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羽生 直剛(サッカー元日本代表)

プロフィール
千葉県千葉市に生まれる(1979年)
|小学校
こてはし台サッカークラブ/千葉北FC
|中学校
こてはし台中学校サッカー部
|高校
八千代高校サッカー部
|大学
筑波大学サッカー部
|プロ人生
ジェフ市原(2002年~2007年)FC東京(2008年~2012年)ヴァンフォーレ甲府(2013年)FC東京(2014年~2016年)ジェフ千葉(2017年)
引退(2018年)
株式会社Ambition22 設立(2020年~現在)

第1章 プロまでのSTORY

|小学生(サッカーとの出会い)
近所に住む友達に誘われて、サッカーを始めました。小学生の間は、地元の「こてはし台サッカークラブ」や千葉市の選抜チーム(千葉北FC)でプレーしていました。
|中学生
地元の中学校に進学し、サッカー部に入りました。千葉県の選抜チーム(トレセン)に呼んでもらったこともありましたが、試合に出れた時間が短かったことや、監督と親しく話している他の選手の様子を見て、疎外感のようなものを感じ、それ以来、県選抜には参加しませんでした。サッカーが好きだった自分が、「練習(県選抜)には行かない」と言ったのは、これが初めてのことだったと思います。

|高校の進路選択
当時は、市立船橋高校(市船)や習志野高校が強く、全国から選りすぐりの選手が集まってくる学校でした。中学生の頃の自分は、そこまでサッカーの実力に自信があるわけではなく、「自分よりも上手い選手はたくさんいる」と感じていたので、仮に市船に進学しても「その他大勢」に埋もれてしまうだろうと思っていました。そして、もし将来、サッカーの道が途絶えてしまっても、別の道に進めるように勉強も大事だと考えていたので、自宅から通いやすい八千代高校に進学しました。

|高校時代
八千代高校のサッカー部では、朝練は自由参加でしたが、自分は、毎朝シュート練習をしていました。サッカー部は、1学年30人以上いる大所帯でしたが、1年生の頃から試合に出してもらえました。常に、上手くなるためには何が必要かを考えながら、真剣にサッカーに向き合っていたと思います。3年生の夏には、市船や習志野の生徒たちと一緒に千葉県選抜として国体に出場し、全国3位になりました。一緒に戦っている最中、「やっぱり市船や習志野の人は自分よりも上手い人が多いな」と感じていました。

|大学の進路選択
高校生の頃、プロになりたいという気持ちはありました。一方で、市船の選手に比べたら見劣りすると自覚していたので、「将来はプロになりたいけど、なれないかもしれない。」というのが正直な感覚でした。もし、プロに行けない場合は、体育の先生になろうと考えていたので、筑波大学に進学しました。ちなみに、国体で3位になったことで、推薦で進学することができました。

|大学時代
筑波大学でも、1~2年生の頃から、試合に出してもらえました。ただ、身体が小さいというフィジカル面の課題にぶつかり、周囲からも「プロにはなれない。」「プロになっても3~4年(しかもたない)だろう」と言われていました。自分でも「ここが自分の限界か?」と感じることがありましたが、その分、「1日1日を悔いが残らないように練習しよう」という気持ちで日々過ごしていました。大学3年生のとき、デンソーカップ(※1)でMVPになったことで、自分の中の「プロにはなれないかもしれない。」という感覚よりも「プロになれるんじゃないか?」という気持ちが強くなりました。同じ年のユニバーシアード(※2)北京大会に、全日本大学選抜の一員として参加できたことで、プロ入りが現実味を帯びてきました。

|プロ入りの進路選択
Jリーグのチームと社会人リーグのチームから、3~4件のオファーを受けました。全部のチームに話を聞かせてもらい、施設の見学や練習参加を経て、最終的に地元のチームであるジェフ市原(現:ジェフ市原・千葉)と契約しました。

第2章 現役そして引退までのSTORY

|プロ入り後
オシム監督に出会えたことは、自分にとって非常に大きな財産です。
自分は、常に「身体が小さい」と言われ続けてプレーしてきましたが、オシム監督は、そんな自分のプレースタイルを認めてくれました。監督は、選手一人ひとりをとても良く観察し、それぞれの強みを理解し、どうしたらチームとして最大限のパフォーマンスを発揮できるか、常に考えている監督でした。
監督は、よく「今のレベルで満足するな。もっと上を目指せ。野心を持て。キミにはできる。」と言っていました。また、試合後には「今日のプレーはチケット代に値したか?」と質問されることもありました。こうしたオシム監督の言葉を通じて「自分のパフォーマンスの価値を決めるのは、自分ではなく、試合を見に来てくれたサポーターなんだ」という事を知りました。

|引退の理由
自分は、高校生のとき膝(半月板)を壊して手術を受けていました。FC東京からジェフ千葉に戻ってきた年、その古傷の膝に水が溜まるようになり、充分なプレーができなくなりました。このとき、「できないときは『できない』と言うのもプロの仕事だ。(※3)」というオシム監督の言葉を思い出し、「プロの水準でプレーができないなら引退しよう」と決断しました。

※1 デンソーカップ:JFA主催・デンソー特別協賛の大会。U20全日本選抜チームや関東選抜など8チームが参加する。
※2 国際大学スポーツ連盟が主催する、大学卒業後2年以内の者を含む学生の国際競技大会。学生のオリンピックとも言われる。
※3 できないのに「やれます」と言い張って、結果的にチームに迷惑をかけるよりも、「できない」と申し出て次の作戦に移れるようにする方が、チームにとって良いという趣旨。自分の発言に責任を持つことを示唆しているとも言える。

第3章 「今」と学生へのメッセージ

|今のチャレンジ
2020年に「株式会社Ambition22」という会社を作りました。Ambitionとは、英語で「野心」です。オシム監督は、常々「サッカーは人生と同じだ」と言っていました。アスリートは、競技生活を通して培った様々な強みを持っています。サッカーに限らず、スポーツは、人生に通じる多くのことを教えてくれます。今の自分の野心は、こうしたアスリートやスポーツそのものの価値を高めていくことです。

|学生に向けたメッセージ
- 大学時代を振り返って -
自分は、プロになるための通過点として大学生活を送っていました。そのことは後悔していません。もっとも、当時を振り返ると、時間の使い方が上手くなかったと思います。今振り返ると、時間に余裕があったのだから、運動力学、スポーツ経営学、運動生理学といった大学の授業をきちんと学んでおきたかったという気持ちはあります。
- 大事にしてほしいこと -
スポーツを通して養える力は、競技力や体力だけではありません。それは、責任感であったり、コミュニケーション能力であったり、ミスを受け入れる力であったり、様々あります。その中でも、一番大事なことは、「上手くいかないことを他人のせいにしないこと」と「ミスを受け入れること」の2つだと思います。スポーツをしていると、上手くいかないことや思い通りにならないことは沢山あります。そうしたとき、「監督が悪い」「チームメイトが悪い」「条件が良くない」「環境が良くない」など、上手くいかないことを自分以外のせいにするのはとても簡単です。ですが、上手くいかない原因を「他人のせい」にしている限り、自分自身の成長は止まってしまいます。また、スポーツにはミスがつきものです(特にサッカーはミスだらけです)。ミスと向き合って、受け入れて、次に進む力を養えるのがスポーツの価値のひとつだと思います。
学生のみなさん、ぜひ沢山ミスをして下さい。そして、他人のミスを受け入れる懐の深い大人になってください。

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