内田 友来(クリニック経営)
プロフィール
出身校:明治大学文学部 卒業後、渡米
職業 :カリフォルニア州でクリニック経営(カイロプラクティック医、鍼灸漢方医)
スノーボードハーフパイプ日本代表スタッフ(メディカルトレーナー)
第1章 今の仕事
私は、アメリカのカリフォルニア州で、約20年前からクリニックを営んでいます。カイロプラクティック医は、日本ではなじみがない資格ですが、アメリカでは医療国家資格で、患者さんの身体を治療する専門家として認められています。スポーツに関する仕事としては、スノーボードハーフパイプの日本代表チームのメディカルトレーナーとして、代表チームの合宿やW杯、世界選手権、北京オリンピックにチームスタッフとして帯同しました。
2026年の冬季オリンピック(ミラノ大会)までは、引き続きスノーボードハーフパイプの日本代表チームの一員としてトップアスリートをサポートしていきます。
第2章 今の仕事を選んだ経緯
私は、学生時代にスポーツをしていて怪我に苦しんだ経験があったので、身体の面からアスリートをサポートする仕事に就きたいと考えていました。
大学3年生の頃、アメリカに「トレーナー」という仕事がある事を知り、色々悩んだ末留学することにしました。今でこそ、アスレチックトレーナーやコンディショニングトレーナーなど、様々なトレーナーが日本でも活躍していますが、当時は「トレーナー」という仕事自体、ほとんど知られていない時代でした。
大学を卒業し3ヶ月後に渡米、1年目は語学の勉強に費やし、2年目以降は、解剖学・生理学など、生物学に専攻を変え猛勉強の日々でした。一方で、私が渡米した1988年頃、アメリカでプレーしている日本人選手はいませんでした(日本人初のメジャーリーガー野茂英雄がドジャースに入ったのは1995年)。そのため、周りからは「トレーナーになっても働き口がない」と言われ、現実的にアメリカで生きていく道を模索し始めました。結局トレーナーになることは諦め、患者さんの身体の治療をするカイロプラクティック医と鍼灸漢方医の国家資格を取得し、37歳、清水の舞台を飛び降りる覚悟で今のクリニックを開業しました。
第3章 開業からスポーツに関わるまで
クリニックを開業してからは、一般の患者さんの治療をしていました。
また、クリニックの開業と当時に娘を出産したので、育児と仕事に必死で、「アスリートをサポートしたい」という夢を追いかける余裕が無くなりました。
開業してから15年ほど経った頃、通訳やITの仕事をしている友人が、某日本人メジャーリーガーの通訳を担当することになり、私は、その友人が、常々「スポーツの現場で働きたい」と言っていたのを知っていたので、チャレンジを続けて夢を掴んだことにとても感銘を受けました。
こうして刺激を受けた私は、「アスリートをサポートする」という夢への挑戦を再開し、アメリカのスポーツドクターの資格を2015年に取得しました。2017年頃にスキー関係者に出会う機会に恵まれ、1年後の2018年の秋、スノーボードハーフパイプの日本代表チームから、「メデカルトレーナーとしてサポートしてもらいたい」という打診を受け、今に至ります。
第4章 今後の夢や目標
私の今の夢は、2026年の冬季オリンピック(ミラノ大会)で、スノーボードハーフパイプの日本人選手が表彰台を独占することです。実力的には、決して夢物語ではなく、そのために私も全力で選手達をサポートします。
また、日本の高校生や大学生が海外に挑戦するためのサポートができたらと考えています。
第5章 学生へのメッセージ
スポーツに関わるかどうかに関係なく、高校生や大学生には、できるだけ早いタイミングで海外に行くことをオススメします。感受性が高い年代に短期間でも海外に行けば、勉強でもスポーツでも世界基準で自分の実力を知ることができますし、視野やものごとに対する価値観が間違いなく広がります。
また、アメリカでは、様々な年齢の人が学び直しのため大学に通っており、チャレンジすることに早いとか遅いは関係ないことを、しみじみ感じます。思い立ったが吉日、皆さんの挑戦を応援しています。
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