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言い逃げをするクボを見つめた後、陽菜はゴエモンに再び視線を戻した。

ゴエモン、まだ、食べていない。。寝てるのだろうか。。
ゴエモンの卓にナポリタンが到着してから既に10分は経過していた。ナポリタンからもうもうと立ち上げていた湯気が収まる頃、ゴエモンはすぅっと鼻から空気を吸い込んだ後カッと目を見開いた。
陽菜が再びゴエモンに目をやった頃合には彼はまるで待て!の指示を解かれた犬のように一心不乱にナポリタンを食べていた。
もちもちとした麺と絡み合う具材をフォークという刀を使い戦う侍。素早く口の中に入れはしているが卓の上に具材などが飛び散る様な幼稚さは見えない。
す、すごい。。人生の中でこんなにも長い間、他人が飲食をする光景をジっと見たことはない。豪快だがどこか粛々とした光景に陽菜は武士のなんとかみたいなものを感じていた。(くわしいことはしらない)
ナポリタンを食べ終えたゴエモンは一息をつくという素振りもなく立ち上がり、コラフの小さな古いレジの前にすっと移動し会計を待ち始めた。
卓に残された皿に一瞬目を奪われていた陽菜はそこで現実に戻され慌ててゴエモンの待つレジに駆けて行った。
直前まで食器を洗っていた為まだ少し湿った手でゴエモンから差し出されたお札を受け取り会計を済ませる。ありがとうございました。
そう言ってゴエモンの顔を見た陽菜は、あっ。という声が喉から出る寸前で口の中に押し込めた。
ゴエモンは陽菜の唐突な緊張ぶりに瞬間、むっ?と片目を見開くような仕草をしたように見えたが黙ってコラフのドアを開け帰っていった。
口の周りにケチャップをつけたままで大丈夫だろうか。。陽菜は先ほどの咄嗟の自分の仕草を省みながらゴエモンの背中を見つめながら想った。
「大丈夫かい?」
振り向くと陽菜を心配そうに見つめる店長の姿があった。この人は口ひげが似合う。
「あ、、だいじょうぶです。。店長、あの人っていつもナポリタンしか食べないんですか?」
陽菜は店長のヒゲをちらと見てから話した。
「さぁねえ。俺、人の顔覚えるの苦手だから。」
「そうですか。。」
考えてもみれば店長は厨房の中でも奥まった調理場の前で過ごす事がほとんどで、店内のお客の顔をゆっくりと見る暇もない。
その事を差し引いても顔を覚えるのが元から苦手ならば尚の事で、至極当然の返事だった。
「陽菜ちゃん、そろそろ片づけを始めないと」店長の言葉に、はっと時計を見るとランチの営業時間は終わりを迎えていた。
ゴエモンの見事なナポリタン捌き。その不思議な光景に目を奪われていた陽菜は、過ぎた時間と洗いかけの食器の存在を遅れて認知し、焦った。
「すみません店長、急ぎます。」「お皿、割らないようにね」店長は少し眉を下げながら陽菜に言うとレジに向い、売り上げの集計作業をし始めた。
急いで食器を洗いにシンクの前に戻った陽菜は手早く洗い物を片付け、店内の掃除にとりかかった。
ゴエモン、彼は一体どんな人物なのだろう。どうしてナポリタンしか食べないのだろう。陽菜の頭の中を口元にケチャップを付けたゴエモンがぐるぐると回る。ぐるぐるぐるぐる。
「ただいまですー」
店の入り口から気だるげな声が聴こえた。クボさんだ。キャベツを持ったまま居なくなったと思っていたがどうやら買出しに出ていたらしい。
言葉数もそれ程多くなくいつもふらっとどこかへ行ってしまうクボの自由人ぶりは長い付き合いがあるからこそ店長も理解しているようだった。
厨房の中へ向かうクボの腕から下がるビニール袋を見つめていると、なにやらお店の食材とは無関係のものも買っているようだった。うまい棒だ。
もういつだったかは思い出せないがクボさんが買ってきた野菜の隙間からうまい棒がはみ出していた事があった。納豆味。また買ったのかな。。
クボにとってうまい棒は仕事の後の煙草や缶コーヒーの様な存在らしく陽菜も何度かクボから納豆味のうまい棒を差し出された事があった。
「新人、納豆味のうまい棒はな、いつでもお店にあるわけじゃあない。だから貴重なんだよ。」
いつかのクボがうまい棒をかじりながら話していたこと。
そんなことを考えながら陽菜は一度手を止めていた手元のモップに再度力を入れ掃除を再開させた。窓から夕暮れの光が店内へ差し込んでいた。



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