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自分を好きになるということ

 自分自身のことが嫌いだった。とても大嫌いだった。もともとわたしは人と話すことが苦手だったし、極度の人見知りだ。そして小学生のとき軽いいじわるを受けたことがある。クラスメートに菌扱いをされたり給食やグループワークの時間に机を1人だけ離されたりといったこと。他人から見れば大したことないと思うのかもしれないが、まだ幼く社会の悪を知らなかったわたしにはとても辛い出来事だった。学校に行けばなんで(こんな奴が)来たの?とコソコソ話しているのが聞こえた。30人と少しの小さな世界の中でわたしにそういうことをしてきたのは5人程度。でも誰も助けてはくれなかった。そのときのわたしにとって見て見ぬふりも同類だった。グループの1人がわたしを避ければその瞬間みんなからわたしは蚊帳の外。まるで空気、いやそれ以下の存在になる。大学生になった今でもときどき思い出してしまう。他人の目を気にしすぎてしまう。きっとこのころからわたしには存在価値がないと思っているし、わたしはわたしが嫌いでしかたがない。

 特にこれといった趣味もなかった中学生のわたしを救ってくれたのはBUMP OF CHICKENだった。あのころは部活がきつくてやめたいと何度思ったか。その度にHAPPYの歌詞を思い出した。よく覚えているのは朝練の日、トイレの個室に入ったわたしは小さな声で「終わらせる勇気があるなら続きを選ぶ恐怖にも勝てる」と呟いたこと。遠い存在の人なのにどうしてわたしの気持ちがわかるんだろう、救ってくれるんだろうと思った。イヤホンをつけてYouTubeでライブ映像を見たときわたしにとっては暗い日常を照らしてくれる月だった。他にもUNISON SQUARE GARDEN、米津玄師、Official髭男dism、Mrs.GREEN APPLE、SEKAI NO OWARIなど聞いていたし今も大好きなアーティストである。他にもわたしがよくサブスクで聴くのはバンド、ボカロ、歌い手、坂道、声優、Vtuber、洋楽、アニソンなど。好きな曲のテイストは中学生のときから変わっていない。わたしの好きな音楽たちはわたしの名刺がわりだと思っている。そしてそれらに救われ続けている。

 高校生になったときわたしは友達を作れなかった。クラスに誰も話せる人がいない状態だった。まさに孤立していた。どうしても自分から話しかけることができなくて、かと思えば話しかけられることはあってもうまく会話が続かない。そんな3年間を過ごした。しかしその3年の間にたくさんの人やものに出会った。リアルは充実していなかったけれどネットの世界のわたしはいきいきとしていたんじゃないか。多くのものを知ることができた。BUMPにとても影響を受けたわたしはヨルシカ、amazarashi、卯月コウ、三秋縋、凪良ゆう、住野よる、新海誠、斜線堂有紀、辻村深月などが大好きになった。おそらくこの人たちが好きな人がいたらわたしの好みはわかりやすいと思う。そして、好きなものが増えたと同時にそれを好きになったわたしの感性も好きになれた。初めてわたしの中の何かを好きになることができた。
 最近、X(旧Twitter)でわたしと似た感性の人を探している。同じように影響を受けたり救われた経験がある人がいるとすればとても話してみたいと思う。わたしのことをほんとうに理解してくれるのはわたしと、そのような人たちだと思っているから。これは過信しすぎかもしれないが、世界のどこかには絶対にいると信じているし友達になりたい。


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