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沖縄の作家は「足下の泉」を掘り続ける宿命なのだろう、と言う話。

10月27日、沖縄初の芥川賞作家である大城立裕さんがお亡くなりになりました。最後の最後まで物書きであり、そして一貫して沖縄を描いて来た人でもありました。

同じく芥川賞作家である又吉栄喜さんが新聞に寄せた追悼コラム、そして少し前に自らの執筆スタンスについて書かれていた事を思い出してこの記事を書いてみます。

沖縄文学は沖縄から離れない、離れられない

大城さんが芥川賞を受賞した作品『カクテル・パーティー』は、米軍占領下の沖縄で書かれた小説です。米軍──引いては軍隊の持つ加害性と、沖縄や日本と言う場所の加害性を描いています。

彼は沖縄に住み続け、沖縄にこだわった作品を多く遺しました。他の沖縄出身作家も、作風は違えどその姿勢に影響を受けてはいると思います。

マブイグミと言うモチーフを取り入れた『豚の報い』で芥川賞を受賞した又吉栄喜さんは、ずっと地元の浦添市にお住まいです。ちなみにうちの母は、浦添の某商業施設でお見かけした事があるとか……。

また、同じく『水滴』で芥川賞を受賞している目取真俊さんは、戦争トラウマとも呼べるものをどこか幻想的な雰囲気を取り入れて表現しました。彼は沖縄と日本の間にある構造的差別の問題に対して敏感で、辺野古新基地建設反対運動にも参加しています。

沖縄が生んだ芥川賞作家の方々は、それぞれの形で沖縄と言う地に関わり続けているのです。

沖縄学の父が問い掛ける事

以前書いた記事でも紹介しましたが、沖縄学の父と呼ばれた学者・伊波普猷はこんな座右の銘を持っていたそうです。

汝の立つ処深く掘れ そこには泉あり

自分の立っている場所、つまり故郷を深く掘り下げよ。そうすれば豊かな泉が湧き出て来る事だろう。

伊波普猷は故郷である沖縄の歴史や文化を深く知り研究した事で『沖縄学』と言う学問を確立したのです。

沖縄の作家の方々も、自らが人生をかけて書こうとするなら故郷に関する事しかないと思ったのかも知れません。足下に眠るものは余りにも大きく、なのに身近で、だからこそテーマは無限にあるのだと思います。

「豊かな泉」を、守るために

米軍占領下の沖縄を描き直木賞を受賞した『宝島』(真藤順丈)。
資料館に勤める女性と馬との交流を描いて芥川賞を受賞した『首里の馬』(高山羽根子)。

沖縄の豊かさ、そこにある「ネタ」の多さには日本の小説家も注目している事がこの2つの作品からもわかります。
ですが、ウチナーンチュと違って沖縄の暗い一面を書く事は難しいのではないかと私は考えています。ヤマトゥンチュと言う「外」の人間には見えないものを、私達は見ているからです。

沖縄の小説家で沖縄を舞台に描きながらも、そこから逃げている作品もあります。
NHKでドラマ化もされた『テンペスト』(池上永一)は、県内大学の文学研究者に「外部の人間が消費出来る程度の沖縄しか描いていない」と厳しく批判されました。
そう言う作品の方が受け入れられるでしょうし、現に池上さんの小説は次々とヒットを飛ばしています。気軽に消費されるエンターテイメントのひとつ、として。

大城さんは晩年、沖縄の米軍基地問題などにも向き合って昔の作品の再出版にも動きました。徹底的にウチナーンチュ作家として最期まで生きました。

彼の遺した功績は後輩作家達が受け継ぎ、そして新しく生まれる作家にとっては「自分のライフワークとなるテーマは何か」と悩んだ時に一種の指針となるでしょう。

最後に、大城立裕さんの御冥福をお祈りします。ニライカナイでゆっくりとお過ごし下さい。


※ヘッダー画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借り致しました。ありがとうございました。

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