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60歳からの新たな旅立ち、趣味と仲間がもたらす幸せ、そして自分らしい生き方を求めて

 いつもと変わらずひっそりと過ごすつもりだった60回目の誕生日。 他人事のようにこんな記事の記憶だけが残っていた。 何かが引っかかっていたが、 心の奥は自分にもわからない。

俳優の片岡凜さん(20)が5日、自身のXを更新。乗車したタクシーの運転手から、定年のため今日が最終出勤日であると告げられた際のエピソードをつづり、話題になっている。家族はおらず「一人でお祝いします」と話す運転手に、片岡さんは労りのメッセージと自身の名前を書いたメモ帳を渡し「自分はいつか有名になるかもしれないから持っていてほしい」と告げたという。
片岡さんはXで「タクシーの運転手さん、定年で最終出勤日との事だった。家族もいなく今日は頑張った自分に一人でお祝いしますと聞いて複雑な気持ちになった」と報告。「他人だし、私はお金もないし何もできないけど」と複雑な心境になりつつ、メモ帳に「お疲れ様でした」というメッセージと自分の名前を書き記し、「私、数年後有名になるかもです。持ってて下さい」と告げて渡したという。投稿の最後を、片岡さんは「頑張ろ」と決意の言葉で締め括った。

投稿には6日朝の時点で3.5万件を超える「いいね」が寄せられ「素敵なエピソード」「どちらの人生にも幸あれ」「数年後、この人を最後に乗せたんだよと自慢できるように頑張ってほしい」といった声があった。

"まいどなニュース" なぜか記憶に残ったこの記事、自分とダブって見えたのか。

 そしたらいつもは会話もしない家族が食事会を開いてくれた。いまや定年は65歳まで延長されているのだが、一応キリの良い60歳がやってきた8月に。

思いがけない食事会

 ただその日だけがきただけで何も変わらないのだが、単なる通過点、何も変わらないはずだが周囲はどんな感じで自分を見るのであろう?と心の中で感じた。

組織の理不尽、上下関係の振りかざしが嫌だった

 社内の上下関係なるものが嫌いだった。命令されるのも命令するのも嫌いだった。いまや伊藤羊一さん澤円氏が言うように、組織に上や下はない、役割りが違うのだ、、、と言える時代ではなかった。役職がついて管理職側となった時、そんな場面にいる自分は辛い日々が続いた。管理、経営側の人間がさらにその上を見て仕事をするのに幻滅した。あと、中身がなくても声が大きいPR人間の意見にぶらされていく組織に嫌悪感を感じた。さらにそれを強要されるようになったとき何かが弾けた。ここは自分のフィールドではない事に気づき、そっと会社を離れた。金銭面での不安など家族に迷惑をかけたくないので秘密で休んでいた。毎朝会社に行くようにサテライトオフィスに出向き、起業準備らしきことを続けた。だが、結局はバレていたと分かったのはあとの祭りだった。。。

当時はそんな組織がらみの事柄を記憶に残すべく幾度となく書き綴っていたことを思い出す

気づいたことは・・・起業する厳しさと自由への開放?

 早く次の何かを見つけ独立または起業しようと考えた。自分でも何かをしようと記事を書いたりWEBサイトを制作しPRもどきもやった。色んなサイトに登録もした。でもなかなか起業する、収入を得るっていうのは難しいと言うことに気づいた。が、気づいたこと自体が収穫だったと思う。そしてさらに気づいたことがある。知らない間に子供は大きくなっていたのだ。「もう学費を払う必要もないのか、、、」と気づいた。

うちの奥さんは先にそれに気づいていたのかも知れない。カワサキの250ccのバイクを買ったと思うきや、さらにその後、イタリアの大型バイクを買っていたのだった、、、どこにそんな金があるのだろうと疑問だったが、、、

"自分の心の声"より

コミュニケーションが人を幸せにする

 今まで我慢してきたクルマの趣味、また出来るかな?ひょんな事からフランス車を買った。とてもオシャレだった。そしたら仲間も増えた。昔好きだったクルマ雑誌NAVIの編集者とも出会えた。するとそこから趣味多きいろんな人たちと出会い、ライブに呼んでもらったりと更に視界が広がった。

 質の良い仲間といると自分も幸せになるというロジックはこういうことなんだろうなぁと。コミュニケーションが人を幸せにするということはまさにこのことかもしれない。それを気づかせてくれたのはファンベースカンパニーの"さとなお"さんだった。自分はさとなおさんがワンオペで運営している"50歳以上のコミュニティ「Good Elders」"にも入れさせてもらい、色んな方と交流できる楽しみも増えた。

大正デモクラシーとはこのことか? 会社でも自分に寄り添ってくれる仲間がいたこと!

 こんな自分になぜか集まってくれる人がいたこと、これを忘れていた。こんな幸せをよくも忘れていたものだとつくづく思う。まだ若い人たちが話しかけてくれるし、飲みやお茶に誘ってくれる。老がいと言われるに久しい年代になんとも嬉しいことだ。部署が変わっても女子会なるものにオトコの自分を呼んでくれる。このような現象は何なんだろうと思うことも度々あった。こんな言われ方もよくあった、「ずっとこの会社にいた人の感じしないですね」とも。ある意味嬉しい感じもした。

 会社に媚びずに仕事をしている姿、上下関係、先輩、説教をしない個性、圧力感じない話し方と相手の話を(とりあえず)聞く姿、そんなところかなぁと。何の力もないけれど親身に話しを聞いて、自分の出来る範囲で改善を試みたりもしたがそれほど効果もなかったのに、、、。

定年で給料が半減? それは会社が与えてくれた会社人生を終えるための助走期間だ

 60歳近辺、いや50歳で給与が大幅に減る企業が大多数だと思う。現実とは思えど、くだらないメディアは煽るような記事ばかり発信してマイナスイメージを与えている。こんな嘆きの人も沢山いる。

 「人件費が利益を圧迫している、50歳以上の働かない社員は切りたい、、、」と"自分寄りの従属社員"に影口のごとく言う経営者が沢山いるらしい。まったく人的資本が大切なんて上っ面の言葉。すぐに見破られるであろう。

しかし全く気にする必要はないと思うのだが、、、どうだろう。。。

 自分がよく読んでいた上田淳二さんの記事。これを読んではっと気づいた。なるほどなぁ、社長から降りた会長と同じだ。60歳からの会社員のあり方は65歳からの人生を生きる助走期間なんだと。ならば給料が減ったとしても自分のために時間を費やせば良い。

 会社に属していれば病気をしても何とかやっていける。親が介護になっても休みが取れる。有給休暇、介護休暇もある。最近では自由な働き方でハイブリッドワークができる。そして気の合う仲間たちがいる。これは会社あってのことだなと感謝すべきこと、結構幸せではないか?と少しマイルドに感じている自分になってきた。

自分の生きがいとは 他人の役に立つこと、他人の笑顔を見ること

 60歳になってやっとわかったことがある。それは人は生まれながらに人の役に立つことで幸せになるということだ。そしてそれを促進する一つのが"趣味"なんだろうと思う。趣味を通して発見したこと、きっと同じ趣味を持った人に何か役に立つことを伝えるとその人は喜ぶであろう。その喜ぶ顔を見るとまた何かを伝えたくなってくるだろう。そんな感じなのだ。そしてそのための行動が発信とコミュニケーションなんだなと思う。

漠然と考えていたことに気づきはじめたこともある

60歳のお祝いをしてもらいながら考えていたことを、ざっとこんなことだった。さて自分は家族に何かするのであろうか?またそこはハードルが高いかもしれない。いつかはライターをやっている娘たちと一緒に伝える仕事ができればいいなと思ったりと、、、。では最後に、

60歳以降は短い健康期間のラスト"自分さがしのワクワク期間" 65歳以降は悔いなく自分のやりたいことで生きて行こう!
 

(終わり)


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