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簡単だけど間違ってる「おもてなし」

「協調性」それは悪いことではないけれど、盲信は危ないです。
自分の頭で考えることよりも多数派や権力者に合わせて行動する。
みんなそうしてる、偉い人がそう言ってる、役所に言われた…

特に文化に根付いたものほど盲信しやすく危ないです。

「おもてなし」は日本らしさのひとつ。求められる前に察する能力を、国民自らも誇りにしている風もあります。しかし「おもてなし」は驚くことに”暴力”ともなりえるのです。どういうことでしょう?

「おもてなし」は接客サービスでよく使われます。その従業員が、自分たちの仕事の質を高めようと努めることは悪いことでは有りません。しかし、例えば夕食の間に布団が敷かれていることは旅館では当然とされますが、ない間に誰かが入室したことを不安に感じる外国人客は確実に居ます。こうして良かれと思ってやった「おもてなし」でも受け手の迷惑になりえます。

福祉も対人サービスですが、当事者がやりたいことを察して施すことを「おもてなし」と言わず「やりすぎ支援」とか「先回り支援」と言われます。例えば計算できるように支援して欲しい人にとっては、代わりに計算してあげることは「先回り支援」になります。出来ないことをやってあげることで、出来ないままにしてしまう。支援者の一方的な考えに基づく支援は、当事者本人の意志を尊重しないため避けたほうが良いとされます。

そうする思想をパターナリズムとか父権主義と言います。そういわれても無自覚に身につけた思想ですので、自分は父権主義者だ、なんて自覚している人は殆どいません。それではどうしてそう行動してしまうのでしょう?

人それぞれ理由はあるでしょうが、ここでは1つだけ取り上げます。

顧客の個別性を尊重して個々に向き合って対話すると、その人に最も適した支援は何なのか、その都度、自分の頭で考えなければならない。だけど正解がわからず不安になる。それより前例を真似れば責任を免れられるし、考えなくて済むから”楽”。そういう前例主義が先回り支援として表出する。

間違った「おもてなし」が父権主義を作るプロセスです。

楽な手段に傾くのはすべての生物に共通します。そうして生物は独自に進化して自然環境に適応してきましたが、人間もそういう野生的な動物なのでしょうか?私は、人間は社会性と個性の尊重を基礎とした動物だと思います。

個人に向き合って自分の頭で考えることは大変だし、考えても全く同じ思いになれません。それでも想像してエンパシーを得ることは大切なこと。そういう社会では自分自身も尊重される住みやすい社会になるでしょう。

逆に、前例に基づいた直感で行動したり決めつけたりする社会は、自分も何かの十把一絡げで扱われて、個性が尊重されない社会になるでしょう。

自分の頭で考えることを当たり前にする。
楽じゃないけど、世界平和の第一歩です。


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