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自己嫌悪に陥ったときに読む体癖

自分が嫌い。

友達はみんなkawaiくて、かっこよくて、キラキラしていて、自分より稼いでいるし、素敵なパートナーもいて、それなのに他の人からもモテている…
みんな自分よりも優れた技術を持っていて、良い会社に就職して、その会社でも出世していて、後輩や部下からも慕われていて、注目を集めていて、将来も安泰…
ある人は起業してビジネスも順調、何千万も稼いでいるらしい。
本人だけでなく、その人は優秀な子を持ち、広い家に住んでいて、今度遠い所へ旅行に行くんだって…

隣の芝は、やたらと青い。
きっとその芝は”人工芝”で、人に見せつけるためにキレイに刈り揃えた芝なんだ。
けど、そうだと分かっていたとしても、自分の不甲斐なさや情けなさがその青さに照らされて、自分自身の”負”の部分だけを見せつけられる…

「あなたにだっていいところあるじゃない!」なんて慰められても、そんな上から言われたんじゃ、余計に情けなくなるよ…
いや、上から言ったつもりなんじゃないのかも。
憐れまれているんだ。
共感という名の、同情をしてくれているんだ。
何を上から!
そういうところが、上からなんだ。
私より満たされているからって、私より”幸せ”だからって、何だっていうのさ!
…そんなふうに考えてしまう卑屈な自分を、さらに嫌いになる。

あの人、不幸になったんだって。
え、なにそれ、ちょっと嬉しい。
人には言えないけど、すごく嬉しい。
人前ではさも「かわいそうに…」なんて顔をするけど、本心ではハイパー嬉しい。
人の不幸は大好きサ。
でもそんなことで喜んでいる自分はどうなの?
そんな自分をもっと嫌いになる…

今日も一日、なんだかやり残したことがあるような気がする。
だから夜中にスマホを見て、くだらない動画やゲームで”やり残した感”を埋めて、疲れをとっているフリをするけど、心の隙間は埋まらないまま。

けど、SNSは見ないようにしなきゃ。
キラキラした人しかいないし、「自分はダメ人間だ」なんて言ってる人いるけど、私よりはマシでしょ?
心理カウンセラーのインフルエンサーが「背筋を伸ばして笑顔になれば、嫌な気持ちが消える」なんて言ってるけど、そんなことしたって効果なかったよ。
「素直になれ!」って?
素直に言いたいことを言えば「病み垢だ」なんてレッテル貼るクセに。
「好きなように生きろ!」??
その”好きなように”が分かれば、苦労なんてしないんだよ。
「昨日の自分と比べろ!」だって?
昨日の方がマシだったよ…

ふと思い出す。
親から言われたこと、好きな人から言われたこと、上司や同僚に言われたこと、友達だと思っていた人から言われたこと…
誰も私を分かっていない。
分かったようなフリをして、良い人なんか演じないでくれ。
それが見抜けないほど、私はバカじゃない。
自分の都合を私にぶつけないでくれ。
私にトラウマを植え付けないでくれ。
まぁ、素直に聞いてるようなフリをしてた自分も自分なんだけど…
あのとき反論していたら、本当はよかったんだろうか…

あいつのせいだ。
あいつのせいだ。
あいつのせいだ。
あいつのせいで、自分を好きになれないんだ。
あいつは私の尊厳を奪った。
あいつは私をダメ人間に仕立て上げた。
生きていても何の価値のない人間に貶めた。
あいつさえいなければ…あいつさえいなければ…
…いや、本当は私のせいなんだろう。
分かってはいる。
分かってはいるけど、そんなことを認めてしまったら、もう…

そんな自分が嫌い。
自己肯定感を手に入れるために色々してみたけど、それでもやっぱり自分が嫌い。
明日も自分が嫌いだろう。
明後日も、来週も。
何をやっても、私が変わることはない……
変われるはずがない…

……自己嫌悪は連鎖する。
まだ小さかった雪の塊を転がしていくと何十倍にも大きくなるように。
嫌な感情は別の嫌な感情を呼び起こし、頭がぐちゃぐちゃになって思考力を奪う。
そして凝り固まった黒い感情だけが、心を支配する…

今回の『タイヘキストマガジン』は、そんな”自己嫌悪”について書いていきます。

いつも私ソシャフィアの体癖を追ってくださっている人であれば、自己嫌悪というと、四種や八種が感じやすいというイメージがあるのではないかと思います。
逆に「私はメンヘラっぽくなりやすいから四種」とか「相手はOKでない、自分もOKでない、と思っているから、私は八種だ」としている人も中にはいるでしょう。

確かにそういう面はありますね。
体癖的に見て、四種も八種も自己嫌悪に陥りやすくはあります。

が、その他の体癖も陥りやすい陥りづらいはあるにしろ、自己嫌悪を感じるポイントがあります。
それによって、思うように行動できなくなったり、思っていないことを行動してしまったりするのですね。

そんなわけで、あなたが今回の記事を読むことで…
・自己嫌悪から素早く脱する
・自分の自己嫌悪ポイントを振り返る
・他者の自己嫌悪を知って自分を見つめる

ことができるように、書いていきます。

自己嫌悪はあって当然

自己嫌悪は様々な呼び方で言われていますね。
自己否定、自己卑下、自己憐憫、自己無力感、コンプレックス、などなど。
それぞれニュアンスや定義が異なっていたりもするでしょうが、ここではすべてを含めて”自己嫌悪”という言葉で統一します。
言葉にこだわって難しくしても、嫌な感覚は抜けません。

で、こういった感情や心の動きは、「ネガティブだから、あってはいけない」と思い込みやすいし、一部の心理学では実際にそう言われていたりもするのですが…
自己嫌悪は、あって当たり前の感情です。

というよりも…

なければ、サイコパス。
サイコパスとは「極端に共感性の低い人物」のこと。

自分に嫌いな部分があって、心に痛みを感じるからこそ、他者の痛みにも心から共感することもできるわけですね。
ということは、自己嫌悪に陥ったことがある人は、どの体癖であったとしても、少なからず他者の痛みに目を向けることができるのです。

あなたがもし自己嫌悪に陥りやすいのだとしたら、それだけ理性を持った人間らしい人であるということ。
共感性を持った人間だからこそ、自己嫌悪が襲ってくるときもあるのです。

自己嫌悪を特に感じやすい体癖

とはいえ、ずっと「自分が嫌い。自分が嫌い」という精神状態では、生きていて楽しくない。

それは体癖的に言えば、ずっと低潮している、ということになるわけですが、ずっと低潮していたらそのうち大きな病気にかかってしまいます。
低潮はさっさと終わらせて、さっさと長く高潮し、また低潮してきたらまたさっさと終わらせて…というバイオリズムが理想的ですね。

低潮していると自己嫌悪を感じやすい体癖(言い換えれば、自己嫌悪が起こったとき=低潮している体癖)は、すでに前述しましたが、主に四種と八種です。
これらの体癖の特徴は、人から何か言われたとか、失敗したとか、そういった原因がなかったとしても、体の波によって自己嫌悪に陥ります。(詳しくは後述)

「六種も自己嫌悪になりやすいのではないか?」という声も聞こえてきそうですが…
私が見るところ、六種にはもう少し余裕がある。
”見せパン(見せるためのパンツ)”のような、いわば”見せ自己嫌悪”なのです。
「私はいま、自己嫌悪に陥っているぞ~」ということを、見せようとしてくる。
人に見てもらって、構ってもらって、承認欲求を埋めるために。
周りは「大丈夫かな?」と心配したり大騒ぎしたりするのですが、六種本人は自分一人だと割と普通だったりもするのです(笑)。

とはいえ、六種も自己嫌悪を感じるときは感じます。
が、低潮して本気の自己嫌悪に陥っているときほど、そういうところは見せず、突発的でヒステリー的な行動をとるようになりますね。

他の体癖も自己嫌悪するのですが、”何かしらの原因があって”という場合がほとんどです。
言い方を変えれば、四種と八種は自己嫌悪に陥るために、原因を必要としない、ということですね。

四種や八種が混じっている人、あるいは両方とも複合している人は、一見、絶望的に思えるかもしれませんが…
自己嫌悪には自己嫌悪の役割というものがあるとしたら、少しだけそのつらさにも意味が見出せるかもしれませんね。(詳しくは後述)

女性は皆、四種も持っている説

体癖の創始者(というよりは整体の創始者)野口晴哉先生は、「女性は皆、三種を持っている」とおっしゃっています。

おそらく、「体構造的に三種である」ということを言いたいのではなく、「三種的な感受性、心の流れがある」ということを言いたいのではないかと思うのです。

美しいものが好きで、わがままな部分があって、色彩感覚が豊かで、好きな人が「好き」と言っていることを好きになる…
対して男性は、理屈っぽくって、名誉を重んじて、何でも頭で考えなければ気が済まない一種を持っていると晴哉先生はおっしゃっていますね。

もし「女性には皆、三種的な感受性や心の流れがある」ということであるなら、私ソシャフィアは「女性には、”四種”的な感受性や心の流れもある」のではないかと考えるのです。
少なくとも、そういう見方はできる。
女性は皆、左右型の感受性が入っている説。

人によく気を遣って、気分が安定せず、その場では相手を否定せず心で否定して感情を溜めて、人が責めてくれなければ自分で自分を責める…

そして、男性よりも女性の方が、原因のない自己嫌悪に陥りやすい。

何かを言われたわけでもなく、やらかしたわけではないのに、女性は自己嫌悪に陥っているのです。
むしろ、自己嫌悪をするために「昔あんな失敗をした」とか「きっとあの人は私のことが嫌いなんだ」と考える。
原因があったとしても、原因よりも自己嫌悪が先に来て、後から原因らしいものを自分の頭から引き出してくるのです。

この心の流れ方は、四種そのもの。
そしてその自己嫌悪を、とても距離が近い人か、とても距離が遠い人にぶつける…

もちろん”濃度”はあります。
体癖の○種とはそもそもタイプ分けでもタイプ論でもなく、”その人の構成要素”であって、その構成要素がとても濃い人を二種とか五種という言い方をしますね。
一つの構成要素が濃いからといって、他の構成要素が全くない、というわけではありません。
どの構成要素も入っています。
誰にでも脳があり、呼吸器があり、泌尿器があり、誰でも体の上下や前後や左右捻じれの運動をするということは、多かれ少なかれ、誰でもすべての種の要素が入っているわけです。
その中でも、女性は一番目や二番目に濃度が低い種の要素よりは、三種や四種の濃度の方が高い、ということを言いたいのです。

女性の中でも、いつでも自己嫌悪に陥っている人もいれば、「いつでも」というわけではないけれどすごく陥りやすい人もいれば、少し陥りやすい人もいれば、周期的に陥りやすい人もいます。

いずれにしても、その自己嫌悪には、これといった原因がないことが多いのです。

原因を過去に求めたり、親やそれ以外の人に求めたり、前世や運命に求めたりする人もいます。
が、それらの原因らしきものが解消されたとしても、また同じように自己嫌悪に陥るのは、やはり女性の四種性がそうしているのだと考えられるのです。

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