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ビジネスに新たなエッセンスを!今学ぶべきリベラルアーツ5選

リベラルアーツ3回目となる今回の記事は、今学ぶべきリベラルアーツについて具体的に解説していきます。ただし、リベラルアーツの全てをご紹介することは困難ですので、現代のビジネスにおいて有用であり、日本企業に有益な視点を養える学問に焦点を当てて紹介していきます。


哲学・社会科学

哲学・社会科学はリベラルアーツで学べる重要な学問の1つです。近代哲学の始まりとされるイギリス経験論と大陸合理論、ドイツ観念論から始めるとなると、積読が増えるいっぽうであるため、現代哲学と今後につながる哲学を中心に紹介していきます。

日本の現在の企業や経済は、哲学的にはまだ「モダン」な段階を脱しているとは言えません。「ポスト」という言葉は「後」を意味し、ポストモダンは「モダン」の後に来る哲学を指します。ポストモダンは、二度の世界大戦を経て、ソ連の崩壊による全体主義や計画経済の崩壊といった経験に基づき、「計画・管理・権力という要素が本当に有用なのか」という視点をもたらします。

言ってしまえば、高度に計画され管理された安定や体制は時代遅れであり、素早いテクノロジーの変化や経済の流動性に全く対応できないという前提です。世界や社会、そして人間は、実際にはより流動的であり、安定を実現することは不可能なのではないかという視点でもあるのです。


ポストモダンのジル・ドゥルーズが提唱した「リゾーム」という概念は、相互関係にない異質な者同士が階層や上下関係ではなく、横の関係で結びつく概念を提唱されました。これは現代の複雑で多様化されたビジネスの世界に当てはまっています。大半の日本企業のコーポレートサイトには、ヒエラルキーの階層型組織が記載されています。

しかし、実体は「プロジェクトチーム」「委員会」「タスクフォース」が裏側で活動しており、表側のヒエラルキー組織よりも裏側のチームが戦略的で価値の源泉となっています。流動的なチームが実態の公式の組織よりも重要な役割を果たしている可能性さえあります。


このリゾームは、「根茎」と訳されることから分かるように、根の部分では、通底しています。ビジネスにおいても、大まかな目標や理念では繋がっていればよいという組織の見方です。それはあくまで根の部分であり、表層では、まったく違った要素が登場し、予測できない組織の変化が繰り返されます。このリゾームモデルこそ、変化の速度が加速した現代のビジネスに最も適しているモデルでしょう。

一般的には権限や権力は上から下へと移動するものと認識されています。ところが、ポストモダンのミシェル・フーコーは、権力の分散に注目しました。ミシェル・フーコーは権力が特定の中央の機関や個人に集中するだけでなく、社会全体に広く存在していると考え、個々の人々、制度、知識の構造などがさまざまな形で権力を行使していると述べました。

そうしてフーコーはパノプティコンと呼ばれる監視システムにおいて、権力が特定の機関や人物によって行使されるだけでなく、社会の構造や知識の制度によっても行使されていると主張しました。また、権力は言語や文化の中にも組み込まれており、日常生活や構造にも存在していると考えられます。フーコーは権力の位置が明確ではなく、分散し、目に見えなくなった状態こそが近代社会の特徴だと主張しています。


これは、今の大企業や日本のサラリーマンの状況と似ているかもしれないと思う方もいるかもしれません。労働人口の減少に伴い、労働生産性の向上は経営上の課題となり、「働き方」を変えるための取り組みが企画され、実行されました。

しかし、未だに変化の途上なのは何故なのでしょうか。働き方の規制には、企業側ではなく私たち自身が関与している可能性があります。ひょっとしたら、企業や組織が権限移譲を開放していないのではなく、私たち自身が自分自身を縛っているのかもしれません。


現在の哲学の最先端はクァンタン・メイヤスーを代表者とする「思弁的唯物論」です。唯物論と呼ばれる哲学では、この最先端の思想では、物が哲学の主人公となります。古代ギリシャ以来、哲学の主人公は人間でしたが、今ではそれが変わり、テーブルやバナナや本が哲学の主人公として注目されています。

従来の考え方では、物は人間によって見られるために存在しているとされていました。しかし、思弁的唯物論では、物は関与せずに存在し、そして、物の価値は人間が決めるものではないという立場を取ります。つまり、人間中心主義が払拭され、人間と物が同等に存在する世界観です。これまでの哲学は、人間の「存在」を人間以外から突き詰めたり、人間の内側から追求したりしてきました。

ところが、思弁的唯物論では、森の中にいる人が木々を観察したり、木を見ている自分自身を観察したりするということを追求しています。つまり、全体や真理など、森の中にいる限り解明することはできないのです。人間と自然(物)が同等に存在する世界観は、日本的な文明観と非常に似通っていると言えます。

現実には、人間が考えるパターンや法則、真理などといったものは存在せず、それらは単なる見かけだけではないかという思考も思弁的唯物論から提唱されています。実際、成功した人々や優れた業績を残した人々は、成功の方程式などなく、むしろ「偶然」や「運」「たまたま」「ご縁」などの要素があったと言われています。つまり、不確実性や偶然性を受け入れ、むしろ受け入れていくことが重要ではないでしょうか。

現代のビジネスでは、人間中心が重要視されていますが、哲学はまったく異なる視点を提供してくれます。

このような考え方は、17世紀以降の近代哲学の流れの一部であり、これはビジネスに限らず、様々なニュースを読む際にも考えるヒントを与えてくれます。また、まだ紹介されていない多様な視点があり、これらは私たちに非常に重要な視座を提供してくれるでしょう。

美学・音楽

現代のビジネスの世界では、デザインシンキングやIDEOなどを中心としたデザインファームなど、「デザイン」の有用性がますます高まり、注目を浴びています。デザインには、設計という意味も含まれます。最近では、アート思考やアートシンキングなど、芸術や美術とビジネスの連携の可能性が喧伝されています。美しいプロダクトデザインや驚くべき広告宣伝、文学的なストーリーテリング・ナラティブなど、アートや美術が顧客に感動や共感を与えることができ、顧客のみならず自社の社員を引き寄せエンゲージメントを高めることも可能です。

美しさと聞くと、芸術作品や外見などを思い浮かべる人もいるかもしれませんが、芸術は外面的な特徴にとどまりません。他人を助ける行動や日本でいう「粋」という行為も美と言えます。さらには、数理的な幾何学的もの、シンメトリーという抽象的な世界、山々の連なる稜線にも美は存在します。また、人間が作り出す恐怖や醜悪なものにも美は存在します。もし、美が外見や意匠レベルに留まるのであれば、哲学の一要素として、リベラルアーツとしてこんなにも議論されることはないでしょう。


この美学の中でも注目すべきなのは「崇高概念」というものです。普通に「崇高」と聞くと、神聖なものや宗教的なものを思い浮かべることが多いですが、美学での「崇高」は全く異なります。私たちを驚かせたり、ハッとさせたり、立ち止まらせたりするものを指しています。時には恐怖を感じることもあります。庭の木に大きな雷が落ちて、木が倒れる瞬間などが美学での「崇高」と言えるでしょう。そのような雷の瞬間は、恐怖と同時に強烈な感情も生じます。その強烈な喜びや驚きの感情は、一般的に美とされるものとは異なる概念です。この崇高こそが、心の奥深くに響く衝撃を与え、快美以上の力を持っています。

これは、自然や生物、人間を含めた抗いようのない概念であり、理屈ではない根源的な欲求や感動によって人々を鼓舞する要素となります。崇高概念を秘めた物事は、あちこちに存在しており、ビジネスとしてのチャンスが隠れているとも言えます。崇高さを引き出すことによって、ビジネスにおいても革新的な商品やサービスを生み出すことができるからです。

経営者学者ヘンリー・ミンツバーグは、彼自身が著書「MBAが会社を滅ぼす」の中で、経営の3つの要素を「サイエンス(分析)」「クラフト(経験)」「アート(直感)」と定義しました。アートとは、外部環境や組織の状況を感性で直感的に認識し、人々がワクワクしたり、驚いたりするような創造的なビジョンや発想を生み出すことを意味しています。

現在は、経営においては分析が強調され、アート(直感)が求められています。しかし、感性を磨くことも大切であり、同時に美をどのように認識するかという崇高な視点も重要になってきます。

インパクトのある新商品は、単にかわいい、美しい、おいしいだけでは生まれません。また、AIや機械が人間よりも優れた生産力を持っている時代になってきています。そういった時代の美を考えるとき、私たちを導くものは近代美学の「崇高」の概念かもしれません。

歴史

リベラルアーツにおいては、歴史を学ぶことも重要です。さらに、より踏み込んで歴史を学ぶ上で注目されるのが、歴史と地理を融合させて考える「地政学」と呼ばれる学問です。

地政学は地理的な条件から各国の過去から現在までを紐解くものです。日本では直接的な学部は存在しないため、地政学はあまり馴染みがありませんでしたが、ウクライナ紛争や米中対立などをきっかけに、最近注目を浴びるようになってきました。

ビジネスの世界を含め、環境変化の可能性を予測する手段として、シナリオプランニングやSF的な思考を使って未来を予想し、バックキャスト(目標から逆算)する方法があります。しかし、未来を予測する方法として、歴史と地政学ほど役立つものはありません。歴史は繰り返されると言われるように、現在の状況から可能性のある歴史的な出来事を選び出し、それに地政学的な要素を加えながら、世界の国々と比較しながら、より現実的な国の未来を予測できるのです。「超予測力」(フィリップ・E・テトロック、ダン・ガードナー)の本では、2011年から2015年にかけて、アメリカ国家情報長官直属の組織が主催した「予測トーナメント」に参加し、圧倒的な成績を収めたチーム「Good Judgement Project」のメンバーたちの共通の思考法が記されています。

さらに、このメンバーは国際政治に関連する複雑な問題を予測しているにもかかわらず、専門家である米国国家機関のプロの情報分析官をも上回ったと言われています。

彼らは高いIQを持っているわけではなく、積極的に歴史や過去の事柄を探求し、確率論的な視点から物事を捉え、パターンや法則を見出し、現在の新たな条件や事実を加えながら予測を微修正していったと言われています。「Good Judgement Project」のメンバーたちは、歴史に数学を加えたと言えるでしょう。歴史分析だけは、未来の予測に対して、それほど役に立たないとはよく言われます。


しかし、このメンバーの特徴は、そこに確率論を加えた点にあり、この確率論を考慮に入れたとき、国際情勢の分析にせよ、商品価格予想にせよ、格段に精度が向上したのです。歴史学と地政学に加え、数学も考慮に入れることで、未来予測力が高まる好例と言えるでしょう。イノベーションを起こすには未来予測の精度が重要であり、ビジネスにおいて有用な武器となります。そのため、リベラルアーツで歴史・地政学を学ぶことには意義があるのです。

文学・物語

リベラルアーツでは、文学や物語を専門的に学ぶことができますが、とくにアリとキリギリスの物語は比喩として参考になるでしょう。この物語はモダンとポストモダンの違いを表しているとも言え、ある種の揶揄としても捉えられます。

ざっくりと内容を説明すると、アリは毎日コツコツと働き、サボらず怠けず働き続けたからこそキリギリスよりも幸福になれたという物語ですが、現代社会に当てはめてみるとまったく逆であることがわかります。

たとえば日本では、多くのサラリーマンが毎日真面目に出社し、努力してスキルを身につけ、ルールを決めて社員が統率を取り、計画的に事業やプロジェクトを遂行していますが、経済の状況や企業の業績が良くなっているとは言えません。経営における旧来の合理性にこだわり、テクノロジー時代に不向きな経営スタイルを取っている日本企業は、モダンを表していると言えます。一方、シリコンバレーの急進的なIT企業などでは多国籍な社員が集まり、ポストイットなどを使って自由に討論し、ジョークや笑いを交えながら仕事を進めています。

シリコンバレーの企業は、経営スタイルを旧来の合理性から脱却し、従来の常識や規範から離れたアプローチを取っています。これにより、彼らはポストモダン的と言えます。もちろん、シリコンバレーの企業が業績を伸ばしているのはこの理由だけではなく、各社員が努力していることも間違いありません。では、なぜ日本企業とシリコンバレーの企業には差が生まれるのでしょうか。

IT業界が追い風になっている側面もあるでしょうが、社員のパフォーマンスや幸福度を見ても、日本企業との違いは否定できません。シリコンバレー企業は、自由度が高く、あくせく働かされることはなく、場合によっては、自由に音楽を奏でることも許されます。そのような自由な環境では、まじめに目の前だけを見つめることだけでは見えなかった価値や視点を創造できる可能性が非常に高まります

日本企業全体がモダンな経営スタイルを超え、柔軟性を重視し、多様性を受け入れるポストモダンな経営スタイルに移行するためには、客観的かつ多角的な分析の視点が必要です。その点において、文学や物語に触れることによって感性を磨き、一つの物語に囚われずに業務に取り組むことが重要です。その感性を磨くために適しているのがリベラルアーツなのです。

言語学・コミュニケーション

リベラルアーツでは、言語学やコミュニケーションについて深く学ぶことができますが、ビジネスの世界では、言語学の3つの分野、「意味論」「結合論」「語用論」が活用されます。 「意味論」は、人々が話す自然言語の個々の単語の意味について研究する分野です。言葉の記号とその表現との関係、明示的な意味を指し示す表示機能、そして含意効果である暗示や文脈の意味について議論されます。

「統語論」は、文の構造を研究する分野です。文は単語などの小さな単位で構成されていますが、その小さな単位間の文法規則について、構造的な根拠をもとに明らかにすることを目指しています。

「語用論」は、特定の社会文化の中で言語がどのように使用されているかに注目した分野です。ある地域や国などにおいて、話し手がどのように意思を伝え、聞き手はどのように意味を解釈し受け取るのか、そのやり取りを両者がどう意味づけしているのかを研究する学問です。

これらの学問的な知見は、ビジネス上のコミュニケーションで役立てることができ、とくに多様化している現代では、ビジネスパーソンとして強力な武器となるでしょう。

まとめ

現代人は、学校教育で行われるテストや課題問題などで「決まった正解」が存在すると錯覚している傾向があります。しかし、実際の社会では決まった正解のない問題がたくさんあり、学校教育で身に付けた問題解決能力だけでは対処しきれない複雑さがあります。リベラルアーツは、このような複雑な問題の定義や解決策が複数存在し、不確実な壁が立ちはだかった場合に、自由で柔軟な発想や視点によって壁を乗り越え、ビジネスを切り開くための手段を学ぶ学問です。自己の成長と企業の未来を考えるためにも、少しずつリベラルアーツの考え方を取り入れてみてはいかがでしょうか。