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【前編】「居眠り防止活動」に「厚労省のデータミスの指摘」。その圧倒的な行動力はどこから来ているのか 〜東大法学部出身2児の母・おたまさんの「育ち方」

「国がまとめたデータであれば間違いはないだろう」。ほとんどの人がそう考え鵜呑みにしそうな内容も必ず自分の目で確かめる。疑問に思う部分があればきちんと調べる。そのような姿勢を常に持ち続けられる人がどれほどいるだろうか。
2019年秋、「財務省が高所得者への児童手当廃止を含めた見直しを要請する」との旨が新聞等で報道された。とあるTwitterユーザーの女性はその根拠となった厚労省の報告書データに違和感を覚え、他のユーザーと共に数字を検証。見つかったミスを同省に電話で指摘した結果、報告書はわずか1日で修正が公表された。

東大生を中心に「この人はどうやって育ってきたのだろう」と思う相手とその養育者にインタビューを行う”育ち方プロジェクト”。今回は福富の学生時代からの友人であり、この一連の出来事の当事者でもある『おたま』さんの育ち方を探る。前・後編にわたるインタビューの前編では、行動力と社会貢献意欲について聞いてみた。

おたま
東大法学部出身。人見知りな3歳長男とやんちゃな2歳次男を育てるフルタイムワーママ。月間数万PVを誇るブログ『おたまの日記』では考えたことや読んだ本、オススメしたいことなどを豊富なエビデンスと独自のエピソードとを絶妙なバランス感覚で綴る。Twitterでも積極的に情報発信をしている。

外で強くいられたのは「逃げ場」があったから

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ー厚労省のデータのミスを指摘し児童手当廃止を含めた見直しの見送りに関与した件はもとより、高校時代に同級生たちの授業中の居眠りを防止する活動をしたり「日中の架け橋になりたい」と発言したりと、昔から他の生徒とちょっと次元の違うオーラがあったように思います。その行動力やスケールの大きさが私には眩しい限りなのですが、どういう生い立ちが影響しているとお考えですか…?

たぶん母の影響じゃないかなと思います。うちの母は非常識な行動をしている人を見かけたら黙っていられないタイプ。電車の中で長々と電話をしている人がいたら「降りてから話すのはどうでしょうか」、コンビニの前でたむろしている子どもには「そんなところに座り込んでいるんじゃないわよ」と声をかけるような人なんです。そういう母の背中を見ていたのと、性格的な遺伝じゃないでしょうか…。

学生時代、授業中に居眠りをしている生徒が気になって「居眠りを防ぐ活動をしたい」という話を母にした時も、たしか反対されなかったんですよ。それで実際に行動に移しちゃった。小学生の頃に、ちょっと問題のあった担任の先生を代えて欲しくて、それに向けて学校に対して働きかけて副担任をつけてもらったこともあります。

ーすごい行動力ですね。そこまでできる人はなかなかいないような気がします。

今思うと周囲にとっては鼻持ちならない存在だったと思います。「みんなが自分と同じ考えではない」というのは母にもしょっちゅう言われていましたし、学校の通知表にも「正義感が強いですが」の前置きの後にいろいろ書かれていましたから。そういえば、大人になってから「正論ハラスメント」という言葉を知った時に、自分のことだとギクッとしましたね…。

ーそれでもへこたれない強さがあるのは羨ましいです。自分の意思を貫いてやりたいことをやろうとした時、周りと揉めることはありませんか?

周りと揉めても、それだけが私の人間関係ではないですからね。今は仕事で失敗しても夫や子どものいる家庭があると思えるし、クビになっても転職すればいい。私だったらどこかは雇ってくれるだろうという妙な自信もある。子どもの頃も、何があっても受け止めてくれる家庭があったからこそ冒険することができた。大失敗したり嫌なことがあっても逃げ帰って来れる場所の存在が安心感につながっていたと思います。だから外では強くいられたんでしょうね。

話を聞いてもらえる安心感

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ー大失敗することもあったのですか?

あります、あります。それで友達と大喧嘩したり先生にきつく叱られたり。その度に家で母親になんでも喋っていました。大人になってからもそうですね。ただ、母が私を100%肯定してくれるわけではないです。「それはあなたが悪いわよ」と言われることもある。でも「どんなことでも私に関わることなら母は興味があるはずだ」という信頼はずっとあったと思います。母も私に何でも喋っていましたしね。父と母もよくいろんな話をしていました。

ーどのような話をしていたのですか?

父の職場の人の話や家族みんなのそれぞれの一日の出来事の話とか。私が「今日学校で先生が…」などと話すと、それに対して父や母が「それは◯◯なんじゃないの」「私はこう思う」とそれぞれ意見を言ってくれました。時には両親の意見が食い違うこともあったけど、それはそれで「正解って人それぞれなんだな」という学びになったような気がします。ちなみにうちの家族の中では無口だと思っていた弟も、他の家庭に比べるとかなり喋る方みたいですね。

ー家族がお互いの話をし合える関係は素敵ですね。

仲が良い家族だと思いますよ。でも弟とは喧嘩もよくしました。「弟ばかり可愛がられてずるい」って思っていましたし、実際に母に対してそう言っていました。そしたら「私もそうだったのよ、姉ってのはそんなもんよ、大変ね」なんて軽くいなされましたけど。ちなみに小学生の時に父の仕事の都合で中国に住んでいた時期もあるので、見知らぬ土地の中で姉弟と家族の結束がより強まったようにも思います。

ー自分を受け入れてくれる基盤があったから外でのびのびと振る舞うことができていたのですね。「笑ったり泣いたり怒ったりと感情表現が豊かな人だな」と学生時代から思っていました。

最近はそうでもありませんが、社会人になってからも新人の頃は泣いてしまうことはありましたね…。でも泣こうと思って泣いているわけではなくて、感情がただ溢れてきちゃう。子どもの頃に家で泣いていた時は、私が悪くない時はお母さんが一緒に泣いてくれたり慰めてくれたりしましたが、私が悪いことをした時は「あなたが悪いことしたからでしょ」とほったらかされていました。泣くこと自体を咎められるようなことはなかったですね。

父親への憧れが将来の夢につながった

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ー同世代の学生の中でも大人びた雰囲気があったことや、スケールの大きい発想などについてはいかがですか?「社会を良くしたい、人の役に立ちたい」と言っていた社会貢献意欲はどこから来ていたのか気になっていました。

完全に父の影響です。父は割と直接的に人の役に立つ仕事をしていて、父のおかげで助かった、という人に子どもの頃に会うこともあったんです。それで「あなたのお父さんのおかげでこんな風に助かったのよ」などと言われたことがあって。それを聞いて「お父さんってなんてかっこいいんだ!お父さんみたいになりたい!」と誇らしく思っていたんです。

母も「お父さんは社会を良くするために働いている、人を助ける仕事をしているのよ、かっこいいのよ」とよく言っていました。母が父のことを立てていたからだと思いますが、父のように人の役に立つのは偉い、かっこいいという価値観は私の中にずっとありますね。それに、死ぬ瞬間、自分の人生が何のためにあったのか考えるとしたら、少しでも人の役に立つことができたと思えたらいいなって。利己的より利他的な人の方が幸せなんじゃないかとも思います。

ーお母様は非常識な人を見たら黙っていられないお人柄だということでしたが、お父様はどのような方なのですか?

アウトドア派で、サッカーをしてくれたりキャンプに連れて行ってくれたりと子どもと一緒に何かをするのが好きな人でした。学校の勉強がよくできるタイプではなかったみたいで、私がテストで90点を取って母親に「なんで100点じゃないの?」なんて言われている時も「90点も取れるなんてすごいな。お父さんは90点なんて取ったことないよ、いつも赤点だったよ」と言っていました。母親は学校の勉強がとてもよくできるタイプだったみたいで、純粋な気持ちで「先生の話をちゃんと聞いていれば100点が取れるのでは?」と思っていたみたいです。

その一方で、母は父を立てるのがとても上手でもありました。「どうして空は青いの?」とか「日本には憲法があるのにどうして自衛隊があるの?」といった日常生活の中で生まれる疑問を父にぶつけては「光の反射で青色は遠くまで届きやすいやすいんだよ」とか「日本が戦争をしたくなくても他から攻められることだってあるかもしれないだろう」など父なりの解釈を引き出していたんです。そのやり取りをそばで聞いていて「何でも知っているお父さんはなんてかっこいいんだろう! 私もお父さんみたいになりたい!」と思っていました。

ー子どもを持つ母親としては、お母様のその姿勢、見習いたくなりますね。

今はそう思います。でもそんな母の姿勢を見ていた子ども時代は、少し母を見下していたところもあったんです。「ただの専業主婦で何も知らないつまんないおばさん」だって。「お父さんみたいになりたい」を裏返せば実は「お母さんみたいにはなりたくない」だったんです。「毎日毎日家族の世話ばかりして人生を送るなんて私は絶対に嫌だ」って思っていましたから。

でも子どもを持った今は全くそうは思いません。毎日美味しいご飯があり、清潔な環境で暮らせるのは当たり前のことじゃない。規則正しく健康な生活を送れることは、親のものすごい努力の上に成り立っているということを痛感しています。私の父は家庭に時間を割けるような働き方をしていなかったから、母は家のことを全て一人で担っていた。世の中のために働くのも大事なことだけど、家族のために働くこともすごく大事な役割だったんだなと、30歳を過ぎた今になってようやく気づきました…。

ー実際に自分が親の立場になることで気づけることもありますよね。後編では、勉強面についてお話を聞いていこうと思います。

後編へ続く

インタビュー/福富彩子、村上杏菜
執筆/村上杏菜 
文字起こし協力/いまいゆきよ
写真レタッチ協力/西原朱里

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