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20230227馬籠から松本へ

 朝、5時起床。身支度をして5時30分には家を出る。6時30分頃新大阪に到着、新大阪駅から新幹線に乗る。一路名古屋へ。
 名古屋に着くと私は少し名古屋駅前を散策した。いい天気である。

 雲ひとつない空を背景に、聳え立つ名古屋の高層ビル群が美しい。私はこの名古屋駅前の風景を日本でも有数の絶景の一つだと思っている。

 8時発中央本線特急しなのに乗る。6両編成の後ろ側2両が自由席だ。この後、あと2回しなのに乗るが6両編成も8両編成も同じく自由席は後ろより2両だった。名古屋を出て、しばらく都市部を走り、岐阜に入る。多治見、恵那と停まり、次の中津川というところで降りる。
 駅前を見た第一印象は思ったよりもずっと都会だというものである。四国香川の高松市ほどではないが、徳島市なんかよりは都会ではないだろうか。この後中央本線をずっと走ることになるのだが、この岐阜から長野へつづく日本で最も険しい山岳地帯を縫って進む電車の沿線が、私の故郷四国を比較して随分とひらけているのに驚いた。特急の止まる町はどこも家々が立て込んでいた。立派な街で、どれも四国で言えば都会的な雰囲気の地域と言えるところばかりだった。往時日本の東西の往来の一翼を担っていた地域だけのことはある。
 バス停に向かう。三番乗り場から馬籠宿行きのバスに乗る。駅前は立派だが、流石に山の中。市街地を離れるとなかなかきつい道のりだった。40分ほど乗っただろうか。中津川の市街地を出ると道はすぐに山道になる。九十九折の坂道をクネクネと路線バスが上っていく。私は久々に自分が乗り物に弱いことを思い出した。子供の頃はよく車に酔った。学校のバス遠足は地獄だった。みんなバスの中でおしゃべりをし、騒ぎ、楽しそうにしているのにいつも自分だけ俯き必死に吐き気に堪えるのだった。目的地に着く頃には顔面蒼白で死にそうになっている。遠足はその頃恐怖だった。自分で車を運転するようになって、電車やバスに乗っても気持ち悪くなることはなくなったのだが、たまにこういう山道を走る小さなバスに乗ると気持ち悪くなる。今回がそれで、すっかり酔ってしまった。吐きこそしなかったが、到着した頃にはフラフラだった。
 馬籠宿のバス停に降り立つ。道の端に雪が残っている。さほど寒いとも思わなかったが、この岐阜県の山の只中はおそらく雪が降る時はとんでもない量降るのだろう。そういえば私が以前住んでいた、徳島県の西祖谷山村も、南国四国でありながら、四国山地の真ん中にあったため、4月でも大雪が降ることがたまにあるような場所だった。12月には雪が週に2回くらいはつもり、2月はそれがさらにひどくなる。たまに大雪で幹線道路が閉鎖される。それが2月後半には暖かくなりすっかり溶けるのだが、油断するとまた3月に何度か大雪がある。そしてたまに4月に大雪になる。ここはそれよりもっとすごいだろう。空を見る。やはり雲ひとつない。私は非常に運がいい。
 バス停の近くにある公衆トイレでトイレを済ませた。齢50になるとトイレが近くなる。少し歩く。5分もせずに坂道の左右に古い建物が並ぶ宿場町に着く。宿場町の風景はなんとも言えない感動的なものだった。

こういう風景が坂道の両側に
数百メートル続く


なんのお店だったかは忘れたが、お店のショーウィンドウに、昔の電話やミシンなどを飾るお店があった。


周囲は山、
山の中の宿場町
一際立派な清水屋さん。資料館になっているらしい。
道の端を流れる用水に水車が設置されていた。写真ではわからないが水車は氷柱で一杯だった。


山口誓子の句碑「街道の坂に熟れ柿灯を点す」。写真を撮り忘れたが、この宿場町には島崎藤村記念館がある。島崎藤村の故郷のようだ。そして「破壊」の舞台。
ずっと続く宿場町


坂の下に向けて撮る


奉行所が掲げた高札


遠く恵那山の山容が美しかった。飽きない風景



島崎正樹(藤村のお父さん)の碑

 馬籠宿を後にする。中津川の駅に着くと、次の電車まで大分時間がある。待合室で時間を潰す。待合室の中に蕎麦屋があり、そばの出汁のいい匂いが部屋に充満する。食べようかと思ったが今はやめた。
 電車が来た。再度特急しなのに乗る。次は木曽福島である。
 目的地はここではない。中央本線は木曽川に沿って走る。木曽川は清流で美しい容姿をあちらこちらで見せるが、中でも随一と言われるのが寝覚めの床という警告である。私はそこを目指している。木曽福島で降りて少し歩く。バス会社らしい建物の近くにバス停がある。コミュニティバス、くわちゃんバス木曽病院線というのに乗る。小さなバスである。だが車通りの少ない道を軽快に走る。木曽福島の一つお隣の駅、上松駅を過ぎ、寝覚めの床というところで降りる。片道400円。もうこの辺りではICCOCAは使えない。料金箱に100円玉をジャラジャラ入れる。バスを降りて周囲を見渡す。まず探さなければならないのはトイレである。道を渡った広い駐車場の中にトイレがあった。トイレを借りて、それから、川への下り口を探す。ここは木曽川随一の渓谷美を誇る寝覚めの床。昔、竜宮城から帰った浦島太郎のその後についての伝説が残る地である。下り口を探すがなかなか見つからない。バス停から少し上松駅方向に戻ったところにやっと標識があり、それに沿って少し入ると渓谷への入り口があった。有料だが料金を受け取る人がいない。無人の入り口に大人200円子供100円だったか?と書いて、箱が置いてある。財布を見ると小銭がない。私はすぐ近くのコンビニでおまんじゅうを買って、小銭を作り、200円を払って寝覚めの床に降りていった。看板があった。猿に注意とのこと。出会ったら、目を合わせない、走らない、威嚇しない、静かにその場を離れること。など注意書きされていた。少し緊張したが、猿に会うことはなかった。猿は多分案外怖い。本気で戦えば、玄人の格闘家でも勝てないのではないか?知らないけど。

浦島の伝説だけではなく、三帰りの翁という伝承もあるようだ。若返りの薬を3度飲んで1000年生きたとのこと。不老長寿の薬が取れたという伝承がこの地には残っているらしい。


写真を見てもピンとこないかもしれないが、一つ一つの岩が非常に大きい。特に大きな岩は高さが10m以上あるのではないか。写真の中央やや右上に小さなお堂をのっけた大きな岩があるのだが、そこへ行こうとしたが、ゴロゴロと転がる大きな岩を危なっかしく、なんとか飛び越え、飛び移り、しがみつきながら、あと10mくらいまで行ったがそこでリタイアした。いい歳してこんなところで足をくじきでもしたら大変である
御堂の名前は浦島堂というらしい。竜宮城から
帰ってきた浦島は諸国を遍歴するうちにこの地を訪れ、気に入ったのか、
この地で霊薬を取ったり釣りをしたりして過ごしたとのこと。ある日、人に龍宮の話をしていて、
ふと玉手箱を開けてしまい、300歳の老人になってしまった。それで夢から覚めたようなということで
寝覚めの床になったということ

 エメラルドグリーンの水美しい渓谷だった。
歩いて20分ほど。上松駅に戻る。ちなみに「あげまつ」と読む。最初字を見た時はうえまつだとばかり思っていた。
 やはり次の電車まで1時間ある。リュックを木曽福島のコインロッカーに預けたので、まずは木曽福島駅に戻らないといけない。
 1時間後、普通電車の塩尻行きに乗る。それで木曽福島に行き、さらに1時間後の特急しなのを待つ。待っている間に、駅前でそばを食べた。すでに長野県である。信州信濃のそばである。うまくないわけがない。山菜、キノコのたくさん乗ったそば、出汁汁が関西の私の見たことのないような濃い色だった。濃口醤油の黒い汁が珍しくて感動した。見た目ほど辛くない。しっかり出汁が出ている。お汁も美味しかった。
 今日3回目のしなのに乗る。松本へ。途中の風景がだんだん長野っぽくなる。美しく高い山々が見えてくる。奈良井宿というところがあった。中山道の宿場町の風情を残す名所は馬籠だけではない。ここも随分と立派な宿場町のようである。あいにく時間がない。松本までの切符も買ってしまった。こういう時、ICカードは便利だと思う。自由に降りて自由に乗れる。寄るつもりのなかった観光客もつい足を止めることになるのではないか?と思ったが特急券も買ってあるのでカードで運賃を払えたとしてもやはり降りるわけにもいかないだろう。松本に着いた。ホテルに向かい、荷物を部屋に置き、暗くなる前にと松本城に急いだ。1キロほど、歩いて行った。

松本駅。写真で見ると普通の駅に見えるが、非常に立派な大きな駅だった。出口はアルプス口とお城口の二つ。アルプス口の方に歩くと大きなガラス張り越しに日本アルプスが大きく見える。お城口は松本城の方向への出口である。
松本城は駅から1キロほど。歩いて20分ちょっとだろうか

 すでに日暮れどきだが、暗くなる前に着くことができた。

暮れゆく松本城。向こうの山並みは2000m級の日本アルプスの山
お堀はまんまんと水を湛え、うつくしい松本城を水面に映している
もう一枚
赤い欄干と一緒に

 日が沈んだ。暗くなるまでいた。暗くなると人が多くなってきた。プロジェクトマッピングで夜の松本城を演出する催しが行われるのだ。しばらく見たが私はあまり感動しなかった。静かに闇に溶け込んでいくお城をそのまま楽しみたかった。

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