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窓の外 No.5

拘置所へ移送


警察官「それじゃあ、頑張ってね。」

私「ありがとうございました。」

留置所から拘置所までの移送は自分が留置されていた警察署の人が送ってくれます。

拘置所に到着するとまずは身体検査というものを受けます。
身体のどこに刺青が入っているか、危険な物(金属片など)を持ち込んでいないか等。
まずは裸にされてボディチェックを受けます。
それから個人によって違いはあると思いますが私の場合は糖尿病を患っていることもあり、入所時の調べが終わったあとは「医務」と呼ばれる病気などを診てくれる部署の職員の方の簡単な調べがありました。
一連の入所時の流れが終わるといよいよこれから生活をする、自分の「居室」へ連れていかれます。

ここで、刑務所や拘置所を管理する「法務省」の職員を、受刑者や拘留されている被告は「先生」と呼ばなければいけません。
なので、ここから職員の方の事は「先生」と書きます。

先生「君、執行猶予をもらって捕まったという事は大体のルールは分かる?」

私「自分が捕まっていたのは別の拘置所なので少しの違いはあると思いますが、大体の流れは分かると思います。」

先生「そっか、じゃあまた分からないことがあったら聞いて。」

私「ちょっといいですか?」

先生「???」

私「自弁って買えますか?」

私は留置所で糖尿病があるということで「自弁」と呼ばれる自分の所持金で買えるパンやお菓子などが買えませんでした。

先生「別に買えるよ 笑」

(まじか!!やったー!)

留置所では小さいパンや飴、オレンジジュースなどしか買えません。
ところが拘置所で買えるものは色々な種類のパンやジャム、カップラーメンなど幅が広がります。

ただ、拘置所では基本的に「午睡」と呼ばれる時間以外は横になることが出来ないので腰を痛める人が多いと聞きます。

私も例外ではなく、拘置所生活が約1ヶ月過ぎたあたりから腰や背中、あとはあぐらでの生活なのでお尻が痛くなりました。

留置所から拘置所の間は安定剤などの影響もあり、詳しくは覚えていませんが自分が期待をしていた「精神鑑定」は拘置所に移送されてから約3ヶ月後くらいに始まったと思います。

拘置所に収容されている被告人(未決勾留)は日中特にすることも無く、本を読むか手紙などを書くか、何も考えずにボーッとしているか等、本当にやることはありません。

私は頭を使わないということが出来ない性分なので、パートナーへの手紙を書いていたり、ひたすらに読書をしていました。

私は平成生まれで、物心がついた時にはパソコンがあり、まともな手紙など書いたことがありませんでした。

手紙を書き始めた最初の頃は縦書きの便箋を横にして、半分書ければいい方でした。

拘置所の楽しみは、ちゃんとした温かい食事が出て、ラジオが聴けることでした。

私はラジオが好きで、ローカルFMを聴くために、今住んでいるところにいます。
なのでラジオが聴ける環境はとてもありがたかったです。

留置所で買ったノートにラジオで流れた音楽や紹介されていたお店などを書きためることが楽しくて仕方ありませんでした。

私は当時、出されている薬を飲んでいるだけで「自分は正常」と思い込んでいました。
ただ、留置所では朝の片付けや食事が終われば自由時間です。
私の留置所での生活はとてもだらしがなく、誰とも話したくないということもあり、出されていた「不穏時」の頓服薬を飲んでほぼ1日寝たきりの生活でした。

しかし、拘置所ではそうはいきません。
日中の眠気、食欲不振、何故か湧き出る焦燥感。

私が医務の先生に相談をし始めたのは
「このままだと日常生活が辛いな。」
と思い始めてからです。

拘置所では、申し出をすると精神科のドクターや内科のドクターが定期的に診察をしてくれます。

私「あの、薬を減らしてください。」

ドクター「んー、確かに飲み過ぎだね。日中の薬を減らしてみようか。」

(あー、やっとこの眠気から開放されるのか…)

私「ありがとうございます。」

ドクター「また、様子をみて具合を教えてね。」

その日の夕方から薬が減り、3日間くらい経過した頃から日中の眠気などは確かに減ってきました。

その頃から日中の生活がままならなくなることもあり「頓服」を飲むことも控えるようになりました。

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