世の中は確実に変わっている

2016年東京都知事選を振り返って

別に私は都民でもないし、都知事選についてあれこれ論じることができるほど政治思想があるわけでもないのだけど、報道と舞台裏、ネットを棲家とする人々について思ったこと。

メディア×ネットの時代なのか?

ネット界隈ではしばしば、「メディアでは取り上げられないが」という論調が存在しているが、果たしてメディアvsネットなのだろうか?少し屁理屈じみたことを言うならば、もしその対立構図が存在するのであれば、ネットに独自の取材網が存在していて、メディアではネットの取材で判明した情報を放送しない…といった議論がされるべきだろう。確かに、ネットメディアと呼ばれるものは存在するが、その情報ソースのほとんどは、”旧世代的”なテレビや新聞、雑誌が担っている。ネットメディアはそれらの情報を転載し、独自の情報を付記し発信しているだけの話だ。

ネットがメディアと異なる点は小さい情報も取り扱われるということだ。翻すと、情報の真意を確かめる目が必要になる(昔から言われてきたことだが)。ネットにはどの情報も拡散されれば均一に扱われる傾向があるため、その情報自体のソースが正しいものかを見極めなければならない。もっとも、それはマスメディアの場合も同じだが、やはり組織を伴っているものと、そうでないものの責任の差はあるだろう。

では、メディアとネットの違いはなんなのか。

今回の選挙を通じて明確になったのだが、ネットは世論なのである。こと、サイレントマジョリティになりがちな、日本の社会性を考えると、いわゆるネット弁慶というのが多数存在する。この世論の論調を眺めていると、今回の選挙で「鳥越候補」が惨敗するのは目に見えてわかっていた。

マスメディアでは、与党VS野党を印象付けるために、3候補としていたが、実質的に「小池新都知事」VS「増田候補」の戦いであり、鳥越候補が落選をすることは、Twitterや他のSNSを見ていても火を見るよりも明らかだった。マスメディアで鳥越候補は「雑誌社に選挙妨害に近いことをされた」といっていたが、されたことが問題なのではなく、適切な対応をしなかったことに国民は猜疑心を持った。

一方増田候補は、過去の実績を引っさげて立候補していたにもかかわらず、マスメディアでは岩手県知事時代の赤字政策についての弁明をすることができず、頼みの綱の自民党の弁士に「厚化粧」などという明らかに敵を作るであろう発言をされ、挙句、自民党東京都連のオリンピック利権疑惑まで持ち出された。

こんな状況で主要3候補ということ自体が間違っている。だいぶ早い段階で勝負は決していたのだ。

選挙のマーケティング化

デジタルマーケティングという活動には懐疑的なのだが、ネットにおける候補者のマーケティングという考え方は今後必要になる分野ではなかろうか。インターネットの怖さは、過去何を行ってきたかがわかってしまうという点にある。検索をすれば、起こした問題も、所属している団体もわかってしまう。したがって、インターネット上にマイナス得点がないことが重要なのである。

そういう意味で、強かったのが小池新都知事だ。これまでに環境大臣や防衛大臣を歴任しながらも、目立った事件を起こしてこなかったのが大きい。

インターネットにおける広報はそういう意味で、平面ではなく立体的だ。現在の政策だけでなく、過去の行動までを問われるのだから。

では、増田、鳥越候補者は一体どのような戦略をとるべきだったのか。選挙後テレビ東京の番組で、猪瀬元都知事が「インターネットに目を向けなかった」と一刀両断していたが、目を向けていなかったのではなく、どうしようもなかったというのが実情だろう。言ってみれば、公認した党自体が悪い。

今後の選挙では、その立候補者が過去にどのようなことをやってきたかが必ず問われる。その情報が候補者にとってマイナスファクターではないものでないとインターネット上の世論は「マスメディア」で弁明するまで許すことはないだろう。

このように書くと新都知事について期待しているように見えるかもしれないが、私に投票権があるとすれば、正直悩む。誰にも入れたくない。おそらく都民も初めはその気持ちではなかったろうか。しかし、その中でマイナス要因を持った候補者がマスメディアで取り上げられていることを知り、もっとも普通に見えた小池知事に票が集中したと思われる。

今後の選挙はこう言ったマイナスファクターのある政治家では当選が厳しくなる。これは新しい選挙の流れなのではないだろうか。

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