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上野 紗稀(女子プロサッカー選手)

Profile


1994年 松戸市出身
小学校 女子サッカーチーム・ラビットキッカーズ(松戸市)
中学校 浦和レッズレディースジュニアユース
高校 浦和レッズレディースユース
淑徳大学~ ジェフユナイテッド市原・千葉レディース(アマチュア選手)
現在 三菱重工浦和レッズレディース(プロ契約)

第1章 学生時代 “Soccer, which started out as fun, was at the center of my life.”

サッカーとの出会い(小学生)

 私は、1994年に松戸市に生まれました。幼稚園の頃、帰りのバスを待っているときに、男の子たちがサッカーをしている様子を見て「楽しそうだな」と思い、小学校に入学したタイミングで友達と一緒に地元の女子サッカーチーム(ラビットキッカーズ)に入りました。
 4年生になると、松戸市の選抜チームに選ばれたり県のトレセンに行ったりすることが増え、それがきっかけで別のチームにも友達ができました。この頃に知り合った友達の中には、今もWEリーグでプレーしている子もいます。当時は、とにかく友達と一緒にプレーすることが楽しかったです。同じチームから選抜チームに選ばれる子もいたので、私が周りと比べて上手いという感覚はありませんでした。

中学(ターニングポイント)

 中学は、地元の中学校に進学しました。小学校6年間、同じチームでサッカーを楽しんだ私は、中学に上がる前にレッズレディースのセレクションを受けて合格しました。他のチームに行く選択肢もありましたが、対戦したチームの子たちが、レッズレディースのセレクションを受けて合格していたので、「今まで対戦相手だった子たちと同じチームでプレーしてみたい」という気持ちもあってレッズを選びました。この頃から、「将来は、プロサッカー選手になりたい」と考えるようになりました。
 レッズレディースの練習場までは、片道1時間半かかるので、学校が終わったらすぐに帰って電車に飛び乗り、練習が終わった帰りの電車では爆睡していました。
 小学生の頃から、ドリブルやシュートは好きでしたが、体力が無くディフェンスのために走る力がありませんでした。体力作りトレーニングのときも、「キツイな」と感じたらすぐに走るのをやめてしまうことが多かったです。
レッズの監督には、私がランニングをすぐにやめる(サボる)という事を見抜かれていて、同期の中で私だけ選手登録されなかったという苦い思い出があります。
母親からは、「行くのがいやなら休んじゃえば?」と言われたこともありましたが、何故か自分の中で「休む」という選択肢は無く、キツイと思いながらも練習は1度も休みませんでした。

高校時代

 高校は、地元の松戸高校に進学し、サッカーはレッズレディースのユースチームに昇格しました。

 ジュニアユースでは10人いた同期で、ユースに上がれたのは2人だけでしたが、当時私の置かれている状況からすると、昇格できたことは本当に驚きでした。高校2年生のとき、試合で怪我をして、しばらくサッカーができない時期がありました。私が怪我で出られない間に、同じポジションの選手がレギュラーになり、怪我から回復しても試合に出られない時期が続き、悔しい気持ちとうまくいかないという思いもありました。そのタイミングで、チームメイトが千葉県国体のセレクションを受けると聞き「違う場所でチャレンジしたい」と思い、私もセレクションを受けて、合格しました。当時の国体のメンバーは、ジェフ千葉のトップチームの選手が中心で、その中に混ざってプレーできたのはとても楽しかった思い出があります。ちなみに、ジェフ千葉のユースにも友達はいたので、チームの中で孤立したり居心地を悪く感じたことはありませんでした。
 このとき、ジェフ千葉の監督から、「高校を卒業したらジェフに来いや」というニュアンスで言ってもらえたことは、当時の私には大きな自信になりました。

第2章 大学生×アマチュア契約 “Feel the joy of being able to play soccer.”

大学(ジェフユナイテッド市原・千葉レディース/アマチュア契約)

 2013年4月、淑徳大学の総合福祉学部教育副学科に入学しました。
進路を選んだ理由は、もともと幼稚園の先生になりたいという夢があったことと、大学でもサッカーを続けられる環境を探していたところ、両方を満たす環境にあったのが淑徳大学だったためです。
 当時、女子サッカーのトップリーグは、なでしこリーグで、選手は全員、他に仕事をしているか学生かのアマチュア選手でした。私は、このとき、はじめて「女子サッカーにはプロがない」という事を知り、ジェフ千葉の選手と淑徳大学の大学生という二足の草鞋を履く生活になりました。
 具体的には、午前中から夕方までは大学で授業に出て、夕方以降夜まではチームの練習に参加するという感じでした。土日には公式戦があるので、交友関係はどうしてもサッカー関係者に偏りがちでしたが、大学の授業のことは友達に助けてもらいました。
 大学の授業が少なくなった4年生には、昼間にアルバイトをしたこともあります。

社会人(アマチュア選手)

 大学を卒業したあとは、スポンサーの関連会社に就職しました。練習や試合のために勤務時間の融通を利かせて頂きましたが、仕事は他の正社員さんと同じ内容で、社会人としてのマナーやパソコンの操作方法、会社の仕組みなど世の中の事を色々と学ぶことができました。
 現在は、WEリーグが誕生し、私もプロサッカー選手になりましたが、この当時アマチュア選手として会社で働いたことで、スポンサーさんの力の大きさや、サッカーができる喜びをより一層感じています。
 また、ジェフ千葉でもキャプテンを務めることになり、チーム全体のことを意識するようになりました。

第3章 WEリーグ誕生。プロの世界へ “make choices without regrets.”

WEリーグ誕生・浦和レッズレディース(現 三菱重工浦和レッズレディース)へ移籍

2020年6月にWEリーグの誕生を控えた2019年、会社を辞めてプロサッカー選手になるか、会社に残ってサッカーから引退するかという、重大な決断を迫られていました。
 簡単な決断ではありませんでしたが、中学生の頃から「プロサッカー選手」になりたくてサッカーをしてきたこともあり、自分の中で後悔しない方を選びました。そこで、成長できる環境に身を置きたいと考え、大学時代からお世話になっていたジェフ千葉を離れてレッズレディースに移籍しました。
プロサッカー選手になって、サッカーと向き合う時間は増えましたが、同じくらい将来のことを考える時間も増えました。アマチュア選手であれば、サッカーの成績で勤務先を解雇されることはありませんが、プロは1年1年の勝負になります。そういった危機感と隣り合わせの中、「自分はどうなりたいんだろう」と考えるようになりました。サッカーだけでなく他の世界も知るために本を読むことも増えました。

これからのチャレンジ

最近、私が幼稚園の先生になりたかったのは、「育てていきたい、一緒に成長していきたい」という気持ちが根っこにあったんだと感じています。
今は、自分と向き合う時間を大切にしていますが、こういった時間は、学生のうちから大切にしてほしいなと思います。
今の学生には、早い時期から、自分と向き合うことや社会とつながることで「できることがない」ではなく、自分で選択していけるように可能性を広げてもらいたいです。そのために私は、アスリートキャリアトレーナーという活動をしています。

第4章 学生へのメッセージ “What I wanted to see in my current environment.”

学生のみなさんへ

 若い頃から一生懸命スポーツに打ち込んできた子ほど、「競技しかやってこなかった」という

ある種の劣等感に悩んで、競技から離れた後、紹介された会社や、なじみのある職業を選ぶ傾向にあります。
だからこそ、学生のみなさんには、世の中には本当に様々な職業や会社があるということを知ってもらいたいです。そして、自分らしい生き方に正解は無い、「誰も間違っていない」ということを伝えたいと思います。
競技の中で得たことはたくさんあります。それを当たり前にしてきたから気付けていないだけです。
自分と向き合うと見えてくるものは多いと思います。1日5分でいいです。自らの可能性を広げるために少し自分を見つめる時間を作ってみてください。
みなさんが、プロスポーツ選手になるかどうかに関わらず、「自分らしい人生」を歩むための力になれれば幸いです。

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