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元旅行者の視点から(1)~引きこもりについて

元旅行者(長期)独自の視点から見た社会問題について書いていこうと思い、その第1弾のテーマは、いきなり「引きこもり」です。

海外をふらふらほっつき歩くバックパッカーと、自分の家や部屋から一歩も出ない引きこもりは対極の生き方、在り方とも言えますが、実にシビアかつ重要な共通点があります。それは、

「どこにも所属していない」

ことです。

稀には所属している長期旅行者や引きこもりの人も居るようですが、あるいはフリーランス的な仕事を持って旅している人あるいは引きこもっている人も居るようですが、それは例外として、一般に、

長期旅行者とかバックパッカーとか呼ばれる人達は仕事を辞めて出て行く人達が多く、引きこもりも、そうです。ただ、離職後に取る行動が対極なだけです。

僕自身、何年もの旅行へ出るきっかけは離職であり、離職後2週間はアパートの部屋で好きな時に寝て好きな時に食べて、という無為な生活を送っていて、僕の場合は金銭的にそんな生活を続けていけないことが分かっていたので日本よりも圧倒的に物価の安いインドへ、言わば「逃げた」のが始まりで、

旅行記1994~2000(1)出発前(1994.3)   https://note.com/so6/n/n9c3f0cb1db19?magazine_key=mfd7809413989 

もし状況が許せば、例えばお金の心配が全くなければ、住んでいる部屋が快適そのものだったら、ずっとそんな生活を、状況が許せば、自分の性格的にも、何年も続けていた可能性があります。

状況が行動を分けるように思います。

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なので、引きこもりのネット記事などを見つけると、ついつい熱心に読んでしまう。また、引きこもりの人が事件を起こしたりすると、何とも言えない気持ちになり、関連ニュースを注視してしまいます。

実際、元旅行者どうしで日本で会って話した時、帰国後しばらく、だいたい数ヶ月、何もできず家に、部屋に、引きこもっていた、と言う人の多いこと。

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それはそうで、まず、日本の社会は、何年も、どこにも所属していない人を、想定していない。だから、受け入れない。

これは、日本ばかりではありません。

僕の感覚では「所属していない」ことに対して、日本よりも、他のアジア諸国の方が狭量で、個人主義の発達した欧米はもう少し緩やかですが、それでも、何年も旅行している人間を認めているとは言い難い。いわゆる西側先進国の中では日本がいちばん狭量でしょう。

僕の場合は、最後の帰国の前に2度の一時帰国をして、日本は居るだけでお金が掛かる所、だからお金を稼ぐ所、と割り切って、帰国翌日ぐらいから後先考えない職探しを始め(将来的ではなく目先のお金を作る為だけの仕事とはじめから割り切っている)たのと同じように、

旅行記1994~2000(9)一時帰国(1994.7)   https://note.com/so6/n/n26283b198eed?magazine_key=mfd7809413989

旅行記1994~2000(42)中国・上海~日本・大阪~京都~東京~愛知(1996.10)   https://note.com/so6/n/na09d2d67b2d7?magazine_key=mecb6b032a3ee

今度は、長い旅の最後の方で、自然食品店などで働けたら、と思っていたので、そちらに的を絞って、最初から正社員は無理だと思っていたので時給700円の自然食品店でのアルバイトを見つけて帰国約2週間後から働き始めましたが。

今から思えば、帰国当時31歳で、時給700円のアルバイトをする、とは狂気の沙汰ですが、当時は、そんなプライドはなかった、というか、そんな余裕もなかった、というか、帰国すれば社会の落ちこぼれであることは十分自覚していたので身の丈に応じた行動を取った、というか。

仕事は、選ばなければある。

帰国後アルバイトを始めて実家から歩いてすぐの自然食品店へ通いながら、京都は山が見えるので、山と青空をみながら、

「人生至る所青山あり」

ということわざ?格言?を、よく思い出していました。

旅行記1994~2000(80)京都(2000.4-5)   https://note.com/so6/n/n49f1ba91fca5?magazine_key=m910377ad1409

よくやっている、引きこもりの人が社会へ出るのを追ったドキュメンタリーでも、農家の手伝いから始めたり、ボランティアから始めたり、というのを目にしますが、

そうやって、世間の基準や尺度から離れた視点で、何でも良いからやってみると、道は開けてくるのだろうな、と思います。

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