歌詞がある理由と役割
こんにちは。
感情の大きさそのままを音楽で再現したい。ソーダ・ヒロです。
以前の記事(「メロディの正体とは」)でメロディーとは感情表現、なんて持論を話させていただきました。
言葉で伝えられない感情の細部をメロディが表現する、と考えたときに、
歌詞の存在理由、役割とは一体何なのか、
もう結論から言うと、
歌詞とは
「案内役」
です。(←あくまで持論)
歌詞とは“案内役”
何をどこへ案内するのか、というと、
「聴き手を、メロディーから受けるイメージ(感情)とリンクする 聴き手自身の記憶や思想へ案内」します。
って、この説明すごい分かりにくいですね、、、
聴衆が理解しに行く『クラシック』
聴衆に理解を促す『ポピュラーミュージック』
例えば、
クラシック音楽の多くはメロディーだけの演奏だと思います。
クラシックって今ではなんだか少し敷居が高く感じて、
ドライブしながら
「よしバッハでも聴くかっ!」
とはなかなかなりづらいですよね。
勝手な見解ですが、クラシック音楽のようなメロディーのみの音楽は、聴衆がそれを理解しようと歩み寄る作業が必要なように思います。
聴衆はその曲から受ける印象に自分の体験や思想の中で一番メロディーとマッチする感情を探し出し、記憶や感情の旅をして、思い思いに音楽を楽しみます。
その作業というのは、単に受け身でのみいたとしたら、メロディーが鳴ってる状況に「理解できない」とか「つまらない」と言った表面的な感情で聴くことをやめてしまう人も出てくることもあります。
クラシック音楽は、積極的に理解しに行く聴き手側の姿勢が必要になります。(←※あくまで持論。個人的にはクラシック音楽大好きです)
(他にも様々な要因があると思いますが、ここでは分かりやすくするため割愛)
その点、ポピュラー音楽(日本ではJ-POP)は身近なものとして現在 生活に根付いています。
その一番の理由として
「分かりやすい」
こと。かと。
世に普及していく時に必ず出てくるこのキーワード。
身近な例え話でいうと、(←って例え話のオンパレード。。汗)
今や世間一般でかなり普及している「こども○ャレンジ」。
周りの子がしてるっていうんでウチの子もすることにしまして、その中で、文章問題への解答欄に補足説明とかがついて、より読み解きやすくしてますよね。
(文章の中に「いちねんせいの1を空にかいて・・」→問「そらになんてかいたでしょう?」→補足説明「いちねんせいの・・」「いちばんはじめの・・」→ウチの子「1だ!」みたいな)
それと同じように、
(やっと本題に戻ってきました 汗)
音楽において、メロディーから受ける印象を聴き手の感情や経験にリンクさせる際に、
歌詞が付くことで、
「このメロディーって恋愛した時のあのシチュエーションでの感情に近いよね?」
「このメロディーはなにか試練にぶち当たった時に感じる気持ちに似てるよね?」
みたいに、
聴き手自身の経験や体験に紐付けやすくして、感情を引き出しやすくしてくれてるんじゃないかと思います。
そのことで聴き手は音楽に感情移入しやすくなり、より一層メロディーに乗り、音楽を楽しむことができます。
その分かりやすさが歌謡曲やJ-POPが世間に広まった要因の一つだと思いますし、
歌詞とは“メロディーと聴き手をつなぐ「案内役」”と言えるのではないでしょうか。
聴き手を選ぶ“『案内』のバリエーション”
歌詞の中で直接的な言葉(誰かを好きなら「好き」と言う。会いたいなら「会いたい」と言う)を使うとか、間接的な言葉(比喩)を使うとか、というのは作り手の個性だと思います。
直接的な言葉を使えばダイレクトにそのメロディーの解答をくれるので理解しやすい音楽になりますし、
間接的な言葉を使えば使うほど作り手の個人的感情から手が離れ、解釈がより聴き手の想像力に委ねられ、聴き手が「これは自分のための歌だ」と思い入れが入ると思います。
ただ、間接的にし過ぎると今度は聴き手に理解する作業を求めることになるので、より難解に、一聴してすぐに感情移入できるものではなくなります。
どちらが良いとか悪いとかではないと思います。
それは聴き手の音楽に対する考え方(子供と一緒に楽しみたい、とか、自身を誰かにアピールする際の名刺代わりに聴く音楽を選ぶ、とか、趣味で音楽に触れたい、とか、音楽そのものが好きで想像にのめり込みたい、とか、様々)
によって色んな音楽があっていいと思います。
どういった対象の人に聴いてほしいか、によって選ぶ言葉や表現の仕方は変わると思います。
メロディーと歌詞について結論
ただ、言えることは
音楽は生活の中になくてはならないものですし、(←これに関しては思うことがあるのでまた記事にします)
メロディーは感情を詳細に表現するものですし、
歌詞はメロディーと聴き手をつなぐ案内役
だということです。(←あくまで持論。。)
作り手側になるとしても、聴き手側になるとしても、それぞれの個性によって様々な楽しみ方ができますし、
作り手と聴き手の個性の組み合わせによって大きな感動を作り出せるかもしれない、というのは音楽をする上でものすごくやりがいのあることですね。
と、今日もずいぶんと長く、例え話の多い分かりにくい文章になってしまったかもしれませんが、、、
音楽は奥が深い。
音楽の探求はまだまだ続きます!
ご覧になっていただき、ありがとうございました。
僕の音楽探求の過程でもありますオリジナルの曲も、もし良ければ聴いていただき感想(酷評でも全然オッケーです)を教えていただけたら今後の参考になります。
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