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【SNS炎上に思うこと】本質の喪失と距離感バグ

この休職中に、SNS炎上にいちいち心を揺さぶられることが休み方としてはあまり良くないので、捉え方を見直そうと日々取り組んでいる。

結局本質じゃないところで燃えてるやーん、が私の今の段階での受け止め方である。

牛角の女性限定のキャンペーンや24時間テレビのギャラなど、昨今のSNS炎上見ていると、誰かがただ燃やしに行って憂さ晴らししたいだけなんだなと感じる。

その物事の本質を捉えず、善悪だけをジャッジしたくて行っている。

本人は客観的にニュースを見ていると思っているが、実際には一側面しか見れていない。視野狭窄に陥っている。 

自分とそのニュースの距離感を見誤っていることに気づけていない人が燃やしているように見える。

多くの炎上が、ジェンダー(場面によって男女LGBTQどれも対象となりうる)や障害のある人、経済的に困窮している人などの社会的に弱い立場の人を盾にして論を進められている。

実際にはその当事者本人ではなく、その人たちを擁護するための発言をすることで自分の立場を強固にしたい人だ。

そのニュースの本質はそこなのか?と疑問に思うところで皆怒っている。


■牛角の件

例えば「〇〇の方向けです」と利用者を特定の人に絞り込むことを、差別だと捉えられて燃えている。

企業のビジネスにおいて、事業成長のためにある層をセグメントすることで利用を促進したい意図がある。より多くの人に自らの商品、サービスを使ってもらうためにあえて今回は女性限定にしている。

これを差別や女性のみを優遇するというポジティブアクションに錯覚し、批判する人がいる。

何でもジェンダー差別と捉えたいだけなのではないか。

女性限定キャンペーンであった場合、男性がそれを見てわたしは対象ではないのだなと捉えるだけで良いものを、全て差別に結びつけようとしていないか。

ここでよくLGBTQ等で見た目にはわからないが、女性の心を持っている方や性転換手術等の手続きを経て性別が変わった方はどうなんだという論が持ち出される。

それはその当事者の方が気になれば個別に確認すれば済む話である。常に例外を許さないかのように言う人は、実際の当事者ではなく正義を振りかざして憂さ晴らしをしているだけだと思う。


■24時間テレビの件

24時間テレビの目的は「支援がいきわたるべき人たちのことを知って支援したいと思う方を増やすこと」にある。

そのための方法が、1年に1回の大きな企画として行う形式でないといけないのか、マラソンは必須なのかなどは議論の余地があるとは思う。
また、昨年発覚した募金着服の不祥事のこともあるので、それに対する対策は別で議論されるべきである。

ただ、今回「チャリティーなのに出演者がギャラをもらうのはおかしい」ということにフォーカスを置いて燃えているのは本質的な議論なのか?

テレビ番組という形をなして行う以上、かかる制作費がある。出演するタレント以外のテレビ局の社員、運営に協力してくださる企業の社員などの人件費もかかる。

チャリティー番組を放送するうえでの、コストは絶対に発生するのでそれをどのようにして賄うか?

テレビ局の持ち出しなどで行う場合、使えるコストに限界があり、番組のクオリティの点でチャリティーに協力しようという気持ちになりづらい内容になるのであれば本末転倒である。

私の考える本質は、「チャリティーの取り組みを継続的に行える状態にすること」である。

だから、タレントは無償で出演すべきとは考えず、チャリティーが継続的に行える仕組みを作るにはどのようなお金の流れや番組の組み立てであるべきなのかを話すことを重視する。

本件については、ロザンのお二人が会話されていることから、どこを議論する必要があるかの見極めの点で学びになったので動画貼っておきます。


自分がニュースを見たときに、批判に終始するのではなくどこに本質があるのかを捉えて自分はどう考えるのかを大事にしたいと思う。

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