デイサービスはUSJだ。
2ヶ月の無職期間を経て、デイサービスで勤め始めて3週間が経った。
デイサービスという新しい環境で働いてみて、僕の脳神経はピカピカと光りまくっている。
価値観が変化したことがたくさんある。
お年寄りと関わる仕事をクリニックで8年半勤めてきたので対応には多少自信があった。
「お年寄り扱いせず、対等に接する」
これが僕の身につけてきたスタイルだった。
初日、度肝を抜かれることになる。
送迎車から降りてきたお年寄りに向かって、
先輩スタッフ「おはようございまーす!!!」
僕「お、おはようございまーす」
あっという間に30人ほどのお年寄りが席に座り、血圧などの体調チェックを手際良く済ませ、温かいお茶を配っていく。
「…すごい。」
先輩スタッフ「それでは、体操を始めまーす!!」
これぞ朝!という張りのある掛け声とともに「体操する組」「マッサージを受ける組」「お風呂に入る組」に分かれていく。
途中からは先輩スタッフがUSJのクルーにしか見えなかった。
引用:USJ公式ホームページより
集団体操がパーク内で行われているダンスに見えるし、スタッフの配るお茶がバタービールに見える。
それは言い過ぎか。
でも非日常空間の作り方はさながらUSJだった。
お年寄りのテンションがマックスに上がっている。
USJのゲートをくぐった時の僕と同じ顔をしている。
笑いと感動に包まれている。
それも言い過ぎか。
でも僕はデイサービスという名のUSJに入ってしまったのだ。
この辺で僕の3週間でインプットしてきたことを整理していきたい。
僕が完全にクルーと化してしまう前に。
「お年寄りのニーズに応える」とはどういうことなのか。
デイサービスではご利用者であるお年寄りに対して、お風呂・食事・運動などの日常生活で不足している部分を補うサービスを提供する。
僕はトレーニングの指導をしたり、マッサージをしたりと資格を活かした仕事をさせてもらっている。
*今月末にはダンス(体操)デビューする予定。
もちろん、お茶を出したりお食事を持って行ったり、送迎車に乗り込むお手伝いをしたりといった仕事もこなしている。
介護の現場は僕が8年間勤務してきたクリニックとは全く違う雰囲気だ。
近い。とにかく心理的な距離感が近い。
「こんにちは!!!今日は良い天気ですね!!!!!」
本当の家族かのように接し、USJのクルーかのようにピエロに徹する。
すごい。。
最初の数日間はこの勢いに完全に飲まれていた。
「これは過剰サービスだろ」と斜に構えていた僕の感覚とは裏腹に、お年寄りたちはスタッフのはつらつとした働きぶりを楽しそうに見ていた。
僕は少しずつ気づき始める。
「お年寄りのニーズに応える」とはどういうことなのか。
「元気に、はつらつと働く姿を見せる」それだけでお年寄りは「元気もらうわ〜わしも若い頃はな。。」と言いながら熱いお茶をすする。
こういうアプローチがあるのか。。
僕は『セラピストとして』とかいう訳のわからないプライドを守るため、「元気にはつらつと働くのがカッコ悪い」という価値観を持ってしまっていた。
もちろんこれは会社のカラーにもよる。
「ここは他のデイサービスと比べ物にならないくらい元気」とご利用者のおばあちゃんから情報を仕入れたのでおそらく本当なんだろう。
僕はお年寄りの話を聴くのが好きだ。
戦前戦後の話が特に好きで、生きるか死ぬかのエピソードを最低1つは持っている世代の人たちはお年を召しても力強さを持っている。
ここでもう一度考えたい。
「お年寄りのニーズに応える」とはどういうことなのか。
来年7月に内科クリニックを開院する。
僕は事務長として様々な仕事をしていかなければならないが、集客は大事な仕事の1つで、お年寄りがメインのターゲットになることは間違いない。
クリニックなのでUSJのサービスはちょっと違うかもしれないが、
・非日常感
・若さをアピール
・コミュニティづくり
この3点は意識する必要があると思う。
非日常感
お年寄りは長い人生の果てに、天国へとゆっくりと歩みを進めている。
その人たちに対し「家にいるような安心感」みたいなコンセプトは余計なお世話なのかもしれない。
若さをアピール
お年寄りは若かりし頃の自分を僕たちに投影している。
その人たちに対し「もう30過ぎたらおっさんですわ〜」的な「もう若くないですアピール」をするのは、お年寄りからすると「サブい共感」なのだ。
無理に共感する必要はない。こちらは「若くてやりたいことがいっぱいですわ!」という姿勢が大事なのかもしれない。
コミュニティづくり
結局いくつになってもコミュニティに属している方が脳は活性化される。
これは色々なお年寄りと関わってきたが間違いのない事実だろう。
正直草野球もデイサービスもコミュニティという意味では同じだ。
みんなで集まって一緒に何かをする。
そういうコミュニティの場になることを意識した取り組みをしなければならない。
ただし待ち合い室で居座られないようにしないといけない。
でもそそくさと帰ってしまうより、こちらから帰ることを促すくらいの方が健全なのかもしれない。
そんなことを考えながらデイサービスで働いていると、僕の声は徐々に大きなって、身振り手振りも大きくなって、家を出るときには「いってきまーす!」と言うようになった。
僕の身体は徐々にクルー化している。