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自己実現と-amplifier・増幅機能-

こんばんは。

今日は家中を掃除して、カスタマイズしました。

メンタリストのDaiGoさんによると、

「部屋の”集中スペース(作業効率化スペース)”と、

”休憩・リラックススペース”を、区切って、時間の過ごし方を

メリハリをつける」

…と、言う事により、時間と精神のエネルギー効率が、格段に上がるそうで

す。

今日はおおまかな区分けや仕分けなどだけして済んでしまいましたが、

また明日。改めてより良いスペース配分を区分けしてみようかと思っていま

した。

今日も色々と暇時間に考え事をしたりしました。

とりとめも無く考え事をしていると、面白い答えに行き着く事が有ります。


今回、一つ。シェアしたい考えが有りました。


昔の人のインタビューの内容から。。。

漫画や小説などで、古い時代の人が、田舎訛りで”こんな事”を呟いたりしま

す。

”写真に撮らないでけろ!魂が吸い取られるだ!!”

面白い話だ。と昔、小学生の頃に聞いた時は思ったものでした。

そして、時を経て、最近こんな話がまことしやかにネット上で囁かれていま

す。


『写真をSNS上でシェアする時に、”口を開けた顔”を披露してはならない。

口からエネルギーを取られてしまう。』


ニュー・エイジ時代の黎明期を過ぎ、江原啓之さんや、世界的なムーブメン

トを皮切りに再びスタートした”スピリチュアル・ブーム”の中ではとても不

思議な事。それも昭和時代を生きた人からすると、妄言やsuperstition(迷

信)-に近いとしか思えない様な事が伝えられ続けていますね。


その中の一環です。ただし、何となく納得してしまう”感”が有る。

写真には色んな情報が載っている訳で、それを見た人が知らぬ間に感じてし

まっている可能性はあるな。と、前々から気付いていました。


今日、気付いた中で、シェアしてみて良さそうな事は次の様な事でした。


『意味深な写真ほど、裏が有り、更に探ると、その裏には何も無い(場合が

多い)』


裏。と言うのは、最近良く聞く、”潜在意識”レベルの、見えない『情報』の

事です。


実は、宇宙と言うのは結構。のほほんとしているのかも知れません

(^^)。


〜ただし、地球上は行動により、自己実現を図る場所です。

”自己”とは、『自我を含んだ全て』。

だからこそ、極端すぎる自分が目の前に顕われる方が、”自己”と言う意識階

層の全体性からすると、本願を達成していると言える様だ…。そんな事にも

気付きますよね。


新海監督のアニメでは、そう言った側面がありありと出されています。

”非・日常”の美しさ。

そこには、恐ろしい側面もありながら、美しい側面もあります。


”怪しい光と見るか?美しい輝きと見るか?”は、その人次第です。

だからこそ、twitterアカウントでも何度も繰り返し呟いていますが、

”あなた(=自己-self-)は、あまねく、抜かりなく。素晴らしい”のです。

と、伝え続けています。(つまり、全体的に光として認知出来る可能性があ

る時点で、、、どんなものも光として見出した方がメンタリティにも格段

に良い。し、そもそも全部光なんですから、殊更悲観する方に持って行か

ない尽力の方が、よほど世の中の為になります。)

怪しさも、美しさも、上記によれば、”ひかり”であり、”かがやき”です。

lightとdarkの差は、光源があるかどうか?その一重に掛かっているのです〜

つまり、何が言いたいかと言うと…


人生と言う自我の舞台では、やはり、欲求を満たした方が気持ちがいい。

一方。他の意識の側面。つまり、自己の持つポテンシャルにおいては、

離欲を促したり、はたまた、めちゃめちゃ深刻になったり、抑圧や自縄自縛

に苛まれたり…そこにも”自己の実現”は、起きている。と、言えます。


今、不遇の人がいたなら、祈りもあわせて、こんな事を言いたいものだと思

っています。


”全部、あなたが意識・無意識問わず、エネルギーを投入した結果です。とり

あえず、今は動けないとしても、恩恵として受け取ってみてください。きっ

と、素晴らしく輝いた光の様な質の良い学びと言うリターンが自ずと見えて

くるはずです”


その時、ふと、目に留まった事。

または、そこから考えに移した結果、見えて来たり、気付いたり、思ったり

した事。

これら全てもまた、”自己実現”なのです。


よくよく、周りを見渡してみてください。


自らの目のフィルターを通して、何を感じ?何を見つめ?何を見出し?何に

気付いていますか?


それを、脳内に打ち込む時、5W1Hとして、どんな方法を取りますか?


口を開けた写真からエネルギーが吸い取られる。

この文言についても、色んな角度から見つめる事が出来ますよね。


そもそも、写真に自分の何が転写された上で、それを液晶に映った画像にプ

リントしたものから、エネルギーの通路と送受信が生まれるのか?

イメージの話なのか?それとも、霊的な世界の話なのか(テレポーテーショ

ンや、テレパシーと言った、とても安易な選択として)?もっと別の事なの

か?

別の事なら、どんな可能性がそこにはあるのか?


深く考えた事は、心に留めて。

ただそれだけで良いんですね(^^)。


頭で考え抜いたとき。そして、先の保護策を考え抜いたとき。

ネガティブな事ぐらいしか思い浮かばないものです。

ネガティブな結果とは、効力(抗力)の生じようの無い事に対して考え抜く

時に生まれます。

それは、先に安心や成功を妨げないと言う本質的・レベルでのリスク・ヘッ

ジになり得ないのは、すぐに分かる事です。


そこには、(どこかで)見てみ”たかった”全てが、現象として顕われている

のですから、それも”自己(と言う無限のポテンシャル)の実現(=発現)が

起きています。”

何かの火種を用意し、大きな花火を上げている。。。と言う様な成功の前提

をクリアーしていなくても、もう既に、巨大な花火に向けて、実現を促す一

つの・否。一人の”経路=chanell”)に成り上がっているのかも知れませんよ(^^)。

最後に、一昔前の人の言葉を引用して、説明をして終わりにしたいと思いま

す。

”写真を撮られると、魂が吸い取られるだ!”

と、言っていましたね?

そして、最近の中でも少し前の文言。

”写真を『撮ったもの』を、シェアすると、エネルギーが吸い取られる”

ここにある差異と、共通点とは???


(1)どちらも『吸い取”られる”』=被害者に成り下がっていて、防衛したいと言う表現・発言。

(2)前者は「撮る媒体=カメラ」を通して、ネガに吸い取られる。と言っている。

(3)後者は「(撮ったもの)をシェアし、”拡散する”媒体=ネットサービスやSNS」にエネルギーを吸い取られる。と、言っている。

(4)1.『魂』と言う、『エネルギーの発電装置』と。2.枝分かれして分岐して生成された付属品である『エネルギー』そのものの話。と言うレベルの違いがある。

…時代と共に認識の差が生まれていますが、それは一重に。

『感受性』の深さ・浅さ。貧困さ・豊かさ。と、、、

感受性でキャッチした情報の処理レベルの深さ・浅さ。そこに尽きる。と言

う話です。

…総括すると、何にしろ。

惰性と、受動性で、世界は乗り切れない時代であるし、それは今も昔も同

じ。

ならば、どう言うメンタリティで過ごすのか?と言う話なのです。

現世利益は、よもや忘れ去られている時代でしょうから、殊更追いかける必

要も無いのかも知れませんね。

そして、現世以外には???

過去世と、来世もありますし、もっと違うレベルの世界もそこには”自己の実

現の可能性”として、

”横たわっています”。

それこそ、ゴロゴロ・ゴロゴロ。いくらでも転がっているのです。

見つけて、起こしてあげて、助けてあげて、うまく生きられる姿を目にし

て、喜べる=自己実現=カタルシス=最上級の・喜び。。。

と、フロー・チャートを組む事が出来ますね。

そして、実は。

『現世』もまた…

重要な、自己のポテンシャルの発言。顕われ。である。

だからこそ、全部喜びで満たそう。と言う訳です。


古い時代の人たちの苦しみへのあの手この手を使った対処の方法論や精神論

には目を見張るものがあります。

…が、何も、頑固な昭和のおじさんみたいに、殊更。それを正当化して、足

を引っ張ろうとか言う訳でもありません。

実は。この精神論的・又は、精神修養としての方法論やメソッドや、倫理観

や、根性論や、精神論や、道徳性は…。今も、根深く息づいているのですか

ら。

それは、根源に有る、地中核のマントルの表層に、足の裏を付けて歩く哺乳

類と・万物の霊長と称する人間も。そして、もっと浅めの所の深さの深い場

所に、根を張る植物などとして、『枝分かれ』して、生まれている全てもま

た。時代は変われど、脈々と”それ(?)”を、受け継いでいるのです。


だから、新しかろうが、古かろうが、全部同じものか、形代(かたしろ)の

様な。コピペしてアレンジしたものです。

一重に、全ては”自己実現”ですから。

実は、写真を撮るのを怖がるのも、それが時代と共におざなりになって順応

した意識の流れ(stream-of-consciousness)も、『なる様にしかならな

い』。そう言う事なんでしょう(^^)。

水の様に生きる。と言う様な言葉-上善水の如し-の、本質的な安堵とは、そ

こに由来するものなのかも知れません。

油断して、人生が灰色に染まるきっかけを作っても、シレっとしてよう!と

言う、感覚鈍麻・精神論を述べたいのではないのですが、つまり…

自分の内面に嘘をつかない。その一言ですよね。


結局。全ては一つであるとするならば、自分もその大切な全一性の一部です

から、最も大切に扱い・接してあげるべきでしょう。


大切なものを大切にする。と言う時。

あなたは、何を大切にしますか???


考えてみてください(^^)。


良い答えに辿り着けます様に。


【お役立ち情報-その2】

(朝・水を飲むときに、その日一日の希望を占う言葉を水に向かって念じながら飲むと、効果がある。と言う話を聞いて、実践したけれど叶わない…。と、言う事態を迎えたときの経験から、お伝えする内容を編み出しました。是非・実践されてみてください(^^))

工程-1
水を飲む場所を”自ら”、よく考えてから選びます(-mind fullになりきって、”自発”します。)

工程-2
その場所に立ってみます。朝日なのか、曇天の白き薄暗い光なのか。感じてみます。
そして、立っている自分の手を、ぶら〜んとだれた様にぶら下げて、少し揺らしたりしながら、重みを感じます。(肩の力が抜けて、同時に、『頭の血流』が、足下(そくか)へ下がって行き、冷静さを取り戻す実感が生まれるはずです。)

工程-3
(感じること)-優位。の状態になったのを感じられたなら、
洗面所なのか?台所なのか?その場の雰囲気。つまり、皮膚の外にあるものを、皮膚の内側に吸い取る様に「感受」しながら、それが「甘受」=「benefit-恩恵」に変わる瞬間を待ちます。

-その場は、どんな雰囲気ですか?目をきょろきょろ。首をあちらこちらに動かしたり、体勢も変えたりしながら、その場の雰囲気を感じまくり。感じ抜きます。

工程-4
その雰囲気は、どんなイメージであり、どんな表象として顕われていますか?
大好きな場所に行った時…ぐらいの感覚の明確さが際立っている状態レベルと、比べてみて、そこにある差異・ギャップにより生まれたその場の独自性を、よく読み込んでみます。

工程-5
その場の雰囲気と戯れる様に…肌感覚や、腕や手の動きをつぶさに観察して、動かそうと思ったから-動かした。と言う明白な理由付けと、モチベーションからの行動。これを意識化して、動かします。
(mindfullnessで言う所の、”ラベリング(手を動かす-と決めた▶︎動かした▶︎蛇口に手が触れた感覚▶︎蛇口を掴もうと思った▶︎掴んで力を入れ握る▶︎▶︎回しに回した…と言った感じで、動かす意図▶︎行動▶︎ラベルを貼る様にその言動と心動きに文言をペタペタ貼付けて行きます)”も多用してみても良いかも知れません。)

工程-6
水を汲みます。どんな音がしますか?もしも他の地域の水道水と比べられる確かな味覚情報があるならば、飲み込む前に口の中でくちゅくちゅとうがいをしながらよく味わってみてください。この地域の水道水の、”慣れてしまった独特性”とはどのようなものでしょうか?また、起きがけ・起き抜けの口の中は、そもそも苦いですか?甘いですか?口の中の唾液の味わいや香りなどの属性もつぶさに情報収集します。

工程-7
(感受性を高める訓練の過程が終わりました=受け取りきった。と思ってください。)
…そこで、インプットした(恩恵として-受け取り切れた)情報を、イメージとして明確化した上で、飲み込む▶︎のど元を過ぎる感覚▶︎冷たさが胃に入り込んで行って溜まって行く感覚。この全てのフローをつぶさに感じてみます。
つまり、受け取った代わりに、受け取らせてあげげていると言う恩恵を、水の側に与えて上げている。
つまり、、、水と言う存在に「与える喜び」を楽しんでもらう。と言う様な受動的・アウトプットをします。

工程-8
「ありがとうございます。」と。出来るだけ、へりくだり。そして、頭(こうべ)を垂れる様なメンタリティに戻り御礼を伝えます。そして、恩恵を与えてくれた事に、腫れ物を触るレベル…ぐらい慎重に!気を使った礼儀の込もった言葉を発します。

工程-9
…実際には、水と言う物体の「相-物理的存在感のレベルの働き-」は、依然。胃の中です。
ですが、喉や食道で”感じ(てい)た”水の冷たさや爽やかさと言う情報は、のど元の当たりで冷たさとして拡散しています。そのついでに、水が「身体に入った-身体中をグルグル回っている。」もしくは、「回り始めた」と。感じたり、感じられないか、イメージ出来ないとするならば、好きな様に。言葉として紡ぎ、呟いてみてください。

工程-10
その流れに向かって-平たい石を投石して波紋を造る遊びでもしている様に。。。
「一日の始まりに感謝」-「今の身体の状態と、そのフィードバックに感謝」-「受け取った水のエネルギーや、循環力を以てして、一日・何に還元するのか?伝える」-「その結果、どんな感情的状態を導きだしたいのか?つぶさに、数限りなく。条件抜きに伝える」- 「その喜びを誰に?もしくは、日常の何にアウトプットしたいのか?その結果どうなってほしいか?エゴでも良いので、その先に有る喜びを設定し、イメージと文言で伝える」-「一日の終わりにどんな感覚と感情と思考で眠りに就く事を望むのか?-もしも眠りが好きならば、つまり、一日に名残が起きようも無いと100%感じられるならば、その場合に限って、伝える(日中の雰囲気のワクワクを消したくない”テーマ型”の人ならば、これは難しいので、無理してtryしようとしない。)」

…以上です。

いかがでしたでしょうか?

実は、これの他にもpointがあるのですが、無料で情報を流してしまうと、大切さが薄らいでしまい、実践に歯止めがかかるばかりでなく、やる気が萎えてしまう結果となる為、読者さんの利益を考えた上で、この先の情報についてはclose情報にしたいと思います。


水は情報を吸い取りますが、吸湿性のあるものであれば、大抵は情報を受け取って浸潤させてくれています。なので、そう言った媒体を身につけたり、ただ身につけるばかりでなく、常に情報を最新にしたり、外から入ってくるのを感じた時点で、自分なりにカスタマイズし、クレンズして行くと、より良いと思われます。


…建築についてのアドバイスも多少書いておきたいのですが、

地面の下にエネルギー物資を埋蔵させた上で、建築を行うのはとても良い事なので◯です。

更に言うならば、そのエネルギー物資をもって、自分の方向性として、何をもたらしたいのか?
つまり、地中や、その更に地中下にある。どんな情報主体とタッグを組みたいのか?と言う事もイメージしておくと良いでしょう。

つまり、「手を”ムスビ”」「近寄りたくないものとの関係を”ホドク”」。

この結果、近未来。そして、何世代も後まで考えた上で、

どんな情報と繋がり、どう?引っ張ってもらい&私たち自身もその力を引っ張って上げるのか?

そして、手を組むのを邪魔するのはどんなエネルギーなのか?そのエネルギーと、どんなテホドキを行いたいのか?

ネットなどで情報を精査した上で、建築法に習って建築を行うのが良い。と、言えるでしょう。


ここで、前記の内容です。

”全て、そしてそれの中のa bitである自分ですら、『自己』と言う広大な宇宙のatrraction((アクティビティの和製英語としての)アトラクション-惹き寄せ=自己実現)にとっての『実現』の一環であり、その一人であるのです”

どんな現象であれ、宇宙の素晴らしい方向性にうそぶくものではないのですから、

自分の正義とか、他者の不義とか。一切気にせずに、しかも、現実社会の法律に背いてスムースな自己実現の妨げを起こさない様に。つまり、”天-地”のバランスを取り、中間の-仁-にも嘯く事無く。本当に違和感の無い生き様の発現として、つまり、全体のエネルギー=”自分が感じる全体”のエネルギーに対して、どこまでも順送りに行動すれば、どうあっても宇宙レベルの支援は得られますので、心配せずに。行う必要があります。

最近では、地中に質の良い竹炭や木炭などをびっしり敷き詰める。と言う方法論もあるそうですし、塩や、神社の境内の砂なども神社で手に入れられるなど様々な方策があるそうですので、他にも試行錯誤して、色んな方法論を試すのも楽しい物かも知れません。乱雑に入れ込み過ぎなければ、自分なりのクレンズド・スペース。エネルギー増幅・アンプリファイアープレイス。見たいな場所は自由自在に創れてしまいますよ(^^)。

そう思うと、先ほどの感受性の話ではないですが、

”自分が一番・クレンズされるのは?そしてブースト・エンパワメントされるのは?”-”どんなアイテムなのか?”

普段持ち回る品や、アンティークや家具などの調度品や・はたまたアロマや香水・フレグランス、雑貨。食べる者に至るまで…

カスタマイズした上で、豊かな生活促し(ブースト機能)乱雑さも防げる(クレンズ機能)と言うものです。

今回の”呼び水ver.1”の方法論、試してみたくなりましたか(^^)???

ver.2-ver.3などの、研究方向も、今後併せてシェアしたいと思います。

また、お逢いしましょう!

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