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橘君は苦笑しながら目の前に差し出されたうまい棒を見つめていた。
牛タン味。牛タンかあ。。俺、コンポタが好きなんだよなあ。
「若造。ちょっと付き合え。」
狐の様に細い目をしながら仏頂面のクボはそう言った。
喫茶コラフは青葉祭りの影響もあり今日の営業は久しぶりの大繁盛で、店の外にまで珍しく列を作っていた。
ただでさえ急がしいのに癖の強いクボと働いたことで、橘君の疲労は顕著に顔に出ていた。なんだか髪の毛もしゅんとしている。
今日は帰ったらシャワーを浴びてソッコー布団に飛び込んでやろう。そう考えながらコラフを出た矢先にクボが現れた。
入り口ドアの死角から、おい。と声をかけられた橘君は、驚いた拍子にコラフのドアノブに派手に肘をぶつけてしまった。
悶絶する橘君など全く意に介さない無表情のクボは、競技場で退場を叩きつける審判の様にうまい棒をぐっと差し出したのだった。
なんなんだよこの人、と思いつつ、受け取らなければ回し蹴りが飛んできそうだったので橘君は「うす」と頭を下げると、そっとうまい棒を受け取った。
クボはうまい棒を渡したかと思うとすぐにスタスタと歩き出す。ほとんど言ってないに等しい声で「ついてこい」と煙の様に言葉を吐いた。
太陽は沈みかけていても熱のある空気は衰えず、クボはいつも着ているジャケットを今日は肩にかけて歩いていた。
「あ、ちょ、ちょっと。」
橘君は肘の痛みも治まらないまま、うまい棒を片手に小鹿の様な足取りでクボを追いかけた。
日が暮れ行く市内にはオレンジに染まった人々が祭りの余韻を顔に残しながら連れ立って歩いている。
子供達は日中祭りのイベントにでも参加したのだろう。顔には赤と黒の隈取の様なメイクをしてはしゃいでいた。
歩調を合わせるような事もしないで先を闊歩するクボに添う様に橘君は足取りを早めながら隣を歩いた。
「クボさん、これ、なんすか?」
橘君は唐突に手渡されたうまい棒の意味が解釈できず、立派な眉毛を少し下げながらクボに問うた。
「仕事終わりのうまい棒は格別だ。若造には早かったか。」
クボはうまい棒の意味を理解できない橘君を見下げるような言い方で言葉を投げた。視線はずっと前を向いたままだ。
仕事終わりは缶コーヒーとか煙草じゃねーのかよ。と、橘君は口を尖らせながら思った。
「久々に寄りたい店があってな。女一人じゃ不安だろ。」
その言葉を聴いてクボが女性だということを橘君は思い出す。俺なんかよりよっぽど男っぽいよ、とも思った。
浴衣姿の眩しい男女が、昨夜のテレビに出ていた芸人の話題で笑いあいながら二人の横を通り過ぎる。
露木さん、今日は仕事休んでたけど、祭りに来てるのかな。浴衣とかめっちゃ似合うんだろうな。
橘君は、ふと、浴衣 + 女性 + クボ = という空疎な方程式を作り、頭の中で組み合わせたが、陽菜の弾ける浴衣姿が横槍を射す様に打ち壊す。
クボさんはどちらかと言うと擦れた甚平なんかを乱暴に来て、荒波の立つ岸壁で独りで太刀稽古なんかしてる方がしっくりくる。
橘君の脳内では、クボは理解できない存在であって、何処までも中性的な人物なのだった。露木さんとは大違いだ。
よく分からない妄想をくしゃくしゃに丸め黒暗に投げ入れてから、橘君は隣を歩く背の高い異星人を見る。
クボは手にしていたうまい棒の残りを口に咥えると、日に焼けた細い両手をジーンズのポケットに突っ込んでいた。
小さな村を取り締まる自警団の様に傲然とした歩みをするクボだが、口元のうまい棒のせいで意図しない滑稽さが溢れ出ていた。
ひょっとこの様な顔のクボを横目に笑いを堪えている橘君の頭の中は、気になってしまう情報達が今や渋滞を起していた。
「その店って、どの辺りすか?」
橘君は間違っても吹き出してしまわないようにコンクリートの裂け目から生えた雑草に目をやりながらぼそぼそと聴いた。
「ブンチョーだ。今日は祭りだったし、店、混んでるかもな」
クボは咥えていたうまい棒を口の中に押し込み、返答と咀嚼の混じった声を上げた。うまい棒の粉が道路に零れる。
仙台には国分町という東北一とも言われる飲食街があり、市民はこれを略称としてよく、ブンチョーと呼ぶのだった。
二人が目指す場所までは喫茶コラフからそう遠くない。駅前の繁華街は密集したコロニーの様なので大きく移動したりすることは少なかった。
都心の様にそういった場所が各所に点在している訳ではないので、仙台市民は駅前を中心とした圏内である程度の事を済ませられるのだ。
「俺、あの辺あんまり行った事無いんで、ちょっと新鮮っすね。」
橘君は牛タン味のうまい棒の包装を解こうと手元に目をやった、と。急にクボが隣から気配を消した事に気付き歩みを止め振り返る。
クボは2メートル程先で地図を手に頭を掻き毟るリュックの青年を見ていた。外国人だ。一つに結んだクボの髪の毛が垂れた稲穂の様に揺れている。
「クボさん?」
橘君は青年を黙って見つめているクボに声をかけたが、どうやら聴こえていないらしくクボは怖い顔をしたまま一直線に彼の方へ歩みだしていた。
「Excuse me.」
橘君は最初その青年が話しかけたのかと錯覚したが、紛れも無くそれはクボの口から発せられた言葉だった。
救助船を見つけた船員の様に青年は笑みを浮かべ何やら早口でクボに向けて言葉を並べ立てた。
クボは青年が持っていた皺苦茶の地図をちらと眺めると、彼に顔を少し近づけながら現在地と目的地を指差し適切な経路を案内している様だった。
青年は何度も小さく頷きながら一通り話を聴き安堵の表情を浮かべると、大きくお辞儀をするとたどたどしく「アリガトウ」とクボに声をかけた。
クボはそれを聴いてグラララと五月蝿く笑ったと思うと青年の肩を軽く叩き「Dont't worry, no problem」と親指を突き出していた。
青年もそれに呼応するようにグッと親指を上げてからクボに手を振った。橘君には一連の様子が蛇口から水が出るように自然な出来事に見えていた。
対話を終えてこちらに大股で戻ってくるクボのすまんすまんという声を聴き、橘君は目の前の光景を今一度しっかりと噛み締めた。
「や、クボさん、英語話せるんすか」
人間、本当に予想外な事に巡り合うと呆然とする事を身をもって知った橘君は、遅れた理解を急ぎ得る様にクボに話しかけた。
「んぁ、まぁな。」
一体にお前は大袈裟な顔をして何を尋ねとるんだ。とばかりに露骨な生返事をしたクボはさっさと歩き出している。
「クボさん留学とかしてたんすか。発音とかも本物みたいっつーか。」
「パブロフの犬というのを知ってるか。わしはそれと似たような事をしただけだ。」
橘君の質問を閉じ込める様にクボは鷹揚に応えた。目の前の信号が赤になり立ち止まる。
「あの青年は、わしよりもずっと若い。国を離れて、何かきっと大きな目的でもあるだろう。青い魂はあんな所で迷ってる時間は勿体無い。だから道を教えてやった。できることがあるからやっただけさ。」
クボはまるで先程の青年と古くからの付き合いでもあるかのように、愛着を込めた声色で一語ずつ紡ぐように言葉を吐いた。
パブロフ。魂。なにを言ってるのかよく理解できなかったが、少なくとも既に橘君の考え方は先程とは180度違ったものになっていた。
「なんか、かっこよかったっす。」
信号が変わり二人は繁華街、国分町の裏手に位置するくたびれた路地の前に到着した。いつの間にか日はすっかり暮れている。
既に通りは人々で賑わっており、車両の出入りが制限された道路には漆黒のスーツを着た男達が間隔を空けて立ち、通行人へ声をかけていた。
橘君とクボはそんな黒い連中の間をすり抜けながら歩いた。赤提灯が下がる店先からは甘辛い匂いを燻した煙が店内へと誘う様に鼻に入ってくる。
勤務後の空腹もあってか橘君は物色する様に道すがら流し目に店内を覗いた。対照的にクボは目的地に向かい真っ直ぐに前を見て歩いている。
緑や紫の蛍光色のネオンライトが照らす宮殿の様なビルの下では、身の丈に小さ過ぎる華奢なドレスを着た女性が手を振って客らしき男性を見送っていた。
コンビニの前のゴミ箱は元の姿が分からない程様々な物が詰め込まれており、飲酒対策用のドリンクがマトリョーシカの様にゴミ箱の上に並べられていた。
目前に広がる光景は陽気な表情を浮かべた人だけ観れば天国の様でもあったが、それは同時に底知れぬ沼の様な澱みの深さの裏返しともとれた。
二人の前を先程から仲良く歩いていた男女も会話の端々を聴くと、実は連れ立っているのではなく男性側が延々と口説いている事が判明したばかりだ。
橘君はそういった景色を見つつ、確かにこの場所は女性一人には心もとないかもしれないと、先程のクボの発言を遅れて理解するのだった。
しかし、ポケットに手を突っ込んでポーニーテールをゆらゆら揺らすクボの涼しげな顔を見ると、その考えもすぐに勘違いの様な気もしてきていた。
裏通りを抜け中心のメインストリートをしばらく歩くと、目当ての店があったようでクボが少し歩みを早めたのを橘君は気付く。
普段どういった形でお店を開けているのか橘君は知らなかったが、締め切られた入り口に貼られた一枚の紙を見るにどうやらお店は休業の様だった。
クボはポケットから手を出し、差し詰め名探偵の様に顎に指先を押し付けながら低い声でなにかを呟いていた。
張り紙には”勝手ながら本日は休業とさせていただきます”と、堂々たる事実のみが消えかけた油性マジックで書かれていた。
軒下には大木を縦に切った看板が悠然と掲げられており、店の名らしきものはなかったが支那そばと達筆で綴られていた。
「ここ、すか? なんか休みみたいっすね。」
「見れば分かる。」
クボは口惜しい様な表情は微塵も見せなかったが、橘君の言葉を弾き返すように即座に言った。
表の張り紙を凝視したままデッサンされる事を待つ銅像の様になっているクボをどうにかしたくて橘君は周りをぐるりと見渡す。
正直な所、とりあえず何かを食べなければ自分も同様に石化してしまいそうだと橘君は思う。選り好みする余裕など無かった。
向かい側に大衆居酒屋を見つけたのでクボの肩を叩き、半ば強引に店舗側へ橘君は誘導した。後ろ髪を引かれる様にクボは首だけを店舗へ向けていた。
「いらっしゃいませ。2名様ですか」
店先の若い店員が必要以上の笑顔で声をかける。
「只今、えー、店内の方、お席の方を、御用意の方させていただきますので、少々お待ちくださいませぇ」
「方」が一々多いなぁ。と、同じ接客業の癖が出てしまった橘君は失敗した福笑いみたいな顔で頷いた。
「豚足」とクボが夢うつつの様な口調で言った。橘君は聞き間違いを確認する意味も込めて、え?とクボを見る。
「あの店で、わしは豚足を手土産にもらうはずだった。」
察するに20代半ばのこの人はどうしてこうも年齢に逆行する様な言葉を次々口にするのか。わけわかんねーと橘君は思う。
「クボさん、豚足すきなんすか?自分見た事はないっすけどあれって食えるんすね」
「大将とは古い付き合いでな。わしの我儘でそのままの物を頂いて家で調理するのさ。」
仙台の女性は家で豚足を料理するのか。いやいや。たぶんそれはこの人が異星人だからに決まってる。
橘君はクボの話に順当に応えようとはしたが、店内から漂ってくる香ばしい匂いのせいで適当な相槌をするに留まった。
と、鼻先とは別に橘君の耳に若い女性の笑い声が聴こえ、なんとなく横に目をやると亜麻色のギターケースを抱えた女性と長身の男性が会話をしている。
クボとは対照的に小柄な女性は印象的な丸いメガネをかけ、ソーダ色のタイトなジーンズを身に着けていた。大きめなギターケースのせいか実際より小さく女性が際立って見える。
顔を横に向け黙った橘君に気づいたクボは、あぁ。と声を漏らした。あの時の路上アーティスト。確か名前は、りさだったかな。
「クボさん、しってるんすか。綺麗な人っすねぇ。。」
数週間前にあった路上ライブの話を語りだしたクボを尻目に橘君は口元を押さえながら控えめに笑おうとする彼女から目を離せないでいた。
そういえば、と忘れていたかのように、否、正確には忘れていた。女性の向かいに立ち先程から笑わせている男性に目を移した。
50代くらいだろうか。南国の花が一面にデザインされたワイドシルエットのシャツを着た男性は、ワカメみたいに縮れた長髪を耳にかけている。
どこかの呪い師がかけているようなビール瓶のフタ程のサングラスを指先で弄りながら男は彼女と対話していた。
なんだか如何わしいビジネスに誘われている様にも見えて、笑顔の彼女を見ていた橘君は急に少し不安になった。
「ということでな。実は一回演奏を聴いているんだ。」末尾の言葉を聞き、クボの話が終わったことを橘君は認知した。
「お待たせしました、お客様、お席の方、御用意の方、できましたんで、店内の方、ご案内させていただきます」
だから「方」が多いんだよ。と、橘君はぐるっと店員に向き直ると、若干息巻いた口調で、うす!と応えた。
かつて部活で鍛えた気合の篭った語気に押されたのか店員の男性は少したじろいで、こちらそうぞ。と店内へ二人を案内した。
入り際に再び二人を見ると長髪の男性は、りさに対して何か白い紙の様な物を手渡しているのが見えた。
「おい、若造、はやく来い」
店内から聞こえるクボの声を聴いた橘君は途中退場を忍ぶように店内へ入っていった。



自費出版の経費などを考えています。