込んで、もちろん大変なこともたくさんありつつ、とにかく好きなことをやってきました

将来のことそこまで考えてなかったんですよね。

病気になって「生きることってなんなんだろう?」ってすごく考えて。

生きたい、死にたくない、やり残してることがまだたくさんある」という気持ちがわき上がってきました。

そして生きて、とにかくもう一度ニセコで滑りたいと強く思ったんです。

病気がわかる直前に撮ってもらった、パウダースキーシーンの滑りが忘れられなくて

その時の写真を病院に持っていき、ベッドの上で眺めては涙を流しながら「絶対にまたここで滑りたい!ニセコへ行く!!」と心に誓い、治療と向き合いました。

-身体と心と……そのバランスの重要性を身をもって感じる


入院中の一時期、うつ病の患者さんたちと同室になったことがあり、いろいろと考えさせられましたね。

うつ病の患者さんたちは、毎日外に散歩に出て身体を動かすことが治療の1つでした。

やっぱり身体を動かすことが、不調に陥った心には必要で効果があるんだなと感じたんです。

自分も実際この時期は、身体が動かせないことで、心を閉ざしてしまう感覚があって。

よくも悪くも引っ張られるんです、お互いに。

身体と心の結びつきの重要性を実感しましたし、身体と心のバランスで人間は成り立っているというのが腹落ちしたんですよね。

-念願のニセコへ立って……嬉しいを越えた世界


手術の翌年2008年早々に、兄にサポートしてもらい治療中の1つの目標だった「ニセコでもう一度滑る」ことを体験できました。

滑ったあのときの感覚は忘れることができません

心の底から願ってた場所に立って感じる、ニセコの風景、耳に聞こえてくるすべての音、足裏に伝わってくる雪の柔らかい感触、思いっきり深呼吸をすると鼻口から感じる冷たい風の香り……嬉しいを越えて涙が止まらなかったんです

生死の狭間にいたから、感覚が敏感で研ぎ澄まされていたんだと思います(普段は霊的なものは全くうといのですが、当時は見えないものが見える感覚さえありました)。

五感を刺激され、自然と一体となったような感覚に、生きて再び立てて本当によかったと思いました。

そして、改めて五感で味わう醍醐味を自分でも大切にしたいと思ったし、こういう世界をもっと他の人にも味わってほしいと感じて。

「そうだ、私はスキーの技術そのものを教えたいんじゃない。スキーが滑れるようになった先に行ける自然に抱かれる世界を味わってほしいんだ」と確信したんです。

-雄大な自然へ安全に連れていくために、反対されながらもスキーと登山のガイド資格取得


自分で行くだけでなく雪山へ人を連れていくには、山のことをきちんと学ばなければいけないと考え、ガイド資格へ挑戦することに。

まわりには反対されましたね

当時すでに40代後半で、女性で男性より体力面で難しいこと、ガイドとして通用するほどの山の知識や経験がほとんどないことなど理由はいくつもあって。

ましてや大病を患った期間が長かったので、以前よりガクンと体力や筋力も落ちていました
普通に元気に生きてきた人と比べると、何倍もの努力が必要強い気力を持たないといけなかったんです。

でも、どうしても安全に雪山へ自然を全身で感じる世界へ連れて行きたい

その一心で頑張って、2015年に無事スキーと登山の2種類のガイド資格を取りました。

雪山での登山やスキーを通して新しいチャレンジを提供し、その体験を通して参加してくれた方たちが笑顔になっていくことが嬉しいですね。

私自身も含めて、自分の可能性を見出すというか、今まで知らなかった世界を一緒に体験できることが醍醐味と感じています。

-山の現実と葛藤


一方で、体力精神力ともにきつくなってきたのも事実です。

ガイドは人様の命を預かる仕事。
そして、山に"絶対安全"はない。
  
自分をはじめ仲間も怪我をするし、ちょっとした事故に遭うこともあります。
それが大きな事故につながったときに、自分がクライアントさんの命を確実に守れるのかという葛藤が大きくなってきています。

クライアントさんのためにも、自分のためにも、ずっとメインのガイドで続けていくのは厳しいと感じ、最近は既存のクライアントさんのみお引き受けする、別なガイドをリーダーとしてそのサブにつくなど、少しずつガイドとしての働き方は変えているところです。

そうした変化の中で、ふと、険しい自然の中だけでなく、もっと身近なところで自分の可能性を見出せるような企画をやりたいと考えるようになりました。

もう少し挑戦しやすいレベルの自然の中で、自分の五感を使って非日常へ一歩踏み出す
自分と向き合い自分の可能性を見つける

その案内人というか、きっかけとなる旅を企画するリトリートプランナー」として活動を始めました。

-「リトリートプランナー」として届けたい想いとは?


もともと、ニセコへスキーにきてくださる方向けにリトリートは企画開催してきたんです。

ただ、ニセコまで来てくださるみなさんはもともとアクティブで、すでに自分が好きなものを知り、トライしている方が多いんです。

でも、世の中そういう方ばかりではないですよね。

中年を迎え、日常生活に大きな不満はないけれど漠然とこのままでいいのかとモンモンとしているでも何をしたらいいかわからない

そういう方もたくさんいると感じています。

私自身も「これまでは自分1人でいろいろとできたきたけれど、この生活が続けられるだろうか」と、これから先を考えて物思いにふけることが時々あるんです。

そんな時、自然の中に立つ。あるいは生活の中で"ちょっとした非日常"を作る。そして身体を動かす

こうやって、自分の中のワクワクする気持ち自分への信頼を取り戻すようにしてきました。

最近スタートした自分だけの"旅"をつくる3ヶ月の講座では

・日々のストレスで緊張した心や身体の状態にまずは気づくこと

・セルフリリースして緊張を緩ませ、身体を整えること

・整った身体で「動く=歩く」ことで、心と身体のセンサーにスイッチを入れ、感情の蓋を外すこと

・オリジナルの旅創りを通して、ワクワクすることから自分のスキを膨らませコア(自分の内側)の強みを見出すこと

を一緒に進めていきます。

身体、そして感情を動かし刺激することで、忘れていた五感を磨き本来あなたが持つ強さを取り戻すことを目指しています。

今、マインドフルネスなどの瞑想を行って自分と向き合う方も増えていますよね。

それはそれで忙しい日々の中で立ち止まるのに有効ではあると思うのですが、身体を静かにさせて瞑想するだけでは五感への刺激としては足りないのではと考えています。

アクティブに身体を動かし、外に行って五感を使う、自然の中で五感が刺激される。

それが「本来あなたが持つ強さ」を取り戻すポイントなんじゃないかと。

私は、背中を押すというか、本来の自分を取り戻すきっかけを作るだけで、答えを与える役割とは考えていないんです。

長く教える立場にもいましたけれど、「こういうの楽しいよ」って心のドアをノックし、新しい世界へ誘う人でありたいと思っています。

そして身体と心のつながりを感じ、さらに自分にとっていい塩梅いいバランスを見つけていく、その背中を押せたらいいですね。

その後はご本人の自由ですし、ちょっとおかしな表現かもしれませんが、自分自身しか自分と最後まで生きる人はいないですよね。

その人にとって最適な状態ってそれぞれだから、リトリートの中で答えを見つけてもいいし見つけなくてもいい。

まずは自分の心と身体と向き合うこと。
そうすると自分のやりたいことや可能性が見つかるんじゃないでしょうか。

なんとなく生きてきて、向き合ってない人が世の中の大半だと思うんです。

リトリートでは、パッケージ旅行じゃなく、自分と向き合い自分の旅を決める。

ワクワクの種からやりたいことをやってみる旅をつくってみる。

その過程が、何か新しい一歩や何か嫌なことを脱ぎ捨てて好きなものを大切にしていく後押しになると考えています。

自分に対しても、クライアントさんに対しても心に置いてほしいと思っているのが

be active, be lively
〜動くことは生きる事!〜

spirits of nature
〜自然を味わう〜

自分が作ったこの2つの言葉です。

病気を経て、再び自然の中に立てる喜び。身体で、そして五感をフルに使って感じる、「生きる」ということ。

それを常に思い出させてくれる2つの言葉は、私の人生そのものかなと思っています。


-今後挑戦してみたいこと……南極のビンソンマシフへ登頂


未知の世界」「学ぶこと」が大好きで、いろいろな場所の歴史も学び続けたいですし、大きな目標としてはまだ行ったことのない南極へ行ってみたいなと思っています。

せっかくだから南極最高峰・ビンソンマシフへ登ってみたいですね。

若い頃とは違っていろいろな制約がある中ですが、山に限らずもっと広く自然の中で新しい世界を体験したいですし、その世界へたくさんの方を案内していけたらと思います。

  

-ゆきこさんとぜひつながってくださいね

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▼ゆきこさんのnote

実は著書も出されている由紀子さんのnote、すごく読みやすく、話題も豊富であっという間に数記事読んじゃってます^^

▼著書   天岩戸神話を歩く: 高千穂から戸隠へ 


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