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体癖話まとめ(85)

体癖について、私ソシャフィアがTwitterでたまに食事中につぶやいてツイートの内容も食事の話になる【体癖話】をまとめたシリーズ、第85弾!

今回もツイートにコメントをつけてお送りいたします!

大阪に来ています。

大阪といえばここ

体癖の仕事のために来ており、「私も体癖で大阪まで足を伸ばせるようになったんだな〜」と感慨にふけりながら、この記事を滞在先のホテルで書いています。

1日目:体癖 x SNSセミナー
2日目:体癖出張施術
3日目:体癖診断士養成セミナー

なかなかタイトなスケジュール。
すべてソールドアウト。

すごく悪い言い方、かつ利害得失に敏感な五種に対して声を大にして言いたいのが…

体癖はお金になる、ということ。

私は八種九種で、どちらかと言えばお金にはうとい体癖なのですが、それでも体癖だけでこの一年は保ちました。
東京・赤羽のソシャフィア体癖院のオープンから一年経ち、ぶっちゃけて言うと、入ってくるお金がどんどん増えて怖いくらいです。

最初は「私の施術を受けに来てくれる人なんて、月に二人もいないんじゃないか?すぐに潰れてしまうんじゃないか?」なんて、子鹿のように怯えていたんですけどね(笑)。
私はビジネスセンスなんざ持ち合わせていないのです。

それでも、東京から大阪への安くない交通費や宿泊費、会議室やレンタルサロンの経費を差し引いても赤字にはならないくらいには、体癖はお金になる。

ただし、私がやっているのは、体癖”論”ではなく、体癖”術”。
そりゃnoteも有料・無料併せて150本くらい書いていて、そういう意味では論じているわけですが、それ以上に約20年で少なく見積もっても4万名くらいに対して技術を行使しているのです。

そう、体癖は”技術”。
技術として活用すれば、体癖はちゃんと人に喜んでいただけるサービスなのです。

が…

いかんせん世の中にとっては新しすぎて、分かってもらえない。
野口晴哉先生が『体癖』を出版されたのはすでに50年も前ですが、整体を知らない人にとっては「なにそれうまいの?」の世界。
フランク・ザッパはロックをやっている人には有名ですが、やっていない人には「誰それ?」なのと同じ。←分かりづらいたとえ

そんなわけで、生の体癖を広めていくために、今後もいろんなところに出張をしに行こうと思っています、赤字にならなければ。

今は体癖が、”論じるもの”から”行使する技術”に移行する時期。
技術はお金に変換されるもの。
その技術を行使できる人も育てていきたいと思っていて、行動家の八種九種らしく、すでに動いています。

体癖で、認め合える社会を実現するために。

あ、そうそう。
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というわけで、一銭にもならない(笑)コメント付き【体癖話】をお楽しみください!

私が九種にシンパシーを抱いてしまうのは、私にも九種が入っているからなのでしょう。
まぁ私の場合は圧倒的に八種が濃く、九種はふりかけ程度なのですが。

よく「三種はわがまま」と言われますが(私も言っている本人ですw)、九種はそれ以上にわがままだと思っています。
人がしゃべっているのに興味がないから聞かないとか、完璧でないとダメとか、「なんで?」と聞いてきて自分が納得できる答えが返ってこないと信頼しないとか。
それは、わがままです。

三種や九種だけがわがままな訳ではないですし、体癖それぞれにわがままがありますし、九種であってもわがままじゃない人はいますが、それでも九種のわがままは目に余る。

それもそのはず。
九種は鬱散要求体癖の最たるもの。
内側のエネルギーを爆発させる体癖。
突発的に行動を始めるし、しかもそれが持続する体癖です。
九種が九種らしく生きようと思ったら、人のことなんか考えている場合ではないのです。

わがままでもいいのです。
それがわがままだと分かっていさえすれば。
八種九種の私は、そう思います。

自己否定や自己嫌悪があると「幼少期に何かあったんだよ」とか「アダルトチルドレンだよ」とか言う人もいますね。
私も心理学を教える側ですのでそういう見方をするのですが、体癖をガチってからは「それだけではないかもしれないな」と考えるようになりました。

心理カウンセリングをしていて、「この方の自己否定は、過去というよりは体癖だろう」と見られる人が多いのです。
とはいえ、「いやいや、あなたが自分を否定するのは親のせいじゃないですよ〜そういう体で、そういう感受性を持ちやすい人だからなんですよ〜」と本人を目の前にしては言わないですけどね。
ちゃんと傾聴をして、否定せずに聞きますよ。
お悩み解決のために。

体癖と自己否定が一致していなければ、過去からの影響が体癖よりも強いように思えます。
例えば、五種や三種や七種なのに、自己否定が大きいとか。
もちろん複合している体癖も診ていくことも大切ですね。

問題は、六種。
六種は心理カウンセリングだと、ものすごく話を盛ります。

話を盛る体癖といえば八種も盛るのですが、八種の盛り方が「相手に勝つため」で、戦う対象がいなければ盛らないのに対して、六種の盛り方は”集注”という一点にフォーカスしており、「すごく不幸なんだ…かわいそう…」と同情してもらうために、「あんな不幸なことがあった、こんな酷いことがあった、実はまだ言っていなかったんですけどこんなこともやったしあんなこともやったけど良くならなかった、死にたい」みたいなことを言うのです。
自分にそういう”設定”や”物語”を纏わせる人もいますね。

しかも、変わろうとしない。
「自分は変わらなくてもいい」ということを確定するために、心理カウンセリングを受けるような人もいます。
カウンセラーでさえ私を治せないんだ!だから私は不幸なままでいいんだ!と思いたいのですね。
自己否定を正当化するために、カウンセラーを”使う”のです。

と、六種をディスってきましたが、「これも体癖だからしょうがない」という部分もありますよね。
そういう体で、そういう感受性を持っているというだけの話なのです。
そういう味わいを持っているというだけ。

それでももし自己否定を超えて、腹の底からもっと心豊かな人生を望むなら、本当はやり方なんていくらでもあるのです。

「頑張れ!」という言葉が好きな人もいれば嫌いな人もいれば、どうだっていいという人もいますね。
それも体癖からの感受性のように思えます。

四種や六種は嫌いでしょうし、八種は「上から言うんじゃねぇよ」と思ってしまうでしょう。
私はそんなに好きな方ではありません。

逆に十種や七種は好きそう。
母が十種なのですが、昔からよく「やればできる!」と叫んでいました(笑)
頑張らないと何も手に入らないと思っていますね。
まぁ世代もあるでしょうけど。
七種は”上”の人から言われると、素直に「はい!頑張ります!」と言って気持ちがいい。

そんな「頑張れ!」は好き嫌いがありそうですが、不思議なことに「頑張ったんだね」という言葉はどの体癖も好きな人が多い気がします。
四種も六種も八種も、その言葉なら笑顔になりますね。
自分を肯定的に認められたような気がするのでしょう。

十種などは泣く人までいますね。
「そうなの。私はあの子のために頑張ったの」なんて言う。
まぁ十種って涙もろい人が多いので、涙のハードルが低かったりもしますけどね(笑)

唯一、九種だけは「いや、まだ足りませんけど…」とか言っちゃったりしますね。
「私なんてまだまだ全然です」というのが謙虚さの表れではなく、本当にそう思っているのですね。
あいつらわがままだから、自分の基準以外は認めないし、人の褒めなんて受け取らないのです(笑)

座っている姿勢は体癖がモロに出やすいですね〜
私もソシャフィア体癖院のお体からのみで検査する体癖診断をする前に、カウンセリングシートをご記入していただいている間に「きっと○種だろうな」という予測をするために、わざわざちょっと座りづらい椅子を用意しております。
で、様々な検査をした後で、自分の予測が合っていたのかどうかをチェックしているのですね。

予測はかなり当たります。
他にもファーストコンタクトのコミュニケーションや、見た目、話し方など、たくさんの予測ポイントを自分の中で設けているのですが、座った姿勢チェックが最も正解率が高い。
複合体癖の順番まで当たります。
「もう診断する必要、ないんじゃないか?」というくらい(笑)

観察しているのはツイートに書いた他に、背骨の曲がり方や、カウンセリングシートの質問を考えている時のポーズ、字の大きさ、書き方、書くスピードなども。
たくさんチェックしているので、予測もかなり絞られるのですね。

逆に、見た目では予測が当たらない。
真っ直ぐ立ってもらっていれば正解率が上がりますが、人間が日常で直立不動でいることなんてあまりないわけで。
外見から体癖を判断するのは、かなり無理がありますね。

体癖とは”体の癖”。
体の”動き”の癖であり、晴哉先生曰く「生きている人間の研究」です。

日常から丁寧に人を見ていくと、予測も当たりやすくなりますね。

『炎』は名曲ですね!
何度も聞いて、そのたびに感動しています。
歌詞もいい。
八種、実は好きそう。

ですが、八種でしかも自分で音楽をやっている私は、どうしても足りない部分にフォーカスしてしまう…
歌詞も曲も文句はないのですが、アレンジ(編曲)が…

もっとこう、バックのギターを歪(ひず)ませて、ダイナミックでメロディアスなツインリードのギターソロを入れて、ベースを歌と絡ませて、ドラムのゴーストノートを利かせて、ウォウウォ〜の回数を増やして…
みたいなことを、聞くたびに思っています。
いっそのこと自分でカバーしてアレンジした方が自分のためなんじゃないか?というくらい、惜しい。

そういう曲のリアレンジやカバーって、ひょっとすると八種の得意分野なのかもしれないな、と思うのです。
八種の全員がそうか分かりませんが、私の感性からすると「原曲が気に入らないから、自分でアレンジし直す」わけで。
「もっと良い曲にしたい!」というよりは、「自分がOKでないと思う部分を埋める」ためにカバーする、というか。

まぁ実際は音楽のプロが作っているわけで、私のようなアマチュアロッカーよりははるかに多くの人の心を動かすわけですけどね。
あくまで自分のために、『炎』をカバーしてみようかな、と聞くたびに考えて実行できていません。
体癖のことで忙しすぎて。←八種の言い訳癖

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!!

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