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コラフの古めかしい店舗も陽菜にとっては水無月コウタロウを想う故に輝いて見え、この場所に来る度に心が少し浮き足だつのであった。
「よ!」コラフの入り口を開けた陽菜の横からドッと大きな声が響いた。突然のことに思わずひゃっという声が漏れ体をよける陽菜。
「新人。昨夜はカレーをたべたな?」先ほどまで安堵していた陽菜の心はやつきばやな一言に一瞬にして崩れ落ち思わず衣服を嗅いでしまった。
匂いますか。という陽菜の問いに対し彼女はグララァと豪快に笑いながら厨房に進んでいった。何がそんなに面白いのだろう。
朝から調子を崩され、拭えないスパイスの不安と珍妙な気分を抱えながら陽菜はコラフの薄暗い更衣室へと向かった。


クボさんこと、久保桃子(クボ トウコ)はコラフに昔から勤務している古参アルバイターで(古参といってもコラフには陽菜とクボの二名しかアルバイターは居ない)
肩まで伸ばした髪の毛は輪ゴムで一つ結びにし笑うときは轟々としていて、時々急に居なくなったり、厨房の壁にできたシミを油性マジックで繋いで星座を作ったり、なんだか唐突に妙な言葉を発したと思えば新しい口癖の候補なんだとトンチキな事を言い出す。

最近拾った野良犬にはヘチマと名付け、そのネーミングセンスを自慢された。
陽菜にとっては学ぶことの多いはずの大先輩だが、そうした事もありクボは掴み所の無い難解な存在なのであった。
お昼の忙しない業務を終え、遅めの休憩をとった陽菜が厨房のシンクの前に戻るとクボが不適な笑みを浮かべながら大きなキャベツをザクザクと切り分けていた。
隣に目をやると、陽菜が休憩前にクボに頼んでいた洗われるはずの汚れた食器たちがデジャヴの様にそのままで置いてあった。クボさん。。
目の前に投げ出された現実をしっかりと咀嚼し飲み込む。食器達が溜まったシンクは油やソースなどが混ざり合い混沌としたカオスを想像させた。
役目を終え、澱んだ宇宙に投げ入れられた食器達をカオスの中から救い出し、またお客様の待つテーブルへと戻す。陽菜は目の前のお皿一枚に意識を向けた。
「新人、わしが今何を考えているかわかるかい?」お皿を見つめた陽菜にクボが横から声をかけた。
またか。。これがもう何度目の同じ質問だという気持ちを押し殺しながらも、いえ、わかりません。。と順応に答える陽菜。
クボさんはいつも私に自分の気持ちを考えさせようとする。ちょっとめんどくさい。。(言わないけど)
「2番テーブルに座ってる長髪(ロンゲ)、ゴエモンにそっくりなんだ。」そういうとクボはニシッと微笑んだ。
手元の食器を洗いながらカウンター越しに陽菜はクボが言う二番テーブルの方へ、すっと目を向ける。
なるほど。と、その2番テーブルの長髪の男性は口をへの字にきゅっと結び何故か瞼を閉じながらテーブルに置かれたナポリタンを前に座っているというよりも、どこかお寺でお坊さんが正座しているような、詳しいことはよくは分からないが「禅」の様な空気感を醸し出していた。

それは陽菜が昔何処かで見た怪盗漫画に登場する時代にそぐわない容姿の長髪のサムライの姿になんとなく、いや、確かに似ていた。
が、陽菜にとっては同時にそれはモヤモヤとしたものでもあって、あまり深く存在を知らないため多くを語れるようなものでもなかった。
ほんとですね。とこれ以上そのキャラクターについては突っ込まないで欲しいという願いも込め控えめに、且つ少し興味深げな口調で返事をクボに返した。

「わしの記憶が正しければ二年だ。」んー。。クボさんはどうして自らをわしと呼ぶのだろう。そして二年とはなんのことなのか。陽菜は脳内で二つの問いをクボに投げかける。

「ゴエモンは二年前から、いつも、ナポリタンしか食べないんだ。」ああ、そうかという雑な納得と共にコラフに来て今日までその事に気付かなかった自分がいることに驚く。
働き始めてからお店の雰囲気や覚える仕事の多さに意識を向けていた自分は、ナポリタンを前に腕を組み鎮座するゴエモンという存在に気付けなかったのかと。

「新人、わしとゴエモンはどうやら相容れない。。」そう言うと陽菜の返事を待つことなくクボはいつの間にか仕込みを終えた刻みキャベツが入ったボウルを持ちながら去っていった。


自費出版の経費などを考えています。