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「広瀬通り、広瀬通り。お出口は、右側です。」
座席から腰をあげた陽菜はポケットの中の切符を確認し、列車を後にした。

地下鉄の駅構内は、外から持ち込まれた雪のせいでぐったりとした湿り気を帯びていた。
往来する人々の靴底から溶けた雪がそこら中でワックスを撒いたように通路一面で光沢を放っている。
小走りに陽菜の横をすり抜けて行った男性は足元をすくわれ転びそうになっている。
スケートリンクを歩く様な慎重な歩みで足元を気遣いながら進む陽菜は、地上への階段を一段ずつ踏みしめて上り、夜の定禅寺通りじょうぜんじどおりへと出た。

もう時間も遅かったが、目の前は若い男女やサラリーマンなど様々な年代の人々で賑わっている。
居酒屋やレストラン、カラオケやダーツ。
夏は雀躍りすずめおどりが印象深かったここ定禅寺通りは、飲食街である国分町こくぶんちょうのそばで地続きになっている為に、二次会や三次会の場所を探して流れる人々が多い。
様々な商業施設を含む大型のビルも乱立している為、何はなくとも人の通りは常に多いのだが、夜ともなればその往来は殊更と増してゆく。
道路脇に立ち並ぶ巨大なけやきの街路樹には一斉に電飾が施され、この季節の夜には道路一面がライトアップされる「光のページェント」が催されている。
目的は異なれど陽菜は少しだけその光景を目にできる事を期待していたが、今晩はもう時間外なのか既に消灯してしまった後だった。
「終わっちゃったかあ。。」
短く消沈して白い溜め息を吐く。
目にしていた欅並木から何気なく道向こうに目を向けると、流行りの音楽を店先で流すカラオケ店の前で、サンタの格好をした女性店員が若い男女のグループへ声をかけているのが見えた。
大学生の様な見た目の彼らは大声を出しながら話をろくに聴く様子もなく、頬笑みを絶やさないサンタの店員に導かれるまま、早々に店内へと消えていった。
雪をかぶった車が続く先の道路ではクラクションの音が幾度か響いたり、叫び声のようなものも聴こえて来る。
今晩の大雪の影響などものともせず、仙台の夜は変わらず賑々しい。
陽菜の目指すコラフはここからなら徒歩で数分の距離だ。
携帯電話で時間を確認する。
気を使ってくれた店長をあまり長く待たせるわけにもいかない。
粉雪を含んだ冷たい風を感じた陽菜は、首のマフラーを改めて固く巻き直すと傘をさし、定禅寺通りを歩み出した。

「さ、行くよ。」
巨獣のような車のエンジンを切ったまゆは、助手席の中崎へ目を向けることもなくシートベルトを外しながら言った。
中崎の返事を待つことなくそのまま一人で車を飛び降りると、煙草を咥えたままさっさと夜の闇の中へと進んでいってしまう。
置いていかれては困る。
中崎は慌ててベルトを外すとまゆの車から降りた。
充分に積もった雪を踏み締めて歩きながら、今夜の雪はいつまで降り続くのだろうと中崎は漆黒の空を見上げた。
覗き穴の様に闇の中で煌々と光る月が照らす駐車場内に停めてある車はまばらだ。
まるで何年も前からここに留まっているようにも思える。
入る時に目を引いた黄土色の自動精算機はかなりの年代物らしく、スピーカーから響く女性のアナウンスは水底に沈んでいるようにひどく奥まって聴こえてきた。
穴場といえば穴場なのだろうが、管理者が出入りしているのか不安な程に駐車場は寂れてしまっていた。
街灯も少ない寒々しい光景に中崎は白い息を吐く。
こうした隠れ家的な場所にこそ美味い料理屋はあると聞くが、人の気配がまるで感じられない目の前の状況には、一抹の疑わしさがあったからだ。
本当にこんな所に飯屋なんてあるのだろうか。
上着の粉雪を払い、歩きながら考えていると、まゆがヒールを鳴らしながら戻ってきた。
中崎の横をすり抜け、背後の車に鍵をかけると、再び踵を返して歩きだす。
!?
焦燥は微塵も感じられない石の様な表情と、当然というようなあまりの自然な所作に中崎は目を丸くする。
車に鍵をかける事を(あえて)忘れていたかの様な行為。。
はたまた中崎が降りるのを見計らい、物陰で待っていたのか。。
いずれにしても、奇妙なまゆの行動の理由は中崎には掴めなかった。
あぶなっかしいやつだと声をかけようとも思ったが、何故だか余計な発言のような気がしたのでやめることにした。
相変わらず雪はまだ降り続いている。
寒さで残り一本になってしまった煙草を吸うか悩んだが、こらえきれずにポケットから取り出し、中崎は火をつける。
それにしても、、
まゆと食事を一緒にとる事は構わないし、中崎自身もまゆと久々に話をしたいと思い始めていたのだが、ここまでの道中で既にひどく振りまわされている様で気が重くなる。
煙草を口にくわえ寒さを凌ぐように再び腕を組むと、先を行くまゆを追って歩く。
この寂れたパーキングへ停車するまでの間、まゆの車が辿る道筋が不安定であったことが途中まで気がかりだった。
運転席から何か音を流してとまゆに頼まれ、咄嗟につけたカーラジオが気に食わなかったのか、まゆはほどなく自分で音楽を流し始めたのだが(最初から自分でしろとも思う。)これがまた耳馴染みの無い楽器とリズムで中崎には騒々しく、民謡の様な節のある歌い方をする男性の声に意識をもっていかれた為に、ほとんど幻惑された様な状態でこの場所まで到着してしまっていた。
天使の様な青年達が歌唱するクリスマスソングが流れる時分にまるでお構いなしと熱波溢れるお祭り音楽をまゆに流されるのに中崎は参ってしまった。
彼女と交際しているデビくんは、いつもこんな日常を送っているのだろうか。
中崎は遠い記憶の中の彼を想い、再びため息と共に煙草の煙を吐いた。

暗い裏通りを抜けると少し開けた場所に出た。
駐車した場所が見慣れない場所だった為に心配になっていたが、どうやらここは仙台市中心部、定禅寺通りに隣接する何処からしい。
遠くの方では無数の人々の声が聴こえる様な気もする。
雪で視界は晴れないが、すこし見慣れた光景を前に中崎の不安は先程よりは幾許いくばくか軽くなる。
もうすっかり追いついて隣を歩くまゆへ、中崎は声をかけた。
「なぁおい、その店っていうのはここから近いのか」
「うん。もうすぐ。ほら、あそこ。」
寒さで少しだけ赤くなった細い指先で、まゆは道の向こうを示した。
と、しかし、中崎には店らしきものが判然としない。
視線の先にはそれらしき明かりは無く、依然そぼ降る雪としんとした闇が広がっているからだ。
言葉に詰まっていると、まゆは再び駆けだしていく。
「お、おい。」
中崎も足をもつれさせながら慌てて小走りになる。
数メートル先の建物の前で急に立ち止まったまゆは、細い腰に手を当てて頭を掻いた。
「あちゃー。。今日お休みだって。」
追いついた中崎がまゆの視線の先を目で追うと「臨時休業」と書かれた紙がガムテープで店先に貼り出されていた。
息切れも重なって中崎は膝に両手を乗せると思わず溜め息をついた。
「んー、、、なかちー、どうする。」
まゆは抑揚を欠いた声で言った
「どうするって、、この辺りに他にそういう店は無いのか。。」
冷えた空気を吸い込みながら中崎は息を整える。
「候補」という言葉すら頭に無い中崎には、思考が質問に追いつかない。
寒さも後押しして諦めに近い感情が既に心を満たし始めていた。
しばらく休業の紙を見つめていたまゆは、伸びた襟足を指先でくるくるとしながら、おもむろに辺りを見回した。

「おー!!なかちー、あそこ!あそこにしようよ。」

突然に大声をあげたまゆは、ようやく呼吸を落ち着けた中崎の背中を景気良く叩いた。
突然の痛みに驚き、低い声をあげながら中崎が背後を振り返ると、道路の向こうに一軒だけ明かりの点いた建物が見える。
幅の広い道路と雪の所為で看板の表記が良く見えず、飲食店かどうかは分からないが、この寒さを凌げるのなら中崎にとって有り難い場所であることは間違い無かった。
相変わらずまゆは中崎を放置して既に歩みだしている。
このまま考えてもこれ以上の代案が出る状況にも思えなかった中崎は、叩かれた背中を擦りながら先行くまゆの後を追った。





タチバナくんは苦笑していた。

「こういうの、映画でしか見たことねぇ。。」

古びた電柱の陰に身を寄せながら、タチバナくんは思わず口にする。
遡ること数分前。
沢山の車から怒りと驚きの込められたクラクションの合奏を受け、堂々と道路を縦断していったクボを追いかけていたタチバナくんは、住宅地と静かな定食屋の連なる路地裏にて、ようやっと彼らに追い付いていた。
視線の先には大男とクボが宿命の相手同士といった具合に一定の距離をおいて対峙している。
タチバナくんが物陰に隠れたままで彼らの近くに駆け寄る事ができないのは、言葉では説明できない鋭利な威圧感が二人から発せられている為だった。
夏の日にクボの背中に感じた野武士の様な野暮ったさと力強さを思い出す。
目の前でじっと向き合った二人の間には他を寄せ付けない一騎打ちの風が強く吹いている。
まるで時代劇。。タチバナくんはそう感じていた。

「おいお前!これ以上は逃さないぞ!」
突然とクボが大きな声を出した。
電柱に隠れたこの角度からはクボの背中しか見えず、表情は伺い知れない。
だが、その声はこれまで聴いた事の無い強い圧を含んだ野太いものだった。
怒りなどといった感情任せに言っている粗野なものとは違う、どこか確信を突く様な強い信念が込められているような。
タチバナくんにはそんな風に聴こえた。

今のって、、本当にクボさんの声なのか。。

口調こそ普段のクボらしくもあったが、タチバナくんの中ではコラフで一緒に働く飄々ひょうひょうとしたイメージと目の前の現実がうまく結びつかない。
人が変わったような。。
まさに別人の様だった。

タチバナくんはクボに声を投げかけられた大男の方を流し見る。
男は街灯の影になってしまっていて、こちらも表情は見えないが、身長はクボの倍近くあり、がっしりとした体躯に比べ、髪の毛が刈り上げられた小さな丸頭は巨大な岩に生えた瘤の様だ。
特注で拵えたようなツルツルとした巨大なコートを羽織っている。
先程までクボと共に走っていたせいだろう。乱れた呼吸を落ち着かせようと肩で息をしているのが動きで見えた。
クボはそんな大男とは違い、真っすぐに立ったまま落ちついてはいたが、白い息と共に体からは濛々と湯気があがっていた。
意図したことではないのだろうが、タチバナくんには武術家が身に纏う何かしらの覇気やオーラの様なものに見えており、殊更二人に近付き難くさせていた。
「一体なんなんだよ、、なにがどうなってんだよ。。」
スクリーンを最前線で眺めている様な興奮があると同時に、判然としない混乱と不安が湧きあがる。
雪と冷気ですっかり冷え切って真っ赤になった手を温めるタチバナくんの頭に、そば屋へ置いてきたりさの言葉が反芻はんすうする。

ーヤバそうな奴-
りさは息を切らしながらタチバナくんへそう話していた。
ヤバそうな奴。。まさか。。
タチバナくんの脳裏に市内を騒がせている暴力団のニュースが巡る。
ここからではあの大男の顔は見る事ができない。
だけど、だけど、もし、あの男が、さっきテレビに映っていた、、
あの日新聞に載っていた例の暴力団の男だったら。。
一度よぎった懸念はぐるぐるとタチバナくんの頭の中を駆け巡る。
視線の先に立つ大男は、どこからどうみても普通じゃない。
まるで、ゴリラだ。いや、、熊だ!
タチバナくんにはもう目の前の男が他の土地を侵略して、次の目的地へと攻め込んできた凶暴なヒグマにしか見えなくなっていた。
というか、そうとしか思えない。絶対にそうだ。
やばいやばいやばい。クボさん、そんな奴に喧嘩売っちゃだめだよ。。
タチバナくんは降り続ける粉雪を払いながら黄金色の髪の毛を掻きむしった。




「いらっしゃいませ。空いてる席へどうぞ。」
まゆの後を追ってオレンジ色の明かりの点る建物へ駆け込んだ中崎は安堵していた。
ログハウスを模したカントリー調の店内には、狩猟に用いる様な模造銃や黄色やピンクのドライフラワーなどが壁に飾られていて、いかにもアメリカの田舎町を意識していますといったデザインだった。
店奥の調理場は吹き抜けでこちらから見えるようになっており、中崎がなんとなく目を向けると口元に不精髭を生やした店主とおぼしき男性がこちらへ向け微笑みながら会釈をしていた。
白いシャツとエプロンについた黒い汚れと髭が相まって、彼はまるで炭鉱から出て来た様な見てくれだ。
古めかしいスピーカーからアコースティックなBGMが流れる店内には、中崎達以外にはお客はいないようだった。
既に座席に座り、まゆは卓上のメニューをさっそうと眺めている。
中崎は厨房の彼へ向けて会釈を返すと、コートを脱いで向かいの席に腰掛けた。
暖炉の様な柔らかくて温かい空気が店内に流れている。
まゆが手にしている大判のメニューの裏面に綴られた文字を中崎はなんとなく眺めた。
♪WELCOME BACK  TO OLD HOME TOWN♪」
オールドホームタウン。。なるほど。
この店は自然豊かな故郷、生まれ育った帰るべき場所などをイメージしているのだろう。
大文字の下には店で使用している素材の説明などが綴られているようだが、まゆの指先のネイルが遮っていて全てを読むことはできない。
まるでクレヨンか色鉛筆を使って描いた様な温かみのある牧草地と、そこに佇む牛のイラストがメニューの端々に描かれていた。
「ホイスキー、、ステイク。。」
突然まゆはそうつぶやくと、さっとメニューを裏返した。
まゆが目にしていた面が自然と中崎側へ向けられる。
何事か気になってふと目をやると、当店イチオシというニュアンスの派手な装飾の枠の中心に巨大な肉の塊が描かれていた。
大きな黒い鉄板の中心に焼き色が付いた真っ赤な一枚肉。
黒胡椒がまぶされた皮つきポテト。バターでソテーされたコーン。
うーん。なんとうか、、いかにも "アメリカ的"な絵だ。
ステレオタイプの様な店の世界観に中崎は自然と顔が綻んだ。
インパクトのある絵の上部には揺らめく炎の様な筆致で「Whiskey Steak(BEEF)ウィスキーステーキ(ビーフ)」とあった。
中崎は合点がてんする。先程まゆはこれの事を口走っていたのだ。
反対側を眺めるまゆの手からメニューをそっと引き抜くと、英字を指しながら中崎はテーブルの上にメニューを広げた。
「小峰、これはな、ホイスキーではなくてウイスキーと読むんだ。それから、ここ。発音は多分間違いではないだろうが、ステイクではなくて、ステーキと読む方が日本的には馴染みがあるぞ。」
一息に説明すると、中崎は肉の絵を指先で軽く叩いた。
よく見ると英字の表記の上には丁寧に小さく振り仮名も振られていると言うのに、一体どうやったらそういう読み方になってしまうのだろうか。。
まゆは、中崎の説明に対してまるで興味がないという感じに雪が降る窓の外を眺めていた。
小さく欠伸をすると、まゆは着たままだったファージャケットを足元の荷物入れに投げ込んだ。
中崎もそれに習ってジャケットを脱ごうとしていると、店員が背後に近づいてきて声をかけた。
「お決まりでしたか?」
中崎は声の方へ顔を向ける。
店員の若い女性は古風な花柄なエプロンをつけて、髪を三つ編みにしていた。
微笑みかける口元から八重歯がのぞく。
身に付けたエプロンは元からそうなのか、実際に年季のはいったものなのか色落ちしているようで、恐ろしく古めかしい印象を放っていた。
彼女は目の前のまゆと年齢が近しくも思えたが、服装や髪形、その純朴な笑顔からは同じ年頃の女性同士でもこんなにも違うのかと思えてくる。
中崎は彼女の健気な姿勢に昔読んだ小説に出てくる赤毛の少女を重ねた。
「このホイスキービーフをください。あとライスは大盛りにできますか」
黙っていた中崎をよそにまゆは早口で彼女へ話しかけた。
「ウィスキーステーキですね。かしこまりました。ライスは、、お客さま、大変失礼ですが当店は通常サイズがとても多いので、大盛りは女性の方にはあまり、、おすすめは、、」
三つ編みの女性は申し訳ないという弱々しい声音でまゆへ話したが、
向かいに座る中崎をちらと見つめるとすぐに表情を変え
「あ、ちが、いえ、こちら、、男性の方にはちょうどいいと思います。すみません。大盛り、そうですよね。失礼しました。」
どうやら中崎の注文をまゆが代行したと解釈した様だ。
細身のまゆが大盛のごはんと巨大肉を食べるなんて意外だと感じたからだろう。実際にはまゆの注文に変わりないのだが、女性はとんでもない失態を犯してしまったとばかり顔を歪ませている。
そうして慌てて言葉を訂正する懸命な姿に中崎は再び顔を綻ばせた。
しかし、目の前であたふたする女性に当のまゆは全く解せないという固い表情を向けながら、うちライス大盛りで。と素っ気なく返した。

店員の女性もその言葉に「え?」と、面食らった様な顔をする。

「あ、、か、、かしこまりました。。あっ、えっと、お客様はお決まりでしょうか…」

「ねぇ、ここって煙草吸えるの?」

中崎へ頬笑みかけた彼女にまゆが割り込んで話しかける。
「あ、、も、申し訳ありません、、、当店は全席禁え..」
彼女の言葉を全て聴くまでもなく席を立ったまゆは、さっさと店外へ出て行ってしまった。
突然の動きに、女性はまたしても失態を犯したとばかりに店を出るまゆに呼びかけたが、その声は届かない。
外は極寒だというのにファーコートは荷物入れに入れられたままだ。
席に残された中崎は、あからさまに表情が曇った彼女へ声をかける。
「すみませんねぇ、気にしないでください。あいつは少し変わってるもんで。お姉さんは何も悪くないですから。」
「あっ、、すみ、、申し訳ありません、、私、、大盛りって注文、、誤解したみたいで、、」
「いえいえ、、あんな細いのに、存外結構食べるんですよ。びっくりしますよね。」
沈痛な表情のままの彼女へ、中崎は再び落ちつかせる言葉をかける。
彼女の肩越しにちらと奥の厨房を眺めると、案の定心配した様な顔で髭の男がこちらの様子を伺っている。
中崎は軽く会釈をしてから頭を掻いた。
万が一あの店主に厄介な客だと誤解され雪の中へ追いだされてしまうのは困る。
中崎は自分の注文はいいので先にまゆの注文を通す様に彼女へ伝えた。
「かしこまりました。では、、失礼します。。」
店員の女性は窓の向こうで煙草を吸うまゆにも詫びる様な視線とお辞儀をするとカウンターの向こうへ歩いて行った。
「まったく、、小峰はどこでもあんな感じなんだな。。」
中崎はやれやれといった具合に息をつく。
「あんな格好のままじゃ風邪をひいてしまうだろ。。」
置き去りにされた白いファーコートを荷物入れから引き上げると、まゆの元へ届けるべく中崎は席を立った。
と、突然ドアベルが乱暴に響き、野暮ったい声がこちらに飛んで来た。

「いらっしゃいましたァー!こんばんわぁぁー!」

なにごとかと入口へ目をやると、若い男女の二人組がふらふらとよろめきながら舐めるような視線で店内を見回している。
二人ともラテックスの様な服を身につけ派手な色に髪の毛を染め上げていた。
「すいませぇーん。お客さまをォォ。。ご案内してくださぁーい」
穏やかな店内に響きわたる男の声は、不必要に大きく気だるげだった。
女性の方はそんな男性が面白いのか隣でけらけらと笑っている。
中崎は瞬時に思う。彼らとはお近づきになりたくないな、と。
しかし、、だからといって、このままにしておくべきか。。

「い、いらっしゃいませ、お待たせしました。。あの、空いてる席へどうぞ。。」
先程の女性店員が厨房から慌てて飛び出してきた。
店内に響き渡る場違いな大声に彼女の表情は既に怯えているようだった。
男は彼女を前に急に冷静な顔になり、店内に立つ中崎を一瞥すると、再びくくっと笑いだした。
「あ?、、空いてる席ぃぃ?いやいや、つか、空いてる席ってぇぇ、全部じゃん?ってことは、、俺らの貸し切りぃぃー?」
席を立ってコートを手にしていた中崎の姿を目にし、男にはそれが帰り支度をしている様に見えたのだろう。
再び絶叫に似た頓強な声をあげ、男は笑い続ける傍らの女性の手を取りながら店の隅に並べられた団体客用の大テーブルへ迷わず突き進んでいった。

離れた場所に立つ中崎のそばをわざとらしく通り過ぎた男は、まるで腫れものでも見る様に威圧的な視線を向ける。
クリームソーダを濃縮したような甘い香水の香りが鼻を突いた。
先程までの温かな空気が一瞬で壊された事に、中崎はひどく憤りを感じていたが、男の顔を睨み返すことも、なにかを口にすることもできなかった。
店員の女性は未だに何が起きているのか分からないという様子で伝票を胸元で抑えつけながら入り口前で立ちすくんでいる。
「おねぇーちゃん、はやくメニューもってきてよ。」
ガタガタと音を立てて乱暴に席につくなり男は言った。



横道へ一本入り、しばらく進むと徐々に喧騒は遠のいていく。
白い雪が積もる一本道。この路地を抜ければ目的地のコラフだ。
すっかり赤くなった鼻をマフラーで覆いながら陽菜は歩を進める。
テトリスの様なブロックの外壁が印象的なアパートや、黒と白を基調とした背の高いマンション、そうした現代的な建物の隣には既にシャッターを閉めた古めかしい店舗があり、何処かから切り抜いてきたみたいに馴染みきれない民家が夜の闇に溶けるように数軒建ち並んでいる。
駅前中心部は商業施設や飲み屋などが建ち並び、人の往来は激しくもあるが、こうして道路や路地を一つか二つ曲がるだけでそこが小さな住宅地になっていたり、急に景色が変わることはよくある。
先程の賑やかな光景が夢の様で、灯りの消えた民家から誰かの寝息が聴こえてきそうな程静かだった。
路地の終わり、見えてきた十字路の手前に差し掛かったあたりで陽菜は突然足を止めた。
「、、?」
視線の先、雪の中に二つの人影が見える。
陽菜は最初、それが並んで立つ電信柱に見えていたのだが、距離が近づくにつれそれが人だという事に気付いた。
路地には街灯が灯っていたが、配置がどれも不規則で陽菜の視界の先の二人は黒々とした物体の様にしか見えなかったのだ。
「、、なに...あれ、、」
暗い路地でじっとして動かないでいる二人の姿に陽菜は急に恐怖を覚え、すぐそばの民家の外壁に身を寄せる。心臓が急に速度を上げて鳴りだすのが分かった。
この道路を過ぎればコラフなのに。。
陽菜は再び路地の二人へそっと目を向ける。動きはない。
二人は、互いに向き合って立っている様にも見えるが、もしかしたら道の向こうから一人で歩いてきた陽菜を狙い、じっと待っていたのかもしれない。ずっとこっちを見ていたのかもしれない。
一度よぎった不安は既に陽菜の中では確信に満ちた恐怖に変わっている。
最近は市内でも物騒な事件が多かった。店長が読んでいた新聞に乗っていた記事。。暴力団。
恐怖と対峙するまで何処か他人事だった当事者意識が、侵食する様にじわじわと脳裏に広がっていく。
向こうの影は動いていない様にも見えるが、それは同時に陽菜自身の挙動を目を凝らして伺っている様にも思えた。
どうしよう。こちらは一人であっちは二人。雪で足元も悪い。走って逃げても捕まってしまう。あっちが男二人ならそのまま何処かへ連れて行かれてしまうかもしれない。。どうしよう。どうしよう。怖い。
考えてもみれば、一人で夜に路地を歩くこと自体久しぶりだった。中崎さんからの小説の話、デビとまゆの恋愛。光のページェント。。肉まん。
瑣末な事をつらつらと考えていた陽菜は、夜に潜む危険性を今の今まで忘れていた。
どうしよう。どうすれば。。そうだ。電話。電話だ。店長に。店長。
陽菜はコラフにいる店長へ電話をかけようとコートからスマホを取りだしたが、寒さなのか恐怖なのか急ぐ気持ちと裏腹に指先が震えて思うように動かない。落ちつかなきゃ。急がなきゃ。早く、早く、ゆっくり、ゆっくり。呼吸が早くなり、肺がどんどん冷たくなるのを感じていたが額には汗が滲んでいた。指先をもたつかせながら画面をタップしようと意識を液晶に集中させる。と、その時だった。
雪の降る静寂の中、道路の向こうの影が突然と叫び声をあげたのだ。
「ひゃっ」と陽菜は驚いて地面にスマホを落としてしまう。
雪を払いつつ素早く拾い上げた陽菜はスマホを胸に押し当てながら外壁に背中を寄せる。
と、恐怖で混乱する中に不思議な違和感を感じた陽菜は瞬間的に冷静さを取り戻す。
今の大声を、どこかで聴いた気がする。。
それは自分にとって身近でいて、よく耳にしていた声に近かった。
電柱の陰から顔を覗かせ、道の先の影を再び凝視する。
陽菜の横を出前のバイクが横切り、ライトが道向こうの二人をぼんやり照らしだした。
あっ、と陽菜は小さく声をあげる。
そこに立っていたのは岩の様な大男と、粉雪を頭に乗せたクボだった。









自費出版の経費などを考えています。