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武藤 哲哉(プロテニスプレイヤー)


今の仕事(スポーツとの関わり)

 私は、株式会社テニスパートナーズという会社を経営しています。会社の事業は、大きく分けて、①テニススクールの運営、②テニスラケットのガット張り(ストリンガー)、③テニスウエアなどのアパレル販売の3つになります。その他、プロテニスプレーヤーでもあり、メンタルコーチの活動もしています。

私のバックストーリー

⒈ 20才でテニスを始める

 私の今の仕事についてお話をすると、きっかけは学生時代まで遡ります。

 私の学生時代は、就職氷河期といわれていた1990年代で、普通に就職することすら難しい時代でした。私は「学歴や年齢だけで給料が決まるような人生は過ごしたくない」と考えていました。私の気持ちを先生に相談したところ、先生は私にテニススクールの社長(今の会社の先代)を紹介してくれました。社長は、「本気で働く気持ちがあるなら、うちに来てもいい」と言って下さいました。
これがきっかけで、私は20歳になってテニスを始めました。

⒉ 下積み時代(20才~25才)

 テニススクールの仕事だけでは生活が大変だったので、プライベートレッスンをはじめたり、ラケットのガット張りのアルバイトをしたりしていました。

⒊ 好きな事、自分が出来る事で家族を養う(25才~35才)

 周りに比べてテニスを始めた時期が遅かった私は、自分のテニスの実力を高めるのに必死でした。時間を見つけては公式戦に出場して、25歳で初めて日本ランキングに入りました。私の周りで日本ランキングに入っている人はいなかったので、この頃から私に対する周囲の評価が変わりました。この頃は、選手として公式戦に出ながら仕事をして、それはもう目の回るような忙しい毎日でした。

⒋ 会社を引継ぐ&プロテニス選手になる(35才~45才) 

 1人で仕事をするのに限界を感じていたころ、社長から「会社を継がないか」と打診され、37歳で引継ぎました。
 テニス選手としては、42歳になって日本ランク100位入りを果たし、全日本男子プロテニス選手会の会員に入り、名実ともに「プロテニス選手」になりました。

⒌ コーチングに出会う(45才~)

 私は、自分の経験をもとに、会社の経営でも「結果主義、実力主義、成果がでない社員にはとにかく厳しく」という古典的な体育会系の発想で、スタッフに接していました。しかし、40歳を超えたころ、私の考え方が若いスタッフに全く響かないことに気付きました。
 そんな中、コーチングを学ぶ機会があり、それまでの私がいかに自分の考えを押し付けていたか自覚しました。私は、自分自身のコミュニケーションの取り方を変え、一人ひとりの価値観や考え方を尊重し、信頼して任せるようにしました。

自分のバックストーリーを振り返って

 私は、20歳でテニスを始めたころから、「自分は何が好きで、何が嫌いか。何をしたくて、何をしたくないのか。」を常に考えていました。
 また、いつも目標をもっていました。目標は、「これくらい稼ぎたい」「日本ランキングに入りたい」「毎日笑顔で過ごしたい」「仲間と一緒に過ごしたい」など、その時によって違いましたが、今の自分があるのはこうした目標設定とチャレンジの積み重ねの結果だと感じています。

今の目標

今の私の目標は、仲間が毎日を笑顔で過ごせるように、特に若手のスタッフが活躍できる場を作ることです。
 私が、今、会社を経営できているのは、色々な偶然が重なった結果だと思っています。
 こうした出会いや巡り合わせに感謝して、若い世代に引き継いでいくことが私の夢です。

学生に向けたメッセージ

 私が、常に目標を設定してチャレンジし続けられたのは、20歳という遅い時期からテニスを始め、テニスコーチの中で一番下手だったという劣等感があったからです。ですから、劣等感を持つことは悪い事ではないと思います。
 また、私の世代が就職活動をしていた頃と違い、今は好きなことや得意なこと、夢中になれることを仕事にできるチャンスに溢れています。これからは、「自分にできる仕事を探す」のではなく、「自分が夢中になれる仕事を作る」ことができる世の中になっていくと思います。
 みなさんが笑顔になれて、人から「ありがとう」と言われる何かを見つけられることを信じています。

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