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及川卓也の『ソフトウェア・ファースト』というアンチパターン

2019年10月10日に発売した、及川卓也の著書『ソフトウェア・ファースト あらゆるビジネスを一変させる最強戦略』。このnoteでは、出版の経緯や書籍づくりの裏話、発刊時に削った原稿の公開など、制作にまつわるさまざまな情報を発信していきます。

こんにちは、及川卓也のマネージャーの酒井と申します。今でこそ多くの方にご愛読いただいている『ソフトウェア・ファースト』ですが、制作中はプロダクト開発におけるアンチパターンをいろいろやってしまいました。この経験は、その後の私たちの仕事で「これ、進研ゼミでやったやつだ!」的な効力を発揮し、立ち止まって考える機会を与えてくれています。どれもあるあるで、皆さまのお仕事を振り返る際にもお役に立てるのではないかと思い、整理してみました。

ここからは、酒井真弓著『ルポ 日本のDX最前線』(集英社インターナショナル)を再構成してお届けます。

筆者(酒井)は独立を機に、ライターに加えて広報やイベントの企画など、一つのキャリアに絞らない働き方をしている。この働き方を選んだのは、平行してさまざまな世界に身を置くことで、世間知らずな自分が少しでも速く成長できるのではと思ったからだ。パラレルキャリアといえば聞こえはいいが、何のプロフェッショナルでもない。パラレル見習いである。 

見習い中の仕事の一つが、及川卓也のマネージャーだ。及川卓也は、Windows、Chrome、Chrome OS、Google日本語入力など誰もが知るサービスを手掛け、2012年には、NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』にも取り上げられたソフトウェアエンジニアだ。目指すはソフトウェアの力で世界を変えること。挑まなければ、得られない。それが及川の流儀だ。

及川は早口だ。講演で人前に立つとさらに熱を帯び、息継ぎをしているのかたまに心配になるほどよくしゃべる。及川を突き動かすのは、変化に乏しく動きの遅い日本企業への危機感だ。及川は自身に期待される役割を「チコちゃん」と表現する。ひとたび舞台に立てば皮肉混じりの物言いが面白く、「いやぁ、うちの役員にも聴かせてやりたい」などと喜ばれる。だが、ほとんどの場合、及川の話はその場限りのエンターテインメントとして消費されていく。チコちゃんに叱られたところで、残念ながら大人たちは明日から変わろうとは思わないのだ。

2019年1月、及川はTably(テーブリー)株式会社を立ち上げた。テクノロジーで企業や社会の変革を支援する会社だ。

「ここ数年、講演するばかりで飽きてしまいました」

起業の直前、及川はたびたびそうつぶやいていた。きっと飽きたのではない。「私は批評家でも先生でもない、開発現場に戻りたい」。そんなエンジニアとしての葛藤があったのだと思う。実績や知名度に安住せず、挑戦の道を選ぶ及川を、筆者はかっこいいと思った。そう、著書を出すまでは。

2019年10月、及川は『ソフトウェア・ファースト あらゆるビジネスを一変させる最強戦略』(日経BP)を出版した。及川の知見を余すことなく詰め込んだ『ソフトウェア・ファースト』は、経営層からエンジニアまで読める実践的なDX本としてベストセラーとなった。しかしこの本、世に出るまでにプロダクト開発におけるアンチパターンをいろいろとやらかしている。美しい装丁を剥いだ『ソフトウェア・ファースト』の真実を書いてみたい。

不純な動機

「本は名刺代わりになりますよ」
 
きっかけは、独立したての及川に商売上手な悪友がささやいた一言だった。及川はこれまでウェブメディアを中心に数多くのインタビューや対談に応じてきた。なかなかいい話をしていると自画自賛したくなる記事も多く、及川は「これらをまとめたら、楽して本が出せるのでは」と考えた。

本の内容は、ソフトウェアエンジニアのキャリア戦略。特にエンジニアチームを率いるマネージャーのスキルに焦点を当てたいと考えていた。親しい日経BPの編集者に相談するとすぐに企画書ができあがり、編集会議を通してくれた。

この時点ですでに一つ目のアンチパターン。及川はただ、本を作ることが目的となっていた。

目的を見失う

編集会議は通ったものの、編集者も及川も多忙を極め、企画はしばらく塩漬けにされた。そのうちオライリージャパンからフルニエ・カミール氏の翻訳本『エンジニアのためのマネジメントキャリアパス』の刊行が決まり、及川がまえがきを寄せることになった。本の紹介文には「管理職についたエンジニアが歩むキャリアパスについて段階的に説明する」とある。どこかで聞いたようなと思いつつページをめくると、及川の伝えたかったことがすべて書かれていた。

名著を前に目的を見失った及川は、自分の本などどうでもよくなっていた。

主体性を失う

数カ月後、編集者から連絡が入った。「あの本、本格的に書き始めましょう!」

だが、及川が書きたかったことはすでに『エンジニアのためのマネジメントキャリアパス』に書かれている。そんな素晴らしい本に寄稿できた時点で、及川はやる気を失っていた。仕方なく編集者が新たな切り口で企画を立て直すことになった。元はと言えば自分が企画を持ち込んだにも関わらず、及川から主体性は消えていた。これがプロダクト開発なら「開発者が主体性を失った時点でおしまいだ」とか真っ先に言いそうなのに。

編集者が作ってくれた新しい企画は、DXが進まない日本企業の課題や今後のサービス開発のあり方を及川独自の視点で追求するものだった。この時点では別の仮題がつけられていたが、これが後の『ソフトウェア・ファースト』だ。

執筆を始めるにあたり、麹町の小さな喫茶店で制作チームの顔合わせが設定され、筆者も同席することになった。本の制作は未経験だが、マネージャーとして何でもいいから及川の力になりたい。喫茶店に向かう途中、予報外れの雨に降られ、慌てて傘を買った。思わぬ出費だ、ついてない。傘を開くと、はじめから骨が折れていた。嫌な予感がした。そして、予感は的中することになる。

まるで多重下請け構造

小さなテーブルに及川、編集者、編集協力者、マネージャー(筆者)の4人が肩を寄せ合い、打ち合わせが始まった。売れそうな企画に盤石な編集体制。「あとは多忙な及川さんが執筆時間をきちんと確保できるかどうかですね」。穏やかな時間が過ぎていった。

しかし、筆者は企画書を一読し、読者の顔がぼんやりとしか見えてこないことが少し気になっていた。筆者が仕事をしてきたウェブメディアでは、同じテーマでもターゲットとする読者によって切り口をガラリと変える。書き手は、これが誰向けの記事なのか強く意識する必要がある。でも、ウェブメディアと本ではやり方が違うはず。素人は黙っておこうと思った。

後日、編集者が目次案を作ってお膳立てしてくれた。あくまでも案。再構成されることが大前提。だが及川は、目次案に従って執筆を進めていった。どこでどう使われるかわからないままに。

及川の執筆スピードは凄まじく速い。本人は悩みながら書いていると言うが、少し目を離すと5000字くらいさらりと書き上げている。おそらく作家になっても成功していただろう。これは編集者にとって助かる反面、プレッシャーでもある。編集者は常にいくつもの本を同時進行している。中には手のかかる筆者もいて、及川一人につきっきりになれるわけではない。及川は日々何かしら進捗し、編集者に報告したりフィードバックを求めたりした。その動きを追従するだけでも大変だったと思う。次第に反応が途絶えがちになっていった。

あろうことか、マネージャーとして及川に寄り添うべき筆者も「及川さんなら大丈夫」という信頼を言い訳に、積極的に関わろうとはしなかった。そして、及川に執筆アレルギーがない分、何の疑問も呈されることなく、文章だけができあがっていった。まるで、IT業界の多重下請け構造そのものだった。

読者の顔が見えない

執筆も折り返し地点に差し掛かったある日、及川と筆者はプロジェクトの中間振り返りを行った。そこで初めて筆者は、「この本は未だに読者の顔が見えてこない。仮に大企業の管理職向けだったとして、その人たちにささる内容や表現になっているだろうか」と正直な感想を伝えた。

エンジニア向けの本なら、アジャイル、スクラム、コンテナといった言葉に説明はいらない。しかし、非IT企業の管理職向けなら取り上げ方から再考する必要がある。また、若手やビジネス層向けなら、ITの歴史を振り返る章は退屈だ。及川まで古く見えてしまう。短く済ませるか思い切って削除でもよいだろう。目玉コンテンツとして及川と先進企業の対談も用意するつもりだが、本来なら、ターゲット読者が「この対談を読みたい」と思ってくれるかどうかから議論する必要があるはずだ。

ここでやっと想定読者のペルソナを作成することになった。これはあえて筆者が担当した。及川でも編集者でもなく、一歩引いた視点が必要だという考えからだ。

できあがったペルソナがこれだ。

今は適当な名前と素材を入れているが、実際には、及川の知人の名前と写真を使い、できる限り及川が具体的にイメージできるよう心がけた。人物像や抱えている悩み、口癖まで細かく言語化したことで、制作チーム内に共通認識が生まれた。必然的に、難しい技術の話に寄り過ぎないことや、どうしても必要なら注釈を入れるといったディテールも固まり始めた。
  
プロダクト開発において最も重要なのは、ユーザーを理解すること。それは、及川自身が常に口酸っぱくして言っていることだった。

意味のない執着

ペルソナが定まったことで及川はますます筆が乗った。実際には、Macbook Proだが。そんな中、できあがりつつある原稿を、筆者と及川の友人で読むことになった。

「長い」「話があちこち行っている」「これは誰のための本?」

筆者らにそんなつもりは全くなかったのだが、及川は傷ついたらしい。「その通りかもしれないが、せっかく書いたし、内容的にも公開する意義はあると思う」、そう言って文章を残そうとした。

不要な文章は要らないコードに等しい。開発者が作ったものに意味もなく執着するとき、ユーザーは置き去りにされる。捨てる勇気を持たなければならない。及川が一番よくわかっているはずのことだった。

人を動かすコトバの魔力

無情にも、刻一刻と入稿日は迫る。及川はもはや何でもいいから体裁を整えて出すことが目的になっていた。及川は筆者にこう訴えた。

「これ、外に出せるクオリティだと思います? 一応、体裁を整えるように頑張るけど、やっつけ仕事になってるなって」

Googleで40人以上の天才エンジニアを率い、世界を変えるインパクトのある開発を成し遂げてきた及川卓也が今、目の前でやっつけ仕事をしようとしている。及川がこうなるまで筆者は何の助けにもなれなかった。マネージャー失格だ。このプロジェクトが始まって以来、筆者に初めて主体性が宿った。

筆者は、及川の人一倍スリムな佇まいを思い浮かべ、早口でまくしたてるときのリズムを頭の中で刻みながら、贅肉のごとく余分な文章を削って削って削りまくった。そして、及川にこう投げかけた。

筆者のこの言葉で、及川は目が覚めたという。ちなみにこの会話がなされたのは、9月13日。入稿日当日だった。デスマーチが始まった。

執念がなしたメークドラマ

デスマーチ、死の行進。IT業界の過酷なプロジェクト進行を表わすスラングだ。入稿日に一から推敲を始め、3万字削り、再構成する行為は、傍から見ればデスマーチ以外の何物でもない。しかし、主体性を取り戻した及川と制作チームにとって、それはまさに「メークドラマ」だった。

メークドラマとは、1995年、読売ジャイアンツを率いる長嶋茂雄監督が低迷するチームを奮起させるために放った言葉だ。この言葉を胸に、翌年チームは最大11.5ゲーム差をひっくり返して優勝するという大逆転劇を演じた。及川は制作チームのSlackで、メークドラマの始まりを宣言した。

及川の好きな言葉に「Creativity Loves Constraints」というものがある。創造性は制約を好む。人は時間という制約に追い込まれてこそ本領を発揮する。結局、最後に物を言うのは「いいものを作りたい」という純粋無垢な執念だ。

プロフェッショナルとは

本を書くことは、傷つくことの連続だ。「もう書きたくない」、及川はそう言って執筆を終えた。こうして書店に並んだ『ソフトウェア・ファースト』は、多くの読者に支えられ、ベストセラーとなった。今では日本を代表するいくつかの企業で、役員の必読書にもなっているようだ。

「長嶋茂雄であり続けることは、結構苦労するんですよ」。長嶋茂雄はかつて、スーパースターであり続ける辛さをこう表現したという。多くのエンジニアが憧れる及川卓也も、少なからずそうだったのではないか。こんな雑念だらけの人間らしい及川卓也もたまにはいい。及川だってこうなのだから、はじめから完璧を目指さずに、まずは一歩踏み出そうぜ、ということが言いたかった。

最後に、たとえ一度や二度つまずいても100倍いいものにしてリリースする、それが及川卓也だということを書き加えておきたい。


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