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足下の豊かな泉、の話。

「沖縄学の父」と呼ばれた学者、伊波普猷(いは・ふゆう)の座右の銘として、このような言葉を知りました。ニーチェの言葉だそうです。

汝の立つ処深く掘れ そこには泉あり

伊波普猷にとって「汝(伊波自ら)の立つ処」は沖縄であり、琉球だったのだと思います。

今に伝わる言葉

以前紹介した曲、R∞2(ルーツ)の『Neo Soul “琉球”』のラップにも、この言葉は取り入れられていました。

この曲は、R∞2こと民謡歌手の仲宗根創(なかそね・はじめ)さん、ラッパーの鉄ちゃん、組踊玉城流三代目家元の玉城盛義(たまぐすく・せいぎ)さんの3人を中心とした人々が、まさしく足下である沖縄を掘り起こしたものでもあります。

日本の中では特異な歴史、先人達の生み出した文化、不条理と向き合い闘って来た人々。それを知る事で新しく生まれるものがあるのです。

伊波普猷とは

沖縄を語る上で欠かせない人物の1人、伊波普猷。彼は東京帝国大学を卒業する程の頭脳の持ち主でありながら、沖縄県尋常中学校(今の首里高校)時代ウチナーンチュを見下す校長に反発して仲間と共にストライキ事件を起こすと言う反骨精神も持ち合わせていました。

言語学を学び、琉歌集『おもろさうし(おもろそうし)』を研究した事でも知られています。

彼にはこんなエピソードがあります。
日本で名字の「伊波」を「いなみ」と読み間違えられる事にうんざりしていた時、恩師にこのような言葉を掛けられました。
「君の名前は、『いふぁ』だよ。『いふぁふゆう』だよ」
ウチナー訛りのその呼び方に、彼はハッとしたそうです。自分は、伊波(いふぁ)だと。沖縄の伊波普猷なのだと。

伊波普猷については、『日琉同祖論』をとなえた事への批判もあります。日本人と琉球人は元々同じ民族であり、日本と琉球は同じ国であったと言う主張です。
私もそれには与しません。この説は違う国であった琉球を日本に取り込み、琉球人を日本人にした同化政策に利用され、今に至るまでの差別的な扱いの元になっているからです。

沖縄を愛した者達へ

伊波普猷の墓と顕彰碑は、浦添城跡の中にあります。
顕彰碑には、同じく沖縄の研究に力を注いだ東恩納寛惇(ひがしおんな・かんじゅん)の言葉が刻まれています。

彼ほど沖縄を識った人はいない
彼ほど沖縄を愛した人はいない
彼ほど沖縄を憂えた人はいない
彼は識ったが為に愛し
愛したために憂えた
彼は学者であり愛郷者であり
預言者でもあった

伊波普猷の想いは、確実に現代のウチナーンチュにも受け継がれています。
足下を深く掘れば豊かな泉が湧き出すのです。沖縄と、琉球と呼ばれた地に蓄積されたものが。

参考文献(?)を兼ねて、伊波普猷についてのわかりやすいページへのリンクを貼って置きます。



※画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りいたしました。ありがとうございました。

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