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鈴木 大輔(プロサッカー選手)


|Profile

1990年    東京都国立市に生まれる(小学2年生のときに石川県に転居)
小学生      石川県金沢市『仲良しスポーツ少年団』(FW)
中学生      金沢市のクラブチーム、テイヘンズFC(DF)
高校生      星稜高校サッカー部
2008年-    アルビレックス新潟
2013年-    柏レイソル
2016年-    ジムナスティック・タラゴナ(スペイン)
2018年9月- 柏レイソル
2019年-    浦和レッズ
2021年-    ジェフ千葉

|第1章 「Professional STORY」

|プロまでの物語り

◇ 兄との勝負の中で成長した幼少期
自分は、1つ年上の兄の影響で、小学1年生からサッカーを始めました。
 小学2年生で石川県に引っ越して、地元のサッカークラブ『仲良しスポーツ少年団』に入りました。当時のポジションはFWで、ゴールを決めるのがとても嬉しかった思い出があります。
 中学に進んでも、学校の部活ではなく、兄がいた地元のクラブチーム(テイヘンズFC)でサッカーを続けました。
 チームにCBが少なかったのと、兄がCBをやっていたという理由で、自分もCBをすることになりました。当時を振り返ると、点を取りたい気持ちが強かったのですが、「いつかFWに戻ることがあれば、CBの経験が活きるはずだ」と気持ちを切り替えて、CBに専念しました。 
 幼少期のサッカー人生は、常に兄との勝負でした。実は、兄との勝負では1度も勝ったことがありません。兄に挑み、負け、練習して、もう一度挑むけど、やっぱり負ける、ということを繰り返す中で、気がつけば実力が上がっているという感覚でした。
 星稜高校サッカー部に進んだのは、自分が中学3年生のとき、本田圭佑選手が高校サッカー選手権に出場しているのを見て、自分も星稜高校で選手権に出場したいと思ったのがきっかけです。
 星稜高校では、1年生から試合に出るチャンスに恵まれましたが、決して自分が周りの選手と比べて上手かったという感覚はありませんでした。

◇ プロ入りを意識した高校2年生
 高校2年生の選手権でベスト8に入り、その後、アルビレックス新潟から特別指定選手に指定して頂き、さらにその年のU-17日本代表でFIFA・U-17ワールドカップに出場する機会を得ました。
 これらの経験を通して「プロになる」ということが、漠然とした夢から、非常に具体的な進路・目標に変わっていきました。
 少しずつ周囲から評価されるようになっても、当時は、「自分は上手い」とか「プロでやっていける」という気持ちは全然無く、むしろ競争に負けないように、ぎりぎりしがみついている感覚で練習に取り組んでいました。

|厳しい競争の中で成長したプロ生活

 ◇ 課題と向き合って練習に打ち込む(アルビレックス新潟時代)
 2008年からアルビレックス新潟に入りましたが、最初の3年間は全く出場機会がありませんでした。試合に出れないことに対する焦りや不安はありましたが、幼少期に兄との対戦で負けてばかりだった経験を糧に、「今はこんな状態だけど、目の前の課題に向き合って努力を続ければ、いつかチャンスがくる」と信じて過ごしていました。
 アルビレックス新潟に入って4年目の2012年、ようやく試合に出る機会に恵まれ、この年のロンドンオリンピックにも日本代表として出場できました。

 ◇ 競争の中で成長し、深く考える(柏レイソル)
 2013年、柏レイソルに移籍しました。当時のレイソルは2011年にJ1優勝、2012年に天皇杯優勝という強豪で、CBのポジションはレギュラーメンバーとの競争が待っていました。柏での3年間では、レギュラー争いに負けたり怪我によって試合に出場できない期間もありました。また、CBはゴール前のポジションなので、試合のハイライトシーンでは、ゴールを決めるシーンが映るFWの選手と違い、失点の場面で映ることが多く、どうしても自分のミスや弱さを突き付けられます。
 こうした経験を経て、次第に「自分は何のためにサッカーをしているのか」ということを考えるようになりました。

 ◇ 厳しい環境に身を置く(スペイン)
 幼少期から兄との勝負の中で成長してきた自分にとって、厳しい環境に身を置くことが自身を成長させる一番のエネルギーになるという感覚がありました。
 そこで、「今の自分にとって最も厳しい環境とは何か」を考え抜いた結果、海外のチームに移籍する決断をしました。移籍したスペインのジムナスティック・タラゴナでは、日常生活とチーム内での競争の両面で、自分が求めていた厳しさが待っていました。言葉、文化、習慣、価値観、全ての面で新しい環境に自分の身を置くことで、自分が成長している・生きている感覚を体感しました。
 慣れない海外生活の中で、家族の大切さをとても感じた時期でもありました。

 ◇ 再び競争の中に身を置く(柏レイソル~浦和レッズ)
 2年半(3シーズン)のスペインでの生活を終え、2018年9月に柏レイソルに復帰しました。当時、柏は降格争いの中にいて、何とかチームの力になりたかったのですが、J2降格を防ぐことはできませんでした。シーズン終了後、その年の天皇杯で優勝した浦和レッズから、オファーを受け、CBのレギュラー争いに割って入るべく移籍を決めました。

 ◇ これまでの経験を還元する(ジェフ千葉)
 浦和で2020年シーズンを終えた後、J1や海外を含め複数のチームから移籍のオファーを頂きました。
 その中で、ジェフ千葉はJ2からJ1に上がれず苦しんでいる状態でした。今までは「自分が選手として成長できる環境なのか?」を軸にチームを決めてきましたが、この時はそれまでとは少し違いました。これまでの経験をチームに還元することで、他の選手の力を引き出し、チーム一丸となってJ1を目指す。そんな新しい挑戦をしようとジェフ千葉への移籍を決めました。

|第2章 「Career Message」

|今後のキャリアについて

2023年は、ジェフ千葉での3年目のシーズンになります。
 自分は、特徴的なプレースタイルがあるわけでもなく、特別な才能をもっているわけでもありません。 また、CBというポジションは、失点シーンでフォーカスされることが多く、ゴールを決める機会も少ないため、めったに賞賛されることはありません。
 それでも、子供たちにとっては憧れのプロサッカー選手であり、地元の人やサポーターの方々からは応援して頂いています。自分自身、辛いときに他のアスリートの言葉から勇気をもらったり救われたこともあり、周りの人に勇気や希望を与えることができるのは、プロスポーツ選手の大きな強みだと感じています。
 プロになってからは、自分を磨くこと以上に「どうやったら周りの選手たちが持っているチカラを100%発揮してもらえるか?」を考えて行動してきました。ジェフ千葉では、移籍した年からキャプテンに指名され、その感覚はさらに強くなりました。
 そして、この考えは、ピッチの中だけに限りません。「周りの人を勇気付け、その人が持っているチカラを100%発揮できるように動くこと」を大切にする。こうした考えや経験を体系的にまとめて、学生アスリートや組織で働く方々へ届けていく活動も、現役中から取り組んでいきたいと考えています。

|学生アスリートへのメッセージ

 アスリートに必要な力は色々ありますが、中でも重要なのは「環境に適応する力」だと考えています。
 自分では、どうにもできない事は沢山あります。例えば、監督を選ぶことはできないし、レギュラーの人数を変えることもできません。天気やピッチのコンディションも自分ではコントロールできません。
 そうしたとき、過去の成功体験にしがみついてしまうと、必ずどこかで限界を迎え、成長が止まってしまいます。成長し続けるために、いつもフラットな目線をもって、正解を決めつけず、考える力やチャレンジする勇気を持ち続けてください。
 また、スポーツを通して経験できることは、必ず将来役に立ちます。チームワークの大切さや、負けを受け入れること、上手くなるために練習を積み重ねる事など、一つ一つの経験を大事にしてほしいと思います。


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