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誰もが誰かの大切な人

4歳か5歳くらいの頃のぼんやりした記憶。
家族で遠出した日曜日、父親が運転する車が走る高速道路。
私は後部座席の窓から、渋滞で連なるたくさんの車をぼんやり眺めていました。
そして何だか不思議な気分になったのを覚えています。

この車一台一台に、運転している人と、もしかしたら家族や友達も乗っている。
その一人ひとりにそれぞれの生活があって、それぞれの気持ちがあって、きっとそれぞれに大切な人がいる。

もう少し遠くに視線を移すと、大きなマンションが見えました。
その窓の灯り一つひとつに、おそらくそれぞれの家庭があって、ひとがいて、それぞれにいろんな思いを持って暮らしている。

…当時はここまで明確に言語化できていたわけではないと思います。
だけど、なんとなく自分が知らない人々の知らない気持ちに思いをめぐらせ、胸の奥がぎゅーっとする感覚がしたのです。

世界中のみんなが友達同士だったらきっと戦争なんて起こらないのになぁ。

小学1年生くらいの頃には、そんなことを作文に書いた気がします。

実際にそんなことはあり得ないし、友達同士であっても家族であっても争いごとは起こり得る。
当然今の私は(おそらく小1の頃でも)知っています。
そして、もし本当に世界中の一人ひとりに本気で心を配って行動しようとしたら、おそらく自分の心がやられてしまう。
どこかで境界線を引かなければならない局面は確かにある。

でも、たとえ自分にとっては赤の他人であっても、そのひとは他の誰かの大切な子どもだったり親だったりパートナーだったり友人だったりするし、かけがえのない存在であることは間違いない。
それを心に留めておくだけでも、ひとへの接し方や、日々の行動は変わってくるんじゃないかと思っています。

最近は特に、誰かの心ない言葉や行動に傷つくひとの話を耳にすることが多い気がします。
もしかしたら自分も、無意識に誰かを傷つけているかもしれません。
誰もが誰かの大切な人であるという事実を、改めてしっかり見つめたいと、週刊誌の記事を読みながら思ったのでした。

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